ケース2 プール②

「それからというもの奇妙な音や気配を頻繁に感じるようになりました。そのうえ別の噂まで耳にするようになって……あんな事件まで……」 

 

「詳しくお聞かせください」助手の万亀山かなめは神妙な面持ちで依頼人に尋ねた。

 

「実は……」

 

 依頼人は再び話し始めた。

 

 夜のプールでの一件以来、私はプールの中で妙なモノを見るようになりました。指導中に水の中に潜ると、一番遠いプールの角の暗がりや、列になって泳ぐ子どもの隙間から、例の頭がこちらを伺っているんです。

 

 さり気なく海坊主の話を聞いてみると、どうやら子ども達も頻繁に見ているようでした。それも小さい子ほどよく見ているようです。しかし子ども達は誰もそれを怖がっている様子ではありませんでした。

 

 私もそれがいることに慣れてきて、怖がらずに無視をしたり。気が付かないフリするようになりました。実害もありませんでしたし、そのうちいなくなるだろうと簡単に考えるようになりました。

 

 そんな頃です。更衣室で黒い人影がいるのを見たと、大人クラスの若い女性や、中高校生クラス女の子たちが噂するようになったんです。

 

「見た見た! 黒い人影でしょ!? 覗きかと思って捕まえてやろうと思ったらフッと消えちゃってさ! ここのプール、マジでヤバいよね」

 

「奥のロッカー近くによく出るらしいよ。ウチもそこで見た」

 

「この前、〇〇さん達のママ友グループが全員同時に見たそうです」

 

 気になって黒い人影の噂を集めてみると、皆だいたい同じような内容を話してくれました。黒い人影がこちらを見てぼうっと立っている。それにこちらが気が付くと消えてしまう。そういう内容でした。

 

 それと不思議なことに、どうやら十代から二十代くらいの若い女性にしか、黒い人影は見えないようでした。

 

 噂は徐々に大きくなってオーナーの耳にも届くようになりました。悪い噂がたつことを嫌ったオーナーは近くの神社に相談に行き、神主さんがお祓いに来ることになりました。

 

 プールサイドに注連縄が張られ、紙垂が垂れ下がり御饌が並び、厳かな空気でお祓いは進められました。オーナーと職員、インストラクターもみんな参列してお清めを済ませました。これで一安心だねと、その日はみんな和やかな雰囲気で解散しました。私もなんだか背中が軽くなったような気がして清々しい気持ちでした。

 

 ここまで話すと反町ミサキは視線を落として、先程までよりいっそう暗い顔をした。かなめは黙って次の言葉を待っていた。

 

「その次の日に事件が起こりました……子どもが一人溺れたんです……」

  

 その日の水はなんだかとても冷たく感じました。だけど前日にお祓いもしたことだし、私はただの気のせいだろうと、たいして気にも止めませんでした。だけど何人かの子どもが寒い寒いと言い始めました。

 

 私は一生懸命泳げば温かくなるよと言って、子ども達を泳がせました。

 

 そうして子ども達がビート板を使って列になって泳いでいたときです。一人の子どもがスッと水の中に消えました。

 

 あれ? と思って見ると、ビート板がゆらゆらと漂っているのが目に入りました。

 

 私は慌てて子どもが消えたあたりに泳いでいきました。そして……そこで恐ろしいモノを見ました……

 

  大量の海坊主が子どもの両足にしがみついて水の底に引っ張っているのです。しかも不可解なことに、二メートル弱しかないはずのプールの水底が、真っ黒で見えませんでした。まるで深い海の底を見ているような感じです。

 

 私は子どもの手を掴んで必死に引っ張りました。他のインストラクターにも助けを求めて叫びました。

 

 男性インストラクターの榛原さんが大急ぎで泳いできてくれました。二人で子どもの手を引っ張りました。すると海坊主達は榛原さんを恨めしそうに睨んで、暗い水底に消えていきました。

 

 プールは子ども達の泣き叫ぶ声と母親たちの悲鳴で騒然としました。恐ろしい光景でした。救急車を呼ぶ怒鳴り声や、泣き叫ぶ声を今でも夢に見るくらいです。

 

 心肺蘇生が早かったことが幸いしてその子は一命を取り留めましたが、当然スクールは辞めてしまいました……

 

 

 事務所の中が沈黙に包まれた。反町ミサキは俯いて暗い顔をしている。

 

 その時だった突如ザァーっと水の流れる音が事務所に響いた。かなめと反町ミサキは咄嗟にビクッと身体を震わせた。

 

「肝心のあんたがうちに依頼する動機が見えないな」そう言って観葉植物の脇にある扉から、鋭い目つきの男が現れた。男は無精髭を掻きながら依頼人の近くまでやって来た。

 

「噂は本当だったんですね……」反町ミサキは男を見てつぶやいた。

 

「どんな噂かは知りたくもない。俺は卜部だ。全て話す気が無いなら依頼は受けない。帰ってくれ」男は不機嫌そうにそう言い放った。

 

「先生! 依頼人さんのお話はお聞きにならないんですか?」かなめは立ち上がって卜部に抗議した。

 

「話は聞こえてた。今の話だけなら依頼人に実害は何もない。関係のない怪異なら無視していればいいだろう。水泳教室のオーナーでもないただの雇われが、なんでわざわざ自腹を切ってまでうちに依頼する必要があるんだ?」

 

 それを聞いてかなめはドキリとした。その通りだ。たしかに今の話だけなら、反町さんがうちに依頼する理由がない。ということはまだあるのだ。語られていない核心の部分が……

 

 反町ミサキは目に涙を溜めて顔を上げた。

 

「り……流産が……流行ってるみたいなんです……うちのプールで……それに子どもが死ぬ夢を見た人も……」

 

「妊娠してるのか?」卜部が静かに尋ねた。すると反町ミサキはしずかに頭を横にふった。

 

「相手がいません……だから絶対するはずないんです……それなのに……」

 

 反町ミサキはシャツの裾を捲り上げた。すると彼女のおへそのあたりが中からグッと押されるのが見えた。それはまるで小さな子どもの手形のような形だった。

 

「何かが私のお腹の中にいるんです!! 助けてください!!」

 

 反町ミサキは顔を覆って泣き崩れた。

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