ケース3 旅館④

 市街地の渋滞を抜け高速に入ると、人の営みはぐんぐん遠ざかった。


 道路の両脇は深い山に囲まれ、美しい十一月の空には光沢を帯びた薄雲が輝き、紅や黄に色付いた木々が冷たい風に揺られながら次世代のために今年の命を散らしていた。

 

 

 

「先生!! すごく綺麗ですよ!!」

 

 かなめが車の窓に張り付きながら卜部の太ももを叩く。卜部はシートを深く倒して両腕で目を覆っていた。

 

 

「これから行くところはこんなもんじゃないよ!! 絵にも描けない美しさ!!」

 

 運転しながら水鏡が自慢げに話す。

 

 

「水鏡さんはよくそこに行くんですか?」

 

 かなめはバックミラー越しに水鏡に尋ねた。

 

「ま、まあね!! 仕事の合間に行く程度だけどね!!」

 

 

 一瞬水鏡の表情が曇った。しかしかなめはそんなことには微塵も気が付かない。水鏡はチラリと鏡を覗くとカーステレオのスイッチを入れた。

 

 荘厳なストリングスのイントロが流れ一息の休符を合図にエアロ・スミスが美しいバラードを静かに歌い始める。

 

 かなめはそれをいい気分で聞いていた。眠っていた卜部もピクリと反応して、流れる歌に耳を傾けたのをかなめは見逃さない。

 

 

 

 しかしである。サビに差し掛かると案の定水鏡が大声で歌い始めた。

 

 

 

「ドンワナ クローズ マイ アーイズ!! ドワナ フォール アスリープ!!」

 

 

 

 

 全員が頭を抱える酷い歌に翡翠がカーステレオの電源を切って真顔で言い放つ。

 

「水鏡先生。おやめください。マジの方です」

 

 水鏡はへへへっと照れ笑いを浮かべていたが翡翠の真顔に負けて小さい声ですいません……とこぼした。

 

 

 卜部はその様子を見て、右手に構えていた革靴をそっと下ろした。

 

 

 

 その後も水鏡と翡翠が交代で運転し、数時間高速道路を走り続けた。

 

 時刻が午後三時を回ったころ、一行は一般道に降りてぐねぐねと続く山道を走っていた。

 

 

 

「ここからはナビにも道が表示されないから、僕が運転するよ」

 

 

 

 そう言って水鏡は運転席に座り、手書きの地図を確認してから車を発進させた。

 

 

 

 アスファルトで舗装された道路を暫く進むと、車は速度を落とした。すると普通に走っていれば見落としてしまうであろう、未舗装の道路が森の奥へと続いている。

 

 

 砂利道の両脇には苔むしたお地蔵のようなものが並んでいた。

 

 

「ここだ……ここだ……」

 

 水鏡はぼそりと呟いてハンドルを切った。 

 

 西日が植林された針葉樹の隙間から差し込み、これから進む道の先を頼りなく照らしている。

 

 かなめはなぜか背筋がぞくりとするのを感じて咄嗟に卜部に目をやった。卜部は相変わらず腕で顔を覆っていてその表情はわからない。

 

 

 しかし心なしか卜部からも張り詰めた気配を感じる。

 

 

 

 ハイラックスの太いタイヤがガリガリと砂利道を削り、騒々しい音を立てて一行は森の奥へと進んでいった。

 

 道は緩やかな下り坂になっており、どうやら谷底の方へと向かっているようだった。

 

 

 

 車内はなぜか静まって誰も言葉を発しない。

 

 かなめは心細い気持ちを紛らわせようと窓の外を眺めた。

 

 

 ゾっとした。

 

 

 森の中に布で作られた人形が大勢立っている。

 

 間抜けな顔をした可愛らしい人形たちは一様に古びたボロキレを身にまとい、まっすぐにこちらを見ていた。

 

 それが数十体、あるいは百体を超して立っていると、のどかな田舎の風景ではすまされない。

 

 

 そこには何かしらの強い狂気が感じられた。

 

 

 かなめが目を離せずに人形たちを見ているとその中の一人がこちらを指さした。

 

 かなめは心臓が飛び出しそうになったが、それは人形ではなくほっかむりを被った老婆だった。

 

 

 

 老婆はこちらを指さしたまま真っ黒な瞳でかなめの顔を見つめると、口を大きく開いた。


 まるで何かを伝えようとしているように。

 

 

「水鏡さん!! 止まってください!! おばあさんが!!」

 

「え? 何だって?」

 

「おばあさんがあそこに!!」

 

 

「どこ??」

 

 

 水鏡が脇に目をやった時だった。卜部が突然起き上がってかなめを引き寄せた。

 

「おい!! 前を見ろ!!」

 

 水鏡は慌てて急ブレーキを踏んだが、車は砂利道を外れて谷に乗り出した。

 

 

 

「水鏡先生!! 何をなさってるんですか!!」

 

 翡翠が叫ぶ。

 

「ごめんごめん。あぶねぇー。とりあえず降りようか……」

 

 水鏡はポリポリと頭を掻きながらドアを開けて外に出た。

 

 

 

 車を降りてみると前輪が完全に宙に浮いていた。谷はさほど深くはなかったが、あのまま飛び込んでいれば怪我人が出ていただろう。

 

 かなめはハッとして引き返し森の中の老婆を探したが、そこには気味の悪い人形が佇むばかりで人の姿はなかった。

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