ケース3 旅館㉓


「ありえないありえないありえないありえない」

 

 女将は部屋を出てからずっとぐるぐると回りながらつぶやいている。

 

 

「女将!! 警察と救急車を!!」

 

 しびれを切らした板前の三谷は女将の千鶴に向かって大声をだした。

 

 

 女将は立ち止まると三谷を睨みつけた。あまりの形相に三谷は言葉を飲み込む。

 

 

「わかってるわよ!! そんなのは後でいくらでもできる!! それより先代が死ぬなんてありえないのよ!!」

 

 

 女将は叫んでそう言うと親指の爪を噛みながら一階へと向かった。

 

 

 三谷も慌てて後を追った。こんな場所に独り残るなんて耐えられやしねぇ……

 

 

 

 

 女将が戻ってきたのを見て幸恵と妙子の顔にも緊張が走った。

 

「お、女将……どうでしたか……?」

 

 震える幸恵に代わって妙子が尋ねた。

 

 

 

「死んでたわ」

 

 

 

 女将は感情の籠もっていない声でそう言うと、妙子に警察と救急に電話するように指示を出す。

 

 

 

 妙子は黙って頷くと本館へと伸びる渡り廊下へ駆けていった。

 

 

 

「三谷さん。従業員を集めてちょうだい。幸恵さんもしっかりして。実の親が死んだわけでもなし……いつまでも座ってたら邪魔よ!!」

 

 

 

 女将の剣幕に幸恵はコクコクと頷くとふらつきながらも立ち上がった。

 

 

 三谷が他の従業員を呼びに本館へ向かうと、妙子が血相を変えて戻ってきた。

 

 

 

「妙子さん電話は済んだんですか?」

 

 

 女将が尋ねる。

 

 

「そ、それが……電話が繋がらないんです……」

 

 

 ええぇ!? と苛立った声を上げて女将は妙子を睨みつけた。

 

 

「まったく!! 自分でかけます」

 

 

 千鶴ドタドタと受付の黒電話まで駆けていくと受話器を取った。受話器からは話し中を告げる電子音がツーツーと聞こえるばかりだった。

 

 

「なんなのよ!!」

 

 

 

 

 

 

 女将は厨房に走っていくと、つまみ食いしていた庭師の坂東に向かって怒鳴った。

 

 

「坂東さん!! こんな時に何つまみ食いなんかしてるんですか!? たった今先代が死にました!! 電話が通じないの!! すぐに山を降りて警察と救急車を呼んできて頂戴!!」

 

 

「ぬあああい」

 

 

 坂東は口いっぱいに食べ物を詰めたままモゴモゴと返事をして慌てて勝手口から外に出て行った。

 

 

 

 軽トラの走り去る音を聞きながら女将は頭を抱えてつぶやく。

 

 

 

「どうしましょうどうしましょうどうしましょう」

 

 

 

 唐突に思い立って千鶴は再び別館へと向かって走っていった。

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