ケース3 旅館⑤
水鏡はロードサービスに連絡しようと携帯を取り出した。しかし一向に電波が繋がらない。どうやらこの辺り一帯が圏外のようだ。
「と、とにかく、旅館までそんなに距離もないんで歩きますか!」
水鏡はそう言ってへへっと笑った。すると翡翠が深々と頭を下げる。
「このようなことになって申し訳ありません。この能無しに運転を交代した私の責任です」
「冴木くんはレース用の免許も持ってるんだよ」
翡翠が睨みつけると水鏡はシュッと車の影に引っ込んだ。
「とにかく行くぞ。ここにいてもどうしようもない」
卜部がトランクを開けたその時だった。
後方から車のクラクションが鳴り、四人は一斉にそちらを振り返った。そこには型番の古いスバルのサンバーが停まっていた。
「ありゃー。こりゃ大変だ。もしかしてウチのお客様ですか?」
窓から顔を出したのは、薄くなった頭頂部に白髪交じりの髪を短く刈り込んだ作業着の男だった。
「いやー! 助かった!! 予約していた水鏡です!!」
水鏡は満面の笑みで両手を広げて男に近づいていった。
「あらーやっぱりそうですか。ここらは携帯も繋がりませんので、車はそのままにしてまずは旅館まで行きましょうか」
そう言って男は軽トラックから降りてきた。彼の着ている紺色の作業着の背中には、丸の中に忌の字が入った紋があしらわれていた。
「ちと汚いですが、後ろに荷物を載せて、皆さんも一緒にそこに乗ってくださぃ」
そう言ってこの男はトラックの荷台に荷物を運び始めた。
荷物を積み終わり一行が荷代に乗ると車は旅館へと向けて出発した。
すでにあたりは薄暗くなっており、あの不気味な森を歩かずに済んだことにかなめは心底ホッとした。
「いやぁー大将!! 助かりました!!」
水鏡が荷台から叫ぶとカカカと笑う声が返ってきた。
「大将はよしてください!! 私は
荷台に四人を乗せたトラックはガタガタと揺れながら忌沼温泉へ続く山道を進んでいった。
辺りが漆黒の闇に包まれたころ、暗闇の中にポツポツと灯籠の明かりが並んでいるのが見えてきた。車はその灯籠の前で止まった。
「着きました。こちらが忌沼温泉旅館になります」
明かりの灯った灯籠が両脇に並んだ玉砂利の小道の先には「忌沼温泉旅館」と書かれた重厚な一枚板を掲げた旅館があった。
旅館からは暖かな黄色い明かりが漏れており、それが旅館を闇の中にぽうと浮かび上がらせている。
かなめは清流のせせらぎに耳を傾けながら、冷たく湿った空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
旅館の暖かな明かりに安心したためか、かなめは先程の不吉な出来事も忘れて、むくむくと膨らんでくる食欲に気持ちが移っていくのだった。
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