●「さっさと死ね!」



「……ああ、分かったよ! そうしたいなら、そうしろ!」


「……」


「さっさと死ねっ!」


 俺の放った言葉に、真白さんと稲葉さんは驚きの表情を浮かべている。

そんな2人を横切って、俺は白石へ歩み寄っていった。


「そうだ……黒井姫子は最低で最悪の女だ。俺はアイツに色々なものを奪われた。きっとアイツに苦しめられた人もたくさんいるだろう。狡猾で、女王様気取りの、あの女に!」


「……」


「だからあんな女は死んで当然だ。この世からさっさといなくなるべきなんだ! 死ね! 黒井姫子は今この場で、消えて居なくなれ!」


 後ろで稲葉さんが動く気配を見せる。

しかしそれ以上進んでこないのは、多分真白さんが止めてくれているからだろう。


「…………うん、分かってる。ありがとう、はっきり言ってくれて……」


 白石の身体がより一層傾いた。


 真白さんと稲葉さんが悲痛な悲鳴をあげ、飛び出す。


 俺は彼女達よりも早く白石との距離を詰める。

そして彼女の手を取った。


「えっ……ーーッ!?」


 白石を自分の胸へ引き込み、きつく抱きしめる。


「……お前は白石 姫子だろ? なんでお前が死のうとしてんだよ」


「えっ? えっ? あの、えっと……」


 まぁ、こんな状況でいきなり抱きしめられりゃ困惑するわな。


「俺は黒井姫子に、この場で死ねと伝えた。でも、白石、お前に死ねなんて一言も言ってない」


「……意味がわからないよ……」


「そうだな。お前、結構バカだもんな。高校の時はいっつも俺が勉強の面倒みてやってたし」


「……」


「今、こうして俺の胸の中にいるのは、根暗で、ちょっとオタクが入ってて、イラストがすごくうまくて、友達を大事にする白石 姫子だろ? 黒井姫子なんて最悪な女、じゃないだろ?」


 白石は俺の背中へ指を喰い込ませてきた。


「そんなの欺瞞だよ……それでも、私は結局、黒井姫子なんだよ……」


「だから、今、この場で黒井姫子には死んでもらいたい。過去は変えられないし、消すこともできない。でも、受け入れることはできると思う。黒井姫子として存在した自分とこれからもきちんと向き合って、その上で白石 姫子として生きて行ってほしい」


「でも……」


「この先も多分、黒井姫子だった時のお前が、お前自身に悪さをしてくるって思う。でもその度に、お前には自分はもう違う人間で、白石 姫子だって強く自分を保ってもらいたいんだ」


「……」


「もしも辛くなったり、悲しくなったら遠慮なくみんなを頼れ。だって今のお前には真白さんや稲葉さんがいるじゃないか。林原さんも、あの金太だって、お前のこと今、探してくれてるんだぜ? こんな時間まで、お前のことを心配して……そんな熱い連中がお前のことを裏切ると思うか?」


