ケース3 旅館㉚

 

 コンコン……

 

 そうしているとまたしてもノックの音が聞こえた。

 

 

「お食事をお持ちしました」

 

 

 そう言って三谷は中井の幸恵を連れて部屋にやってきた。

 

 

「おい亀。冴木を呼んで来い。ここで飯にするぞ」

 

 

 卜部はさり気なく御膳の上に並べられた献立をチェックして言った。

 

 

「らじゃあ!」

 

 かなめは敬礼すると翡翠を呼びに隣の部屋に駆けていった。普段なら亀を訂正するところだが食事を前に無駄な時間は使わないのである。

 

 

 かなめが翡翠を連れて戻ってくると料理の支度は済んで、三谷と幸恵はいなくなっていた。

 

 

 

「最後の晩餐にならないことを祈って……」

 

 

 固形燃料の揺らめく明かりに照らされて影の差した顔で、卜部はニヤリとしながらつぶやいた。

 

 

 

 卜部のブラックジョークを笑うものは誰もおらず、水鏡の顔は、完全に恐怖で引きつっていた。

 

 

 

 卜部はその反応を見て満足したのか何度か頷いてからすき焼きを卵液に浸して頬張った。

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 コンコン……

 

 

 

 意識の外で音がしたが夏男はアクリルケースに入ったムカデ鑑賞の真っ最中だった。

 

 

 夏男はどの昆虫と戦わせようかと思案を巡らせていた。それなのに……

 

 

 

 コンコン……

 

 

 

 煩わしいノックの音に夏男は声を荒らげた。

 

 

「今度は一体全体何なの!?」

 

 

 

「お食事をお持ちしました」

 

 

 夏男はその言葉で唐突に腹が減った。怒りも忘れて中に呼び寄せる。

 

 

「どうぞ……」

 

 

 

 三谷と幸恵は机の上を見て絶句する。

 

 バラバラになった昆虫の遺骸や、標本の数々が所狭しと並べられ、机の中央に置かれた透明のケースの中では二十センチはあろうかという巨大なムカデが動いている。

 

 

 

 料理の置き場に困っていると夏男は黙って床を指さした。

 

 三谷と幸恵は顔を見合わせてから、仕方なく床に料理を配膳してそそくさと部屋を出た。

 

 

 夏男は生肉をちぎるとそれをムカデの入ったケースに放り込んだ。ムカデは肉の臭いに反応して首をもたげる。

 

 

 夏男はその様子を満足気に眺めながら食事に手を付けた。

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「あんなのと一緒になれなんて女将も酷ですね……」

 

 

 幸恵がポツリとこぼした。

 

 

「幸ちゃん……その話はするな……」

 

 

 三谷は無機質な声で言う。

 

 

 

「でもあんなに気持ち悪い人……女将の亡くなった旦那さんの……ほら! 春男さんだって、あんなに酷くは……」

 

 

 

「幸ちゃん!! あんたも分かってるんだろ!? もうその話はすんじゃねぇ!!」

 

 

 

 三谷の剣幕に幸恵は黙って頷いた。

 

 

 

「それより……妙子さんまで消えてしまって……どうなってんだ」

 

 

 幸恵は返事をするかわりに面倒くさそうに首をかしげて見せた。

 

 

 

 それを見て三谷は無性に腹が立ってきた。

 

 

 

 この仲居はどうにも扱いづらい……女将には従順なくせにそれ以外にはなんとも気怠そうな態度を取る。

 

 

 三谷は大きくため息をついてから諦めたように幸恵に指示を出す。

 

 

「俺はちょっと別館に女将を探しに行くから、幸ちゃんは本館でお客様の対応と片付けをしておいて」

 

 

 幸恵は黙って頭を下げると受付の奥へと消えていった。

 

 

 

 取り残された三谷はやけに霧っぽい渡り廊下の方を見た。

 

 

 今からそこを通って別館に向かうと思うと、なぜだか急に身震いがした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る