ケース3 旅館⑧

「先生!! 水鏡です!! お夕食どうしましょうか? 今後の打ち合わせを一つ!!」

 

 扉の外から水鏡の調子のいい声が聞こえてきた。

 

「少し話してくる……」

 

 卜部は舌打ちして廊下へと出ていった。

 

 独り部屋に残されたかなめは貴重品用の金庫を開けたりテレビの電源を入れたりしながら宿の風情を満喫していた。

 

 部屋は二部屋に別れており、それとは別に窓際には板張りのスペースと小さな冷蔵庫があった。

 

 襖を開けるとそこは寝室になっていた。かなめはなんとなく気恥ずかしくなって慌てて襖を閉めて、座卓に座り直して荷物の整理を始めた。

 

 

 歯ブラシや化粧品を机に並べているとゴン……と窓に何かがぶつかる音がした。

 

 窓に目をやると大きな蛾が窓にぶつかりながら羽をばたつかせている。

 

 

「大きいな……光に集まってきたのかな……」

 

 

 かなめは何度も窓に体当りする蛾が哀れに思えてカーテンを閉めようと窓へと向かった。

 

 

 ふいに妙な胸騒ぎがして微かな恐怖の気配が左耳の後ろ辺りを撫でた。

 

 

 かなめは窓の向こうの暗闇とパタパタと音を立てながら狂ったように窓に身体を打ち付ける蛾をできるだけ見ないように急いでカーテンを閉めた。

 

 

 座卓に戻ろうと窓に背を向けると、カーテンの隙間から、白塗りの顔が、こちらを覗いている。

 

 

 

 そんな嫌な映像が脳裏に浮かぶ。

 

 

 

 自分の恐怖心から来る妄想だと思いながらも振り向くのが怖い。

 

 

 それでも振り向いて確認しないわけにはいかない。

 

 

 かなめはゆっくりと窓の方に振り返った。

 

 

 何もない。閉じられたカーテンの隙間から覗く者はいない。

 

 

 ふぅ……

 

 

 安堵して座卓に向って一歩進むと天井裏からカリカリと音がした。

 

 

 カリカリ……

 

 カリカリカリ……

 

 

 立ちすくんで天井を見つめていると扉の開く音がした。

 

 

 

「亀、飯だ。冴木がお前と食いたいそうだ。一階の座敷に行くぞ」

 

 

 

「は、はい……今行きます」

 

 

 かなめはもう一度天井を見上げたが、もう音はしなかった。

 

 かなめは鍵を持つと急いで卜部の方へ駆けていった。

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