第40話 白と黒の間に


 みどり食品営業販売課課長の白河颯太郎は、すらりとした背を大きく曲げて電話の向こうの相手に謝っていた。


「そうですか……。それは本当に申し訳ないことをしました。いやあ、そんなふうにおっしゃっていただけるとありがたいです。はい、これからも、皆さんが研修中にほっと一息ついていただけるようなものをお届けいたしますので。はあ、どうもありがとうございます。恐縮です」


 苦情なのか、感謝の電話なのか、どちらともとれるような対応に、営業販売課のコピー用紙の補充のために通りかかった清野マリアはなんとなく耳を傾けた。


 電話を切った後、白河課長は誰に言うのでもなくひとり言をもらした。


「まさか、みどりちゃんカードがね……」


「みどりちゃんカード?」


 好奇心を抑えきれず、コピー機の前でしゃがみこんでA4用紙を補充していた清野マリアが思わず反応した。


「ああ、ごめん。おつかれさま。うちの昔から使っているキャラクターがあるだろう。みどりちゃんって」


「ああ、あのちょっと微妙な……」


 マリアの正直な反応に、白河課長が思わず笑った。


「そう。ちょっと、昭和のデザインかもしれない。赤ずきんちゃんが緑の頭巾をかぶっているような古めかしいキャラクターだもんなあ」


「みどりちゃんがどうしたんですか」


「うん。みどりちゃんカードって、ほら、うちの弁当に入れていたカードがあっただろう。このたびはお求めありがとうございます。本日中にお召し上がりくださいっていうやつ。あれ最近廃止してシールに変えたんだけどさ、あれがすごく良かったからまた入れてねってうちの営業担当にずっと言っていたらしいお客様がいてさ、営業が俺に伝えないからいま責任者出せっていう電話がかかってきてさ、直談判されたんだよ。参った、参った」


「それはおつかれさまです」


 営業販売課のメンバーたちは出払っている。白河課長は大きなため息をついた。


「こういうお客様お一人お一人の声って、全然聞けてないんだよなあ。そこにこそ、うちの会社の成果があるんだけどな」


 マリアはどう答えていいかわからず、「そうですよね……」と言ってその場を離れた。


 そして歩きながら思った。


――うちのお弁当を食べてくれているお客さんたちのこと、私ももっと知りたいなあ。みんなもそうなんじゃないかなあ……。


 それから数日後。


 今度は黒沢課長が180cm108キロの巨体を折り曲げて電話の向こうの相手に謝っていた。


「いえ、店頭でそういうものは販売しておりません。申し訳ありません」


 清野マリアはなんとなく聞き耳を立てていた。


「あー、こういうのもブランドを守る策になるかもしれないのに。もったいないなあ……」


 黒沢課長はふと「そういえば……」と言って立ち上がり、壁際のキャビネットを開けて古い段ボール箱をごそごそとやっている。


 マリアは黒沢課長のところへ行って「何かお探しですか?」と聞いた。


 この壁一面のキャビネットの中はマリアがきちんと整理して分類している。


「どこかこの辺にさ、昔のノベルティなかったかな……。作っただろう。クリアファイルとか、エコバッグとか。すごい昔だけど……、ほら、みどりちゃんの絵がついたやつ」


「わ! またみどりちゃん!」


「えっ、また?」


「さっきのお電話ですか?」


「そうなんだよ。よりどりぐりーんでお宅の会社のキャラクターのみどりちゃんグッズの販売してますか? っていう電話なんだ」


 話を聞いていた氷川主任が「あれ?」と声を上げた。


「この間、ホームページのお問合せにもみどりちゃんグッズのネット販売していませんかっていうのがありましたよ」


 マリアはピンクのブラウスのふわりとした袖をまくりあげ、両手を組んで言った。


「この間、白河課長のところにもそんなお電話があったみたいですよ。何なんでしょう、いきなり最近みどりちゃん関連のお問い合わせが続くなんて……」


 それまで無言でパソコンに向かっていた時田あおいが大きな声を上げた。


「うわ!」


「どうしたの? あおいくん」


 あおいが皆のほうを振り返って画面を指さした。


「バズってます」


 パソコンにはSNSの画面が表示されていた。#みどりちゃん のタグをつけた投稿に1万を超えるリアクションがついている。


「えー!!! なんでまた!!!」


 あおいが投稿をスクロールする。


「えと、多分、インフルエンサー的な女性がレトロかわいい『ふるキャラ』としてみどりちゃんを推してるみたいです」


 マリアも自分の席に戻ってしばらくSNSで起きている #みどりちゃん 現象を読み込む。


 そしてしばらくすると「あ! そうだ!」と大きな声をあげた。


 「黒沢課長! 白河課長!」


 その大きな声は営業販売課の席にいた白河課長にも届き、「何?」と慌てたようにこちらへ駆けてきた。黒沢課長も棚の前でしゃがみこんだままマリアを見る。


「白河課長、いま、黒沢課長のところにもみどりちゃん関連のお問い合わせがありまして、氷川主任が言うにはこの間ホームページにもそういうメールが来たらしいんです。それでいま時田くんが見て見たら、いま #みどりちゃん ってタグがSNSでバズってるんです。インフルエンサーの人が紹介してて、いいねが1万とかついてるんです」


 白河課長は眉をあげて「こんな古いものが新しい風を吹かせているなんて」と驚いた表情をした。


「それでですねえ、ええと確かこの辺に、よいっしょっと」


 マリアは黒沢課長の開けている引き出しの一番奥から、古い段ボールを取り出した。


 伸びた爪でつつつーっと古くなっているセロハンテープで閉じられた梱包を開ける。


 「その爪すごいね」と白河課長が驚嘆すると、「便利なんです」とマリアがすました顔で返した。


 段ボールの中にはさまざまなみどりちゃんグッズが入っていた。


 黒沢課長が驚いて「この段ボールだったのか」と言う。


「確か倉庫にもう少しあります。黒沢課長、このみどりちゃんグッズを、わが社のために有効活用しませんか」


「有効活用?」


「白河課長、もっとお客様のお声を集めませんか?」


「お客様の声?」


「そうです! 私すっごいいいこと考えちゃいました。白河課長と、黒沢課長のひとり言は、宝の山だわ! どっちも聞くとすごいいろいろ見えてくる! 私、これからもっとお二人のひとり言を盗み聞きしようっと!」


 黒沢課長と白河課長は、二人並んできょとんとした顔をしてマリアを見ている。


「お客様アンケート企画をやりましょうよ! 普段、みどり食品に対して思っていただいていることを、アンケートで集めましょう。今なら、「みどりちゃんグッズが当たります」とすればアンケートの総数を集めやすいかもしれません!」


「そいつは新しい考えだ」


「昔からのファンの皆さんとの絆を守れるし、顧客リストにもなるな!」


 マリアは得意そうに顎をあげて「ふふ」と笑って言った。「白河課長と、黒沢課長のひとり言の間にはお宝いっぱい!」


 それを見ていた氷川主任が思わずつぶやいた。


「アリストテレスが言った、「白と黒の間に色がある」みたいですねえ……」

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