ケース3 旅館㉞


 

「そこをどけ!! 俺たちは別館とやらに用があるんだ!!」


 

 薄暗い館内に卜部の怒声が響く。

 

 

 

「ですから!! あちらの別館は一般のお客様は立入禁止なんです!! 停電して危険ですからお部屋にお戻りください!!」


 

 中居の幸恵も一歩も譲らない。

 

 

 

「絶対に客人を別館に通さぬように」

 

 

 

 幸恵は女将から常日頃言い聞かされていた。誰も無理に薄汚れた別館に行こうとする者などいなかったが、それでも幸恵はある種の使命感を持ってその命令に従っていた。

 


 そしてついに命令を実行する日が来たのである。何としてもここを通すわけにはいかない。

 

 

 

 竹箒を構えた幸恵が渡り廊下へ続く扉の前で仁王立ちになっているの睨みつけながら卜部は苛々と足を揺すっていた。

 

 

「おい!! 亀!! この女をどっかに連れ出せ!!」

 

 

「亀じゃありません!! かなめです!! そんなの無理ですよ……」

 

 

 かなめは睨みあう両者を見てため息をついた。どうも中居の方が卜部の態度のせいで、余計意固地になっている気がする。

 

 

 

「あの……今この旅館には危ない呪物が動き回ってるんです……通してもらえませんか……?」

 

 

 かなめは正直にお願いしてみた。しかし中居はフンと鼻を鳴らして首を横にふる。

 

 

 

「困りましたね……どうしましょうか?」

 

 

 

「どいてろ……」

 

 

 かなめを押しのけて卜部が前に出た。すかさずかなめは卜部の腕を掴んで止める。

 

 

「ぼ、暴力は駄目です!! 先生!!」

 

 

「誰が殴って退かすと言った!? 本調子でないから見逃してたが、この女、しゅが掛かってる」

 

 

「え?」

 

 卜部は聞き返すかなめを無視して幸恵に向かって叫んだ。


 

「おい中居。ここを通すなと命令してるのは女将か?」

 

 

 

「だ、だったら何だって言うんですか!?」

 

 

 幸恵は怪訝な顔で言い返した。しかし卜部の気迫に押されたのか、先程までの威勢がない。

 

 

 卜部は中居を指さすと大声で言った。

 

 

「この女を縛る女将の呪から解き放ち給え!!」

 

 

「オン マイタレイヤ ソワカ」

 

 

 卜部が真言を唱え終わると同時に仲居は焦点の合わぬ目で泡を吹きながら崩れ落ちた。

 

 

 

「くそ……なけなしの陽力をこんなところで……」

 

 

 卜部は忌々しそうに仲居を見ながら言った。

 

 

 

「凄い……!! どうやったんですか!?」

 

 かなめは目を大きくして尋ねる。

 

 

「悪縁を切る真言だ。女将の命令に縛られてたからな……女将との悪縁を切った。そっちを持て。こいつを受付の奥に運ぶぞ」 

 

 

 卜部は嫌そうな顔をすると、幸恵の両脇に腕を差し入れた。かなめは頷くと幸恵の両足を掴み、二人は受付に向かってもと来た道を戻っていった。

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 卜部達の姿が見えなくなったの確認すると千代は夏男を連れて急ぎ足で渡り廊下に向かう。

 

 

 

 先程の光景を影から見ていた千代の心は不安でひどく掻き乱されていた。

 

 

 

 なぜ彼らが呪物や別館のことを知っているのだろう?

 

 

 嫌な予感がする……母の味方かもしれない……

 

 

 

 疑心暗鬼に駆られた千代の目には映り込む全てが敵のようだった。

 

 

 

 あいつらもきっと私と百々くんの邪魔をしに来たんだ……

 

 そうでないならこんなタイミングにここに来るはずがない……

 

 

 

 そう結論づけると千代の目に暗い覚悟の炎が揺れた。

 

 

 

 千代は渡り廊下の扉を開くと、そこに貼られた薬師如来の札を引き剥がして破り捨てた。

 

 

 

「夏男さん。私早くお部屋に行きたい」

 

 

 甘えた声を出して夏男を急かす。

 

 

 夏男はそれを聞くと下品な笑みを浮かべて頷き口角を舐める。

 

 

 

 千代は懐に忍ばせた刃物の重さを確認するように、服の上からそっと出刃包丁の柄に触れた。

 

 

 大丈夫。私は百々くんと生きていく……きっとうまくいく……

 

 

 

 そう心の中でつぶやくと、千代は夏男の手を引いて駆け出した。

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