●黒井姫子を見捨てない
やられてるのは、俺の高校時代を奪った黒井姫子だ。
このまま見捨てたって構わない。
だけど、動こうと決めたのは、ここで見捨てては人として最低だと思ったからだ。
しかし、動いたことで兎に危険が及ぶのは絶対に避けたい。
俺自身も、腕っ節が強い訳ではない。
とりあえず警察には通報する。
だから、今は警察が到着するまでの"時間稼ぎ"ができれば良い。
「兎、協力してくれないか?」
「考えあるの?」
「おう。今の兎が、すっごく好きそうなことでな。とりあえず、兎は俺から離れて、警察を呼んでくれ」
「分かった。あのさ……」
兎が不安そうに、俺の手を握ってくる。
「無茶しないでね?」
「おう。約束する」
ーー俺と兎は作戦を決行するために、その場から別れて離れた。
●●●
「さぁて、そろそろ……」
黒井姫子を襲っていた男が、ズボンのチャックに指をかけた時のことだった。
「なんか、今聞こえなかったか?」
仲間にそう問いかけ、耳をそば立てる。
『ううう……ううううう……ううううううう……』
木々の間から、微かに聞こえてくる女の声だった。
悲しいような、僅かに怒りを感じるようなその声に、男たちは鳥肌を浮かべる。
「ホ、ホームレスかなんかだよな?」
「お前見てこいよ!」
「なんで俺が!」
『ううううう……うううううう……っ!!』
次第に女の声が近づいているような気がしてならない。
「ああ、もううぜぇ! 誰だぁー!!」
男の1人が、恐怖に負けて、そう叫びながら草木の間へ踏み込んできた。
●●●
(うわぁ! こっちきた!)
俺は急いで立ち上がり、男たちから距離を置いてゆく。
そしてスマホのスピーカーモードを切り、耳へ押し当てる。
「一旦ストップ! 今、逃走中! でも、黒井姫子から男たちを引き離すことはできたから!」
『ちょっと、本当に大丈夫!?』
スマホの向こうでは、兎が不安そうな声をあげていた。
「大丈夫。上手くやるって。ところで警察は?」
『すぐに来てくれるって言ってたけど、まだ全然見えないよ』
まぁ、ここって最寄の警察署からはだいぶ距離があるかならな……。
ふと、男の追跡が終わっていることに気がついた。
なんだよ、もっと真剣に探してくれよ……と、思いつつひっそり元の場所へ戻ってゆく。
ああもう、アイツら猿かよ! もう黒井姫子とやらかそうとしてるじゃん。
そんなエロ猿共には……
「兎! レッツキュー!」
『……うううう……うううううううう……っ!』
再びスマホをスピーカーモードにすると、兎の悲しく、儚げな声が漏れ出た。
近くで聞いているだけでも、自然と鳥肌が浮かぶ。
それだけ、兎のうめき声の演技は恐ろしい。
こんなものが、真っ暗な神社から、うっすら聞こえてくれば……
「お、おい、また……てめぇちゃんと確認してきたのかよ!」
「したって! んなに疑うならてめぇが見ていこいよ!」
「あんまりでかい声出すなよ! 誰かが来たらどうすんだ!」
強姦魔の男たちはすっかり、俺と兎の恐怖ボイスの餌食となっていた。
もはや、黒井姫子を襲っている場合ではないらしい。
このまま時間を稼ぎ続けて、警察が到着すれば。
俺は男たちが近づいて来たので、少し後ろへ下がった。
すると"パチンっ!"と背後から、乾いた音が響き渡る。
どうやら、枯れ枝を盛大に踏み抜いてしまったらしい。
「誰だ、そこにいるのはぁー!!」
やばっ! みつかった!! 痛恨のミスっ!
俺は足音を忍ばせるのを止め、全力で暗い森の中は走り出した。
『たけぴ! 何があったの!? ねぇ、たけぴ!』
音から何かを察したのか、悲痛な叫びを上げている。
「ミスった! 再び逃走中! 警察は!?」
『み、見えた! 赤いランプ! もうすぐそこ! 早く、こっちに!』
もう出口はそこまで見えている。
俺は何度も転げながら、地面に足を取られながら、前だけをみて駆け抜けてゆく。
だから、傍から男の1人が接近していたことに気が付かなかった。
「うわっ!?」
俺はそのまま転がされ、地面へ叩きつけられる。
見るからにヤバそうな男が、俺を見ろしていた。
「はぁ……はぁ……いたずらしてたのはてめか……ふざけんじゃねぇぞぉー!」
……でも、なんとなく赤いパトライトが見えている。
この一撃をもらうのは仕方がないか……!
『うわぁぁぁぁぁぁ!! たけぴからはなれろ、ど畜生ぉぉぉぉぉーーーー!!!』
すると突然、繋ぎっぱなしのスマホから、兎の大絶叫が響いた。
つんざくようなその声に、俺は愚か、俺を踏みつけようとしていた男でさえ怯んでしまう。
『おまわりさん、あの奥で私と彼氏と女の子が襲われているんです! 早く助けてくださいっ!
兎のそんな声が響いた途端、懐中電灯の明かりが差し込込んでくる。
そしてようやく到着した警察さんが、森の中へ飛び込んでくる。
そこからは早かった。
幸いにも、今夜は近くで飲酒検問をやっていて、たくさんの警察官が来てくれて、男たちはあっさりと捕まった。
やがて廃神社のあたりから、霰もない姿にされた黒井姫子が出てくる。
「武雄……武雄っ!」
黒井姫子は涙をこぼしながら、歩を進めてくる。
一瞬、高校時代に時折泣いていた奴の姿を思い出す。
きっとあの時の俺だったら、今この場でコイツのことを抱き締めていただろう。
「近づくなっ!」
涙を流しながら近づいてくる黒井姫子へ、俺は強い声をぶつけた。
「ーーッ!?」
「もう俺はお前のことなんてどうも思っちゃいない。だけど、知り合いなのは確かだ。知り合いがあんな目に遭っているのを見過ごせなかっただけだ」
「っ……」
「これに懲りて、もうバカなことをするのはよせ。もっと自分を大切にしろ。分かったな!」
「ううっ……ひっくっ……うわぁぁぁーーん!!」
黒井姫子はその場に座り込んで、子供のように泣きじゃくり始める。
だが、いくら気の毒だとは思っても手を差し伸べたりはしない。
だって今俺が大切なのは兎で、こいつを助けたのは、人として当然のことをしただけなのだから。
●●●
こうして黒井姫子を助け出した俺と兎は警察署で今回の件を詳しく聞かれることとなる。
当然、他人の土地へ勝手に踏み込んだことは怒られた。
飯山夫妻にも注意された。
でも、一応人助けをしたので、注意されただけで済んだのだった。
そしてこの事件を皮切りにして、とんでもないスキャンダルが持ち上がる。
まず今回、黒井姫子を襲った3人の男は"鬼村英治"という、プー太郎に指示を受けていた。
この鬼村英治というのは、地元出身の代議士で、現役大臣の息子だった。
彼は父親の持ち物や資産を買って気ままに使って、金持ちを装い、主にマッチングアプリなどで黒井姫子のような女を騙して、好き放題していたらしい。
現役大臣の息子が、ネット上で非道な行いをしていたーーそのことが炎上のきっかけとなった。
結果、鬼村大臣は離党の後、政界を引退。
鬼村英治自身も、複数の容疑で逮捕起訴され、この騒動は治った。
押収され鬼村英治のスマートフォンなどからは、複数の少女のポルノ映像が発見された。
一部は既にネット上に流出していて、鬼村の小遣い稼ぎにになっていたらしい
当然黒井姫子の動画も、鬼村のスマートフォンからみつかった。
しかし幸いなことに未だアップロードされていなかったようだ。
もしも、あの時黒井姫子を見捨てていたら、今頃彼女はどうなってたんだろうと、今でも思う。
その後、黒井