ケース3 旅館㉛
三谷は生唾を飲んで渡り廊下へと向かった。
手をかけた扉には薬師如来の札が貼り付けられている。
いつもは何とも思わないその札が今日はやけに主張してくるように感じて目が離せない。
そう思いながらも三谷は横目で札を見送り扉を抜けた。
真っ暗な渡り廊下に裸電球が揺れている。
それが風で揺れる度に錆びた鎖の軋む音が響いた。
キュッ……キュッ……キュッ……
振り子のように等間隔で揺れる電球にあわせて、あたりの影も左右に揺れる。
キュッ……キュッ……キュッ……
まるで魔物の踊りのようだ……
思わず不要なことを考えて、三谷は恐ろしくなった。
早く渡ってしまおう……
三谷は急ぎ足で渡り廊下を抜けると別館へと滑り込んだ。
扉を閉めると安堵のため息をもらす。
とうとう罰が当たったかな……
そんな考えがふと頭をよぎり、三谷は首を振った。
三谷が代々続く老舗旅館の板前になれたのはただの偶然ではない。
この旅館で働く者たちは皆、この旅館の主人の親戚筋にあたる。それがここで働く必須条件だった。
そしてこの旅館で行われる恐ろしい儀式に一切異を唱えないことが求められた。
三谷はその条件に同意してここの板前になったのだ。
それさえ守っていれば金払いは良かった。
そして何よりも重要なことは、自分を追いかけてくる恐ろしい過去から守られるということだ。
ここで働く者は皆、スネに傷を抱える者達だった。
大物政治家も訪れるほどの強力なパワースポットでありながら、一般には絶対に知れ渡ることのない秘匿された温泉旅館。
それは後ろ暗い過去を持つ者には格好の隠れ家であり、僅かに残された安息の地だった。
三谷はもう一度頭を振って息を整えた。
俺が組長を殺して逃げたことと、今回の出来事は無関係だ。ここは安全だ。
三谷は両手で頬をパシっと叩き気持ちを切り替えた。
「おーい!! 女将!!」
三谷は大声で呼びかける。
「若女将ー!!」
相手を変えても反応はない。
三谷は眉間に皺を寄せてダメ元で叫んでみた。
「妙子さーん!!」
「はーい」
「!!!」
二階へと続く階段の暗がりから返事が返ってきた。
予想外の返答に三谷は身体をビクつかせて暗がりの方を見た。
「妙子さんか!? 女将は見つかったのかい??」
「はーい」
なんとも生気のない間の抜けた声だった。
三谷は恐る恐る声のする方に明かりを向けた。
そこには直立して微動だにしない妙子の姿があった。
妙子は階段の手摺の横に立って壁の方を見つめている。
「そこで何してるの!? 女将は本当に見つかったのかい!?」
三谷はそう言って妙子に近づき肩に手を触れた。
気色の悪い感触がして手を見ると、ベッタリと血糊が付いている。
「えっ……?」
驚いて顔を上げるとちょうど妙子がこちらに振り返るところだった。
三谷は逃げ出すこともなく口をあんぐりと開いたまま様子を見守っていた。
振り返った妙子の両目の穴には大きなカタツムリの渦巻きが入っており、薄っすらと笑った口元からは無数の虫が出入りしていた。
「おいおいおいおい……」
間の抜けた声をあげていると背後に気配を感じ咄嗟に振り返った。
ボキっ……
鈍い音とともに三谷の視界は上下にくるりと反転した。
彼の意識はそこで途絶えた。
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