ケース3 旅館⑫

「かなめさんのご想像通り、以前私の胸を褒めたのは水鏡先生です」

 

 翡翠は鎖骨から上を湯船の上に出し、少しだけ首を左にかしげて右上に目線をやった。

 

 立ち上る湯気の中に浮かぶその姿があまりに色っぽく見えてかなめは息を飲んだ。

 

 

「やっぱり!! でもそれってよく考えたらセクハラじゃないですか……?」

 

 

「私もそう思います」

 

 

 翡翠はそれを聞いてクスクス笑いながら言った。

 

 

「だけど当時の私は心を病んでいてまるで生きる屍のようでした」

 

 

 かなめは驚いて視線を上げる。

 

 

「服は何日も同じものを着て、髪もボサボサで、自分で言うのもアレですが見る影もなかったと思います」

 

 

 

「だけどそんな私をあの人は見つけ出して、自殺しようとしていた私を見るなりこう言ったんです……」

 

 

 

「死んじゃいけない! 君のその豊かなおっぱいが失われるのは人類にとっての損失だ!! って」

 

 

 

 そう言って翡翠はいたずらっぽく舌を出して見せた。かなめはそれを見て思わず吹き出してしまった。

 

 

「もう!! 良いムードだったのにぃ!!」

 

 かなめは叫んだ。それを見て翡翠が苦笑いを浮かべる。

 

 

「ほんとに。だけどそれを聞いて何だか死のうとしてたことがバカバカしく思えてしまって、こう言ってやったんです」

 

 

「私を生かしたんだから責任取れ!! って。それから先生の秘書として一緒に仕事をしています」

 

 

 かなめはそうだったんですね……と相槌を打つ。

 

 

「普段は女にだらしない上に、どうしようもない男ですが、水鏡先生のメンタリストとしての腕は一流で、一緒にいる間に私の心の問題はすっかり解決されてしまいました。悔しいことに……」

 

 

 翡翠はかなめの方を見て困ったような笑みを浮かべて話した。その表情からは水鏡に対する感謝と好意が滲んでいた。

 

「悪さしないように見張ってるんですね」

 

 かなめがニィと笑ってそう言うと、翡翠はそういうことですとウインクしてみせた。

 

 

 

「さ! 次は私の番です! かなめさんは卜部先生のことどう思ってるんですか??」

 

 

 翡翠は体ごとかなめの方に向き直るとずいずいと顔を近づけて尋ねた。

 

 

「は!? ち、近いです!! べ、別にどうとかそういうのでは……」

 

 

 かなめは迫ってくる翡翠を両手で押し返しながら、耳まで真っ赤に染めて叫んだ。

 

 

「ずるい!! 私は正直に話しましたよ!! かなめさんにも正直に話していただきます!!」

 

 

 そう言って翡翠はかなめの脇腹をくすぐった。

 

 

 

 

「ぎゃあああああ!! す、すみません!! 言います!! 言います!! 翡翠さんストップ!! ぎゃああああ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 かなめの絶叫は男湯で禅を組む卜部の耳にも届いていた。

 

 卜部はやれやれとため息を吐きながら一層深く精神を岩風呂と夜の闇に融かす羽目になるのだった。

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