第24話 できるけど、してはいけないことになっているのよ

「あの子、多分、親からいじめられてる系だと思う」


 弁当を盗もうとし、黒沢課長に足を引っかけて顔面強打のケガをさせた小学生、カイのことを本田美咲はそう説明した。


「ちょっとやばい段階かなと。だから無下にもできなくて」


 あおいはカイのことがかわいそうに感じ、もう一人のアルバイト、長谷川多津子と話しているカイに近づこうと立ち上がり、店先へ出た。


 するとカイはあおいをじろりと睨み、店頭に出ているチキントマト煮弁当を手に取って、逃げようとした。


「おい、待て」


 思わずあおいが走って追いかけると、カイが足を引っかけてきた。


「あぶね!」


 たまたま什器につかまって助かったものの、あおいも黒沢課長と同じく思いきり転んで顔面強打をするところだった。


「てめー! 何すんだよ!」


 カイはじっとあおいを見上げているだけだ。


「なんだよ! 迷子だっていうからわざわざ来たのに……」


 あおいはこみ上げる怒りのまま、奥の椅子に置きっぱなしだったバッグを掴み取り、バッグを両手で抱えたまま言った。


「本田さん、レジへの入金やめてください。このことは本社に報告します」


 するとあおいが抱えているバッグの中から、ぶるるるるという振動が伝わってきた。


 バッグの中の赤いマグカップが震えているのだ。


「ああ、ようやくバッグを持ってくれたね! あおいくん、ボク、あおいくんがボクに触れていてくれないと伝えられないんだ。あのね、その子、カイくん。カイくんもイースト店のメンバーだから、この商店街のメンバーだから、味方になってあげて」


――味方になってあげて? 何言ってんだ……。


 あおいはマグカップの申し出にぴんと来なかったが、立腹のあまりよく知らない状態で本社に報告するのは自分らしくないかもしれないと思い直した。


「まあ、報告はしません。カイくんにとってもよくないから。弁当は今後持っていかないようにみんなで指導していきましょう」


 そう言ったあおいに、美咲は「ふふ」と笑った。


 笑った美咲を初めて見た。あおいは、頑丈だった楽園の門扉がやや開くような感じがした。



 ***



 8月になった。


 札幌の夏はグラスグリーンの風が吹く。


 刈ったばかりの夏草の匂い。


 大通公園のビアガーデンでは昼間から嬌声が響く。


 北海道に訪れた短い夏を、白い夏服をはためかせた人々が軽い足取りでゆき過ぎる。


 ハルニレの並木道を歩き、今日も時田あおいはみどり食品に出社する。


 あおいは今日いつもより緊張している。


 7月度を終えて、よりどりぐりーん統括としての業務報告を総務課の会議ですることになっている。


 黒沢課長、氷川主任、清野マリア、小田桐このは、そしてあおいの5名で、総務課の横にある打ち合わせスペースに着席した。


 普段の総務課の業務の7月度振り返りを一通り行った後、この7月から新しいポストとしてできた「よりどりぐりーん統括」としてのあおいの1か月目の活動報告をする。


「えと……。まだ一か月目で、小田桐さんとの引継ぎ業務がメインとなりましたが、一応4店舗とも回りまして、現状での問題点などがないか各店長にヒアリングをした段階となります。各店長とのヒアリング結果を以下にまとめました」


 あおいが店長ヒアリングをまとめたシートを皆に配る。


<よりどりぐりーん各店長ヒアリングの主な内容>


●イースト店 春田店長(7月7日)

・アルバイト同時退職に伴う変則的な営業、それに対してのクレーム発生等、トラブルが相次いだ5月から店内体勢を立て直し、平常営業ができるようになっている。

・まだ教育が必要な部分があるが、今のところ特に問題点は見当たらない。


●ウエスト店 萩野店長(7月14日)

・レジをPOSデータ対応のものに変更してほしい。

・清掃会社を入れてほしい。

・おかずだけの詰め合わせで高級志向対応の商品を作ってほしい。


●サウス店 江夏店長(7月21日)

・4店舗合同で研修をやってみては?

・キャンプやスポーツなど、店をクローズして会社で研修を企画してほしい。


●ノース店 松雪店長(7月21日)

・特に問題点なし



「ふうん」


 シートに目を通した黒沢課長が低い声を出す。


「あ、7月7日のイースト店ってあの日か。悪かったな」


「あ、いえ、骨とか折れてなくてほんと良かったです」


「あのあと春ちゃん帰ってきてヒアリングしたのか」


「そうなんです。ちょうど僕も帰ろうとしたら春田店長帰ってこられて。こんな感じでおっしゃっていました」


 そのやりとりを聞いていた氷川主任がごそごそと自分の書類を引っ張り出している。


「ええと、ちょうどいい機会だからこちらを見ていただきたいんですけれど」


 出してきた資料には4店舗の店長の勤務時間一覧が印刷されていた。


 一人だけ、圧倒的に残業時間が多い。


 イースト店の春田店長だ。


「春田店長だけ、突出して残業時間が多いことがもう何年も常態化しています。春田さんは9月末で退職で、時田くんが後任になるわけですが、春田さん本人が問題視していないようなので見えてこない、潜在的な問題点がイースト店にだけあるような気がするんです」


 銀縁眼鏡を神経質そうに触りながら、ここぞとばかりに強調する。


 マリアは「あー」と声を出した。


「それ、春ちゃんの性格もあると思うなー」


「性格?」


 黒沢課長がマリアのほうを見る。


「そーです。春ちゃん何でも自分でやっちゃうんだもん」


「何でも? アルバイトがいるだろ」


「そーなんですけどね、前、あそこに入った多津子さんとおしゃべりしてたときにびっくりしたことがあったんですよ。それはね、『多津子さん、忙しいでしょ』って聞いたら、『暇なときはすごい暇すぎて困ってる』っていうの」


「どういうことだ? 必要な人員と思って配置しているのに」


「私もそう思って『どういうこと?』って見てみたらね、たしかに多津子さんと美咲ちゃんは椅子に座ってぼーっとしててね、春ちゃんが一人でシール貼りしてるの」


「シール貼り?」


「そ。ある程度時間が経ったものはパソコンから割引シールを印刷して貼るんだけど、それを春ちゃんがやってる間、暇みたいだった」


 黒沢課長が渋面をつくって言った。


「そういやイースト店で前のアルバイトが勝手にパソコン触ってデータ飛んだことあったな……。シールの貼り間違いのクレームも……あったな……」


 マリアが続ける。


「『シール印刷して貼るのって、多津子さんたち自分でできない?』って聞いたらね、『できるけど、してはいけないことになっているのよ』って言うの。変だなーと思って聞いてました」


 氷川主任がはっとしたような顔をして言った。


「そのことと、春田店長の働き方と、関係ありそうですね」

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