ケース3 旅館㉘
卜部はくしゃくしゃの髪をかき上げた右手を後頭部でピタリと止めた。
窓の外の闇を睨みながら卜部はそのままの姿勢で固まっている。
「先生どうかしたんですか……?」
かなめが尋ねた。
「一人やられた……」
「え?」
「こっちに来い」
卜部はポケットからラークの箱を取り出すとそこから一本つまみ出して火を点けた。
ほのかに甘いタバコの香りが煙となって立ち上る。
卜部は人差し指と中指の根本でタバコを挟むと、その手で口を覆うようにしてタバコをふかした。
「いいか……よく聞け。これからここで起こるのは今までみたいな霊体相手の事件じゃない……今回の怪異は実体を持っている……」
「それってどういう……?」
卜部は窓の外を見つめたまま白い煙を細く吐き出し答えた。
「強力な呪物が直接殺しにくるってことだ……」
いつのまにか卜部の顔から遊びが消えていた。
いつものどこか余裕のある表情から一変して、今の卜部の表情は氷のように冷たい。
一人やられた……
かなめは卜部のその言葉から、悲しみや怒りにも似たやり切れなさ感じ取っていた。
いつも自分にとって何の益にもならないような危険な依頼を受けるのは卜部が言う個人的な衝動ゆえなのだろう。
その個人的な衝動が何なのかはかなめにもわからない。
けれども、卜部の個人的な衝動は、いつでも結果的に誰かを助けることになるのをかなめは知っていた。
それだけにやり切れなさを滲ませる卜部の横顔がかなめには辛かった。
先生のせいじゃない……そう言ったところで卜部が自分自身のことを赦さないだろうことは分かっていたが、かなめは怒られるのも覚悟でつぶやいた。
「先生のせいじゃないと思います……」
卜部は少し驚いた顔をしてかなめを見つめた。
「やれやれ……お前に心配されてるようじゃいかんな……」
小さくこぼした卜部の言葉に「え?」とかなめが聞き返すと同時に、大量の煙が顔めがけて吹きかけられた。
「ゲホゲホっ……何するんですか!! いきなり!!」
「うるさい。虫除けだ。これも持っとけ」
そう言って卜部は封の切られたラークを一箱投げて寄越した。
「虫除けって……?」
かなめはなんとかキャッチしたタバコの箱を観察しながら尋ねた。
「でっかい虫退治の時間だ」
フッと冷たく笑う卜部の表情はいつも通りの卜部に戻っていた。
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水鏡は部屋で頭を抱えていた。
「くそー。どこ行っちゃったんだろう……」
落ち着き無くウロウロする水鏡に、翡翠はお茶を煎れる。
「卜部先生に正直にお話なっては……?」
その言葉を聞いて水鏡の表情が凍りつく。
「そんなことしたら殺されちゃうよ……ただでさえ無理難題押し付けてるのに、クライアントが失踪したなんて言えるわけないじゃない……!!」
「ですが、そうするうちにも状況は悪化する一方かと……」
水鏡はうなだれて大きなため息をつくと、観念したように卜部の待つ鵺の間へと向かうのだった。
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