ケース3 旅館㉕
かなめと翡翠が小さなカラオケルームで盛り上がっていると何の前触れも無く旅館の明かりが消失した。
突然の暗闇に二人は狼狽したが、壁に備え付けられた懐中電灯が発光して、自らの存在を知らせた。
「停電ですかね……?」
懐中電灯を手にとってかなめが言った。
「そのようです……かなめさんは卜部先生のところに戻ってください」
翡翠はそう言うと手探りで鞄からペンライトを取り出した。かなめは翡翠のペンライトを感心したように見つめていた。わたしもペンライト買おう……
カラオケルームの外に出ると非常灯が足下を頼りなく照らしていた。非常灯の届かない天井や廊下の奥では、音もなく闇が蠢いている。
かなめは蠢く闇を見つめてゴクリと唾を飲む。翡翠もただならぬ気配を感じ取っているようで、凛とした立ち姿が微かに震えているように見えた。
「とりあえず部屋に行きましょう!」
こうして二人は部屋を目指して歩き始めた。
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明かりの消えた館内で従業員たちは女将を探し回っていた。
「お、女将が何処にも見当たりません……」
中居の幸恵と妙子がうろたえた様子で板前の三谷に報告した。
「一体どうなってるんだよ……」
三谷は頭を掻きむしってつぶやく。
「そうだ!! 若女将は!?」
三谷の問いかけに二人は首を横に振った。
「まったく……とにかく二人は女将と若女将を探して。僕はお客様に頭を下げに行ってくるから……」
そう言って三人は散り散りに動き始めた。
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館内が騒然とする中卜部は自室の窓際に座って禅を組んでいた。
部屋に帰ってからかれこれ一時間ほど自身が持つ特殊な感覚を広げて館内の気配を探っていたが、探れども探れども核心には届かない。
それどころか邪悪な
となると……
やはりこっちか……
卜部は無意識に、あるいは意識的に避けていた方向へと感覚を展開していく。そこには別館へと続く渡り廊下があることを卜部は知らない。
擬似的に作り出された重たい鉄の扉を開こうと、取っ手に手をかけた瞬間。
激しい痛みがこめかみを貫き、卜部の感覚が寸断される。
たまらず頭を押さえて唸っていると、扉が開く音がした。
「先生!! どうしたんですか!?」
バタバタとかなめが側に駆け寄ってくる。
「なんでもない……」
卜部はそう言って立ち上がると窓際に置かれた丸椅子に腰掛けた。
かなめは卜部の向かいの丸椅子に腰掛けて卜部に尋ねる。
「気が空っぽっで調子が悪いんですか?」
「いや。気が空っぽってのは語弊があったな。正確には限りなく陰に偏ってる状態だ」
「陰にですか……」
「ああ。邪神を押さえつけるのに陽の気を大量に持っていかれた。それこそ俺が普段からコツコツ積んでた徳までほとんど持っていかれた……」
おかげで肉は食べ放題だったわけだが……卜部はやれやれと言った様子で続けた。
「陰に対抗するには基本、陽の気を使う。その陽の気が空っ欠ってことだ」
「それって大変じゃないですか!? 陽の気はどうやったら戻るんですか!?」
かなめは思わず立ち上がった。
「不幸中の幸いはここの温泉だな。多少気が戻った。それに……」
「それに……?」
「外法だがより強力な陰で、相手の陰を飲み込む方法もあるにはある……」
薄暗い部屋の中、卜部の顔に闇よりも濃い影が差したような気がした。
「それって危険な方法なんじゃ……?」
卜部は否定も肯定もせずに窓の外を眺めている。激しい雨が窓を叩く。
「そんなのダメです……!!」
かなめは今にも泣き出しそうな声を絞り出す。
チラリとかなめの方を見て、卜部はやれやれと首を振って言った。
「大丈夫だ。心配するな。占いの結果も悪くない」
「どんな結果だったんですか……?」
かなめはおずおずと尋ねた。
「俺の結果が地火明夷。まあ困難でも明けない夜はないってことだ」
「何ですかそれ。じゃあわたしのは?」
かなめは少し呆れたように笑って言った。
「雷水解。行動すれば困難が解消する。南西の方角が吉」
「南西が吉……」
かなめはなぜかそれが頭に引っかかった。しかし答えは出ない。
「ま。どっちの象意も困難の後に幸いありだ。正道を保てば自ずと道は開かれる」
かなめはコクリと頷いた。
ちょうど同じ頃、別館で地獄の釜が開く音がした。
卜部の首筋にチクリとその気配の片鱗が届いたが、卜部は目を閉じて黙っていた。
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