ケース3 旅館⑦

 パタパタと不慣れなスリッパの音が、人気ひとけのない薄明かりの廊下にこだまする。清潔な日本家屋が持つ独特の匂い。畳や木や竹が放つ甘いような匂い。かなめにとってそれはつまり旅先の香りだった。


 懐かしいような照れくさいような記憶をくすぐる香りも相まって、妙な緊張感に胸をそわそわとさせながら卜部の後を追う。

 



「せ、先生!! 本当に相部屋にするんですか!?」

 

 たまらず後ろから声をかけた。

 

「何が悲しくて鈴木の阿呆と一緒の部屋に泊まらにゃならんのだ!!」

 

 卜部は振り向きもせずにそう答えると鵺の間と書かれた扉の前で立ち止まった。

 

 扉の上に掛けられたテカテカと光沢を放つ歪んだ天然木の板には「鵺の間」の文字とともに奇っ怪な生き物が描かれていた。

 

 その生き物は猿のような虎のような蛇のような、いかんとも形容し難い姿をしている。

 

 

 

「なんだか気味の悪い絵ですね……」

 

 かなめは小声で卜部に囁いた。

 

「鵺だ。猿の面、狸の胴、虎の手足、蛇の尾。神獣ととるか化け物ととるか……」

 

 卜部はそう言って皮肉っぽい笑みを浮かべると扉を開けて中に入っていった。

 

 

 

「うわぁ!!」

 

 かなめは豪華な和室の内観と正面に広がる一面の窓に思わず声を漏らした。

 

 窓に駆け寄って外を眺めると山々は全てを呑み込むような闇に姿を変えて建物を包囲していたが、その闇の真中でハロゲンランプの外灯に照らされたされた美しい庭園が悠然と闇を退けていた。その隅ではライトアップされた紅葉が暗闇の中で赤々と燃え盛っている

 

 

 

 

「ほう。見事なもんだな」

 

 かなめが見惚れているといつの間にか卜部も隣に来て庭園を眺めていた。

 

「良いところですね!!」

 

「どうだかな」

 

 卜部はそう言いながら茶葉と茶菓子の入った漆塗りの桶の蓋を開けていた。

 

「明日は紅葉狩りですね!!」

 

 

 

「亀、お前緑茶と梅昆布茶うめこぶちゃどっち飲む?」

 

「かなめです!! 梅昆布茶を」

 

 

 

 二人は座卓で梅昆布茶とお茶請けのモナカを頬張った。

 

「流石に高級旅館だけあって茶も茶請けも高級品だな……」

 

「ふぁい! おんなのたえたことあいませんこんなの食べたことありません

 

 

 頬張りながら話すかなめを、卜部が目を細めて見ていると扉をノックする音が聞こえた。

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