第15話 なぞの手紙

 朝8時。よりどりぐりーんイースト店に、店長の春田一彦が出勤する時間だ。


 春田は寂びたシャッターをガラガラと開けた。


 窓を開けて店内に風を通し、店先の舗道を箒で掃く。


「おはようございまーす」


「今日はいい天気ね」


 舗道を行き交う顔見知りの人達が春田に声を掛けていく。


 ここ、よりどりグリーンイースト店があるナナカマド商店街は、札幌市東区に昔からある古い商店街だ。かつては賑わっていたこの通りも、すっかりシャッター街となってしまい、今では十軒にも満たない商店が細々と点在して営業している。


 その中にある喫茶店やラーメン店の店主たちは、後からこのナナカマド商店街に店を構えたよりどりぐりーんの春田に対しても、ほがらかに挨拶を投げかけてくる。


「おはようございます! はいっ、いい天気っすね!」


 春田は彼らが自分に挨拶をしてくれることに暖かいものを感じて、思いきり大きな声で挨拶を返した。


 ずいぶん前に閉店したままずっとシャッターが閉まっている、イースト店の両隣りの前の舗道も、春田はていねいに箒をかけた。


 店内に入り、今度は店内の清掃をする。


 この朝の清掃は、アルバイトたちが出勤する9時より前に店長である春田自身が済ませることにしていた。


 静かな気持ちで一人で考え事ができる貴重な時間となっているのだ。


 9時になってアルバイトが出勤し、11時の開店準備をスタートすると、そこから閉店の19時までは目の回るような忙しさになる。


 正社員の春田はフレックスで勤務時間を自分で調整しているが、コアタイムの9時から18時よりも早く出勤し、遅く退勤するのが常態化している。


 中央センター総務部の氷川主任から何度か、他店舗の店長に比べて残業が多いことを指摘されている。


 けれどもどうしても朝早く目が覚めて、職場の清掃がしたくなる。


 高校受験を来年に控えて連夜寝不足でイライラしている娘と、そのイライラをピリピリした態度で叱っている妻の会話を朝から聞いているとどうも憂鬱な気分になり、さっさと身支度をして仕事に出かけてしまうのだ。


 朝の清掃に1時間ほどをかけるようになってから、精神的に落ち着いている。


――それにしても5月はしっちゃかめっちゃかだったな……。


 春田はさんざんだったイースト店の5月に思いを馳せる。


 執拗に訪問してさまざまなことにダメ出しをするクレーマーが現れ、その都度に頭を抱えているうちに、そのクレーマーの影響なのか長年働いてくれていたアルバイトのメンバーが二人同時にやめてしまい、営業時間を変則的にして急きょ新しいスタッフを募集して、面接して、採用して、教育して、なんとか元通りの店舗経営に戻すまで、時間がどんなにあっても足りなかった。


――なんとか、ちょっとは、落ち着いてきたかな。


 春田は、ひとりで大きくうなずき、「よっしゃ、今日もがんばろ」と店内清掃の仕上げをした。


「……ございます…」

「おはようございまーす!」


 アルバイトの女性二人が出社してきた。


 二十代の本田美咲と、五十代の長谷川多津子だ。


 美咲は出社するなり背中に伸びた黒いロングヘアを一本に結び、三角巾をかぶり、念入りに手洗いをして、エプロンをし、すぐに作業にとりかかる。


 多津子はエプロンを手にしたまま、どかっと丸椅子に座っておでこの汗を拭き、春田に話しかけてくる。


「店長、この店あっついですよね。もうちょっとなんとかならないかしらね。さすがに札幌でも扇風機だけじゃなくて、エアコンつけないんですか? 中央センターに言ってみたらどう? わたし一回研修であそこ行きましたけど、エアコンがんがんつけてましたよ。みんなスーツ着て涼しい顔でお仕事してさあ。現場がこんなに暑いのってわかってないんじゃないかしら。ほら、社長なんて東京帰りのキャリアウーマンでしょ。店舗になんて来たためしがないんだから。いやになっちゃうわよね」


 春田は頭を下げて「すまないね」と謝ってから、「いやあ、多津子さん暑いよね、この店。悪いねえ、扇風機、もう一台増やそうか。エアコン、前のが壊れちゃってね……。ごめんね、なんとかがんばろう!」と握りこぶしをつくる。


「別に店長に謝ってもらいたいんじゃないんですよ。本社にお伝えください。わたしは最近入ったもんだから勝手がわからなくてね、昔のこと知らなくてごめんなさいね」


「なんも、なんも、いいんですよ。多津子さんの思いつくことなんでも僕に話してくださいね。できることとできないことあるけどね」


「ありがと。さ、今日も美味しいお弁当いっぱい買ってもらいましょ」


 奥で作業をしていた美咲は、二人の会話が聞こえているはずだがなんの反応も示さなかった。


 美咲はいつも二人の会話に入ってくることはない。


 春田は奥の美咲にも声を掛けた。


「美咲さんは、暑くないかい?」


 声を掛けられた美咲は、春田の方へ顔も向けずにうつむいたまま首を横に振るだけだった。


 いつものことだが、ずいぶんと目に余る愛想のなさだ。


 美咲は作業は正確で、無駄がなく、お客さんにはていねいに接する。働きぶりとしては何の問題もなく、頼れる存在だ。


 しかし春田は、美咲の周りに見えない心理的シャッターのようなものがあるような気がしていた。


 こちらが人間同士としてのコミュニケーションを深めようとなにか質問などを美咲に向けると、そのシャッターがガラガラガラと音を立てるかのように眼前で閉まるのを春田は何度も感じたことがある。


――ま、入ったばっかりだし。時間かけて打ち解けていきますか。


 春田は気を取り直して、レジの電源を入れた。


 そこへ郵便配達が来て、封書を数通置いていった。


 ダイレクトメールに混ざって、真っ白い封筒があった。


――あれ、またこれ?


 春田は嫌な予感がして、手を洗い、はさみを取り出した。


――5月に来たあれと似てる。


 開封すると、白いコピー用紙が四つにたたまれていた。


 開いて読んだ春田はため息をついた。


――また、同じ言葉だ。


 そこに書かれていたのは、


<おなかすいた>


 という、大きく鉛筆で書かれた文字だった。

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