ケース2 プール⑰
榛原大吾は窓の奥に広がる闇を見つめていた。
気のせいではない。
暗闇の奥にぼぅっと浮かび上がる赤ん坊の影。
それがゆっくりこちらに向かって這ってくるように見える……
いけない……あれに捕まってはいけない……
直感が警報を鳴らす。数々の不都合を回避してきた百戦錬磨の直感が叫ぶ。
あれと関わってはいけない!!
しかし体が言うことを聞かない。微動だにすることができない。
ひた
ひた
ひた
ひた
ひた
とうとう伸ばされる手足の音さえ聞こえてくる。
逃げ出したい衝動に駆られながらも、男はそれから目を離すことができない。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
見たくない見たくない見たくない見たくないぃぃぃぃいい!!
目を瞑ろうとしても、必死で顔を背けようとしても、恐怖に固まった相貌は意志に反して怪異を凝視し続ける。
たどたどしく伸ばされる手足。よろけて躓けば崩壊し、赤黒く壊死した肉片がズルリと剥け落ちる。
「そのまま崩れて死んでしまえ……!!」男は大声で叫んだ。
しかしそんな男の願いも虚しく、どれだけ惨たらしく崩れてもそれが止まることは無かった。
とうとう窓ガラスにそれは到達する。
は、入ってくる……!!
男が戦慄しながら為す術もなく震えていると、それが窓に触れた。
え!? 男は目を疑った。
「き、消えた……!? た、助かったのか……?」
ぐっ……
ぐ
ぐ
ぐ
ぐ
グググッ
自分の意志を無視して首が背後に振り向かされていく。
背後に振り向く途中に鏡が目に入った。
そこに写る自分の姿を見て榛原大吾は悲鳴をあげた。
たくさんの赤ん坊の小さな手が、自分の顔を掴んで後ろに引っ張っている。
瞼をつまみ、唇をつまみ、顔を固定する無数の小さな手。
振り向いた先には窓の向こうにいたはずのドロドロに崩れた赤ん坊の姿があった。
赤黒く腐った肉塊が黒い孔をパクパクとさせて何かを囁く。
その孔から生暖かい息が吐き出された。酸い臭いが男の鼻を突き、男はそのままの姿勢で嘔吐した。
「げぇえええ!! うおえぇぇええええ!!」
吐瀉物に構わず、赤ん坊が口の中に侵入してくる。全身に鳥肌が立ち、腹筋が異常な収縮を繰り返し侵入者を拒絶する。
「ううううぅううううんんんん!! おおおぉぉおおおおんん!!」
すべて口に入ったことを確認したかのように、無数の赤ん坊の手が口に当てられ、吐き出すことを許さない。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だぁあああああああああああ
ピリリリリリ
ピリリリリリ
ピリリリリリ
携帯の着信音が鳴り響き、それと同時に赤ん坊達の姿が消えた。
「うおぇええええええええええ!!」
榛原大吾は洗面所に駆け込んで赤黒い汚物を吐き出した。口内に残る残渣は、生臭いような、鉄臭いような、酷い異臭を放っていた。
ピリリリリリ
ピリリリリリ
ピリリリリリ
目をやるとソファに打ち捨てられた携帯が鳴り続けている。
覚束ない足取りでフラフラと近づいて受信ボタンを押す。
「もしもし大吾くん? そっちも赤ん坊の声が聞こえるんでしょ? 解決法が見つかったの。今夜プールに来て」
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