第25話 僕たちはロボットじゃない

 8月に入り、総務課横の打ち合わせスペースで、総務課の5人が7月度の業務振り返りの会議をしていた。


 イースト店の春田店長がアルバイトが暇なのに自分ひとりで仕事を抱えているかもしれないということが話題になっていた。


 清野マリアがピンク色のマニキュアを塗った手を頬に当てて言う。


「多津子さんと美咲さん、パソコン普通に使えるって。でも春ちゃんがパソコンからのシール出力とシール貼りをやっちゃうんだって。多津子さん、『できるけど、してはいけないことになっているのよ』ってちょっといじけて言ってましたよ」


 氷川主任が四店舗の店長の勤務時間一覧表を見て頷く。


「そういうのが積み重なってオーバーワークになってしまうのかもしれませんね」


 マリアが続けて言う。


「多津子さん、いじけてたな。どうせ私たちアルバイトだから、みたいな言い方で。多津子さんも美咲さんも能力高いのに活かせてない感じ。まあ、多津子さんはしょっちゅう文句言う系だけどね。エアコンつけてほしいのもいっつも言うよね」


 黒沢課長が「へっ」と声を出した。


「イースト店、エアコンついてないんだっけ?」


 あおいが発言する。


「僕もこの間暑かったから春田店長に『イースト店エアコンないんですか?』って聞いたら、扇風機だけで大丈夫だっていう答えだったんで……」


「あれー、多津子さん春ちゃんにお願いしたって言ってたけどな」


「そういう要望は来てないな」


「イースト店ね、エアコン去年壊れて今年の夏になる前に新規で購入しましょうっていう会話してたはずなのに、なぜ春ちゃんがそこでとめちゃうんだろ」


 氷川主任が「うーん」とうなってパソコンで何かを検索した。


「春田一彦さん。ああ、東区のナナカマド商店街は地元なんですね。長男で……。ああ、ずっと野球部なんだ。大学でも。体育会系ですね。うーん、決めつけるのはよくないかもしれませんが、責任感があって、真面目で、根性論を持ち、我慢することをよしとしている価値観みたいなものが春田店長にはあって、それを仕事に美学として持ち込んでいる可能性はありませんかねえ」


 黒沢課長が細い眼を見開いて氷川主任を見た。


「氷川くん、プロファイリングみたいなこと言うね」


「探偵みたい」


「いや、なんかすみません。そんな、人物像に踏み込むような無粋なことをしたいんじゃないですが、ひょっとして春田店長本人は良かれと思ってやっている一連のことなのではないかなと思ったものですから」


「ふむ」


 黒沢課長が腕を組んで宙を仰ぐ。


 するとそれまでずっと黙っていた小田桐このはが声を発した。


「そういうの、サイアクです」


 すかさず隣のマリアがこのはの顔を覗き込む。


「そう思う? どして?」


「……サイアクですよ。仕事に来てるのに、なんでプライベートのことまで…」


 このはは心底嫌だというように顔をゆがめた。


 あおいはそんなこのはを見て、すごくよく気持ちを理解できた。自分ももう少し前だったら、このはと同じように嫌悪を感じていただろうと思う。


――でも。


 今は違う、とあおいは思った。


 天野碧社長に授かったあの魔法。周りに関心をもつこと。それだけで、毎日が変わった。世界が変わった。仕事に対する考え方も変わった。


――僕たちは、ロボットじゃない。


 これがあおいが今たどり着いている大切な気持ちだった。


――僕たちは、ロボットじゃない。みんな、あったかい血が通った生きている人間だ。人間が、働いているんだ。


 あおいの胸はいま大きく高鳴っていた。


 このはの言葉のおかげで、あおいは今大きな気づきを得ようとしていた。


――人間が働いているんだから行き違いも起こる。ミスもある。でも!


「お、小田桐さん」


 あおいはこのはの方を向いた。緊張で口の中が乾き、どもりが出てしまう。


「あ、あの、サイアクじゃないです。僕たちはここに、仕事しに来ているけど、け、けど、でも、仕事しに来ている僕たちは、ロボットじゃないです。人です。生きてる。人生を生きてて、いろんな経験して、いろんなバックグラウンドがあって、いろんな気持ちがあって、それでそういう人たちが一緒に働いているんです。それ、ひ、否定しちゃ、だめです」


 マリアの大きな目が、聖母のように柔らかく微笑した。


「は……?」


 言われたこのははただ驚いている。


「小田桐さん、ありがとう」


「は……?」


 このははお礼を言われてさらに驚いて固まっている。


「小田桐さんの勇気ある発言のおかげで、僕は今すごく大事なことに気づけました」


 あおいは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔のこのはに、にこりと微笑み、優しく自分を見て笑っているマリアに笑い返し、氷川主任の手元に敬意の目線を送ってから、黒沢課長に向かって言った。


「黒沢課長。今、小田桐さんの発言のおかげで、統括の仕事っていう器が、ちょっと生き物みたいに魂入ったような気がしてまして……」


 もうどもっていなかった。


 黒沢課長は「何でも言え」とでもいうように、ニヤリと笑う。


「よりどりぐりーん四店舗の店長ヒアリング、やり直していいですか」


「ほう」


「業務のヒアリングしかしてないから、こんな回答しか引き出せませんでした。やり直したいです。人間と人間として、もう一回ヒアリングしてきます」


 あおいは今、荒れてはいるが光輝く海原に、漕ぎ出でようとしていた。

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