ケース3 旅館㉟
受付の奥に幸恵を寝かせると卜部とかなめは渡り廊下へと急いだ。
「無駄な時間を食った上にせっかく溜めた陽の気も振り出しに戻った!!」
誰に言うでもなく吐き捨てるように卜部は毒づく。
かなめは心配そうに卜部の顔を覗き込んだ。
「呪物が出たらどうするんですか……?」
「わからん!! 大体呪物が今どうなってるかも俺は知らん!!」
卜部が不調なためか、今回はどうも出来事が悪い方へ転がる気がした。それと同時に今までいかに卜部が核心を見通して先手を打っていたかを思い知る。
立ち込める不吉な予感を無理やり抑え込んで、かなめはぐっと拳に力を込めた。
ぞくり……
渡り廊下の扉の前に立つと先程は感じることのなかった強烈な悪寒が背中に走った。
かなめが卜部の方を見ると卜部もうっすらと冷や汗を流している。
「妙だな……」
そう言って卜部は一歩前に踏み出した。
パキ……
ゆっくりと足下に目をやる。
そこには潰れた黒い甲虫が藻掻いていた。
藻掻く虫の通った後に体液が線を描く。
卜部はゆっくりと天井を見上げた。
「おい。亀。前だけ見て静かにゆっくり歩け。絶対に上は見るな」
「う、上を見たらどうなるんですか……?」
卜部はそれには答えずに扉の脇にあった傘立てに取り残された一本のビニール傘を掴むとおもむろに傘を開いた。
「来い」
卜部はかなめの肩を抱くような形で自分の前に立たせるとゆっくり渡り廊下に向かって歩き始めた。
カサカサカサカサ
カサカサカサカサ
カサカサカサカサ
カサカサカサカサ
カサカサカサカサ
黒い傘に遮られて見えない天井から無数のざわめきが聞こえてくる。
ぼとり……
嫌な衝撃とともに時折何かが傘に降ってきた。
卜部が冷や汗を流しながら慎重に進む隣で、かなめの頭は全く別のことを考えていた。
(こ、これは相愛傘なんかでは断じてない!! 断じて違うから!! 肩を抱かれているぅ……!! )
傘傘傘傘
傘傘傘傘
傘傘傘傘
傘傘傘傘
傘傘傘傘
いつのまにか蠢く不吉な物音さえも謎の大合唱に聞こえてきて、かなめは耳まで真っ赤にしながら俯き加減で卜部と自分の足を見つめていた。
渡り廊下を渡り切ると卜部は大きくため息をついた。
「くそ……現実に及ぼす影響力が桁違いだ……」
「まったくです……」
かなめは両手で顔を冷やしながらつぶやいた。
卜部は傘を畳むと軽く振って感触を確かめると、真ん中あたりを短く持って暗闇を見つめた。
「やれやれ……どこに向かうかな……」
卜部が行き先を決めかねていると、かなめはふと夢のことを思い出した。
「先生!! そういえばわたし夢を見たんです!!」
「言ってみろ」
「襖が何枚も何枚も続く和室を進んでいく夢です!! 怖くて先に進みたくないのに夢はどんどん奥に進んでいくんです。その夢の雰囲気がここにそっくりです……」
「どんな部屋だ? 何か特徴はないのか?」
かなめは目を瞑って夢の光景を思い出そうと頭をしぼった。
「204号室……」
思わず口から出た言葉にかなめ自身も驚いた。
卜部はかなめをまっすぐ見据えて目を細めると小さくつぶやいた。
「行くぞ。亀。204号室だ……」
「亀じゃありません!! か・な・め・です!!」
こうして二人は深い闇が覆う階段に足を向けた。
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