「そうだよ、姫ちゃん」


 真白さんも白石を横からそっと抱きしめた。


「何があっても、私はずっとずっと姫ちゃんの友達だからね? ずっと味方でいるから……」


 真白さんの言葉には、なぜかしっかりとした重みがあると感じた。


「あえて私は、こんな状況でも白石さんのことをブラックって呼ぶよ」


 稲葉さんもまた白石を背中から抱き締める。


「ブラックの違う自分になりたいって気持ちよくわかるよ。だって、私も同じ気持ちだからバーチャアイドルやってんだもん。ほんと、私たち達気が合うね! 大好きっ!」


「俺も……なんだその……黒井姫子は御免だけど……し、白石 姫子の相談だったら、喜んで乗ってやる……」


 白石 姫子は俺たちの中で、まるで子供のように泣きじゃくり始めた。


「ありがとう……雪、兎……武雄っ……」


「もう大丈夫だな? 変な気は二度と起こさないと誓えるか?」


「誓う……ごめん、本当に心配かけて……!」


 どうやら一件落着らしい。

全く、人さわがせな奴だ。

でも、これで、本当の意味でこの子が"白石 姫子"としての人生を歩み始めて欲しい。


 そして展望台の下には、白いスカジャンと警官らしき姿が見受けられた。


 せっかくこうして警察が来てくれたんだからと、俺は白石へとある提案を持ちかける。


「えっ……でも……」


 最初こそ白石は困惑していた。


 事実を知った稲葉さんは当然怒り心頭な様子を見せた。

"鬼村"という男を「ぶっ潰す!」なんて物騒なことを言い出したりもした。


 それはちょっとまずいと、みんなで稲葉さんを諌めて、俺たちは展望台を降りた。

そして集まった警官のところへ向かってゆく。

 俺たちが姿を見せると、真珠さんが真っ先に駆け寄って来る。


「無事解決したのね?」


「はい、おかげさまで。ありがとうございます」


「良かったわ、本当に……」


 お礼を言うと、真珠さんは心底安心したような顔をしたのだった。


――さて、ここからが本番だ。


「行ってこい」


 俺は白石の背中を押した。


「うん……行ってくる!」


白石は頷いて見せると、警察官の下へ行く。

そしてまずは深々と頭を下げたのだった。


「この度はご迷惑をおかけしてすみません。実は別件でご相談があります……実は私、リベンジポルノの被害に遭いまして……!」


 リベンジポルノとは、主に元交際相手との性行為の画像や動画を、勝手にインターネット上に流す犯罪行為だ。


 白石の場合は、少し事情が違うが、それでも望まない形でそうした動画が流されたのは事実で、該当するだろう。


 この手の訴えに、警察が本格的に動くことは少ないと聞く。

警察もそこまで暇ではないらしい。

しかし、白石は一縷の望みに駆けて、勇気を出して訴え出ると決めた。

過去の自分である"黒井姫子"と向き合うと決断した。


 例え、黒井姫子の動画が削除できたとしても、何らかの形でこれは彼女の傷跡のように残り続けるだろう。

でも、これは仕方のないことだ。

 彼女が幾ら、白石 姫子と名乗り続けようと、黒井姫子だった時のことがゼロになる訳じゃない。


 だからこそ、その過去としっかりと向き合って、これからは"白石 姫子"として、生きて行ってほしい。

黒井姫子の行いから逃げず、反省をし、その上で新しい人生を送ってほしい。


 そう願ってやまない。



●●●



「鬼村英治さんですね?」


「んあ?」


 停車中の車の中でスマホをいじっていた鬼村英治へ、二人組の男が声をかけてきた。

そして片方の男が、中折れ式の黒い手帳を開いて見せる。

そこには燦然と輝く、黄金のエンブレムが。

鬼村英治は思わず息を飲んだ。


「駐禁でしたっけ、ここ……?」


「いえ、その件ではありません。すみませんがそちらのスマートフォンをお見せいただけないでしょうか?」


「な、なんですかいきなり……」


「早く見せるんだ!」


 もう一人男がやや強めの口調をぶつけてくる。


 何を疑われているのか、分からなかった。

そもそも、彼のスマートフォンには、マズイ情報が多数収められている。

今、ここでこれを見られるわけには行かない。


 鬼村英治は急いで車のエンジンを始動させる。


「ま、待ちなさい!」


 刑事たちをひき殺す勢いでアクセルを踏み込んだ。


「ちくしょう、なんだんだよ、ちくしょう……!」


 必死に逃走しながら、何の件の容疑であるか考えた。

 しかし思い当たる節が多すぎて、検討が付かない。


 それにこんなところで捕まってしまえば、今回は父親にどやされるどころの話ではない。


 まずはデータを全部消去して、様々な証拠を隠滅して――鬼村英治は運転とは別のことを必死に考えながらハンドルを握っている。

それが仇となった。


「――ッ!?」


 突然脇から眩しい光が差し込んでくる。

野太いクラクションの音が鼓膜を揺さぶる。

そして次の瞬間、車内の天地がひっくり返る。


「がっ――!!??」


――この交通事故によってのけが人は、信号無視をして交差点へ突っ込んだ鬼村英治以外には出なかった。不幸中の幸いだった。


 鬼村英治は奇跡的に一命は取り留めたものの、片足を失う大怪我を負ったのだった。


 だが、彼にはまだ更なる制裁が待ち受けている。



●●●



 ちなみに動画をばら撒いた鬼村英治なのだが、ラッキーなことに警察が動いてくれて、逮捕起訴となった。

とはいえ、白石の件ではなく、未成年者とのそうした動画を保存していたことがきっかけだったらしい。

そこから詐欺だったり、他の性犯罪だったり、色々なことが芋づる式で分かって。

更に奴の親が議員だったこともあって、色々と話題になったりして。

結果、奴は破滅したのだった。

 鬼村英治の顔写真は、"最低最悪な政治家の息子"として、ネット上に永遠に残り続けている。



――こうして波乱に満ちた白石 姫子との日々は落ち着きを取り戻す。


 季節は初夏。

レポート提出やテストが終わって、これから楽しい夏休みだという時に……白石 姫子は大学を辞めた。



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