ケース3 旅館⑪

「お母さん千代ちゃんのこと信じてるから」

 

 そう言って優しく微笑む千鶴の目は確定した未来を見据えて満足そうだ。

 

 いつもそうだった。母が自分を見ていると感じたことは一度もない。母が見ているのは私を利用して手に入れることができる未来。それだけ。

 

 

 千代は目線を逸してコクリと頷くと食べかけの賄に手を伸ばす。

 

「さ! 無事に話も済んだことだし、千代ちゃん離れの義父さんの様子を見てきてもらえるかしら」

 

「・・・」

 

 ただでさえ不味くなった食事の味が、その一言で砂を噛んでいるような感触に変わる。

 

「お願いね!」

 

 そう言って千鶴は受付のカウンターの方へ消えていった。

 

 

 千代が恨めしそうにそちらを見ていると上機嫌な母の話し声が聞こえてきた。電話の相手はおそらく夏男だろう。

 

 

 千代は憂鬱な気持ちで皿に残った賄を見つめた。そこには白く濁った目でこちらを見つめる鯛の死骸が横たわっている。

 

 

 食べる気が失せた残りの煮付けを、なかば八つ当たり気味にゴミ箱に放り込んで千代は離れで眠る祖父のもとに向かった。

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 そのころ水鏡はサウナで冷や汗を流していた。

 

 

「せ、先生……もう限界ですよ……」

 

「まだだ」

 

 目を瞑り座禅を組んだ卜部が言う。卜部の身体は紫色に変色した無数のミミズ腫れに蝕まれていた。

 

 

「ぜ、全容は……お話したじゃありませんか……」

 

 

「黙れ。お前だけ楽するのは許さん。最後まで付き合え」

 

 

「勘弁してくださいよぉ……」

 

 

 

 水鏡は大きなため息をつくと、名案が浮かんだようでハッと目を輝かせて立ち上がった。

 

 

「そうだ!! ちょっと女湯を覗きに行きませんか? 痛っったーい!!」

 

 

 卜部は濡らしたタオルで思い切り水鏡をひっぱたいた。

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「なんか今、水鏡さんの叫び声が聞こえませんでした?」

 

 かなめはキョロキョロあたりを見回して言った。

 

「女湯を覗こうとして、卜部先生に阻止されたのではないかと……」

 

 翡翠は露天風呂の仕切りを睨んで言った。

 

「あはは……なるほど」

 

 

「どうかなさいましたか?」

 

 

 かなめが翡翠の凶悪なバストを凝視しているので翡翠は不思議そうに尋ねた。

 

 

「す、すみません。あまりに豊かなお胸だったものでついつい凝視してしまって……」

 

 

 それを聞いた翡翠は目をまん丸にして驚くと、クスクスと笑い始めた。

 

 

 

「わ、わたし何かおかしいこと言いました……?」

 

 

 かなめが尋ねると翡翠はしばらくクスクス笑ってから答えた。

 

 

 

「いいえ。ただ以前にも同じようなことを言われたことがあったもので、つい」

 

 

「それってもしかして……」

 

 

 かなめがそう言うと翡翠はミステリアスな笑みを浮かべて内緒ですと笑った。

 

 

「いいじゃないですか!! 教えてください!! ひーすーいさーん……」

 

  

 かなめが食い下がると翡翠はどうしようかと迷った素振りをしてから「じゃあ……」と切り出した。

 

 

「交換条件です。私も話しますので、かなめさんも私の質問に一つ答えてもらいます!」

 

 

「そんなぁ……」

 

 

 かなめは頭を抱えてウンウン悩んだあげく分かりましたと言って鼻まで湯船に浸かってブクブクと泡を立てた。

 

 

「交渉成立ですね」

 

 

 そう言って笑うと翡翠は話し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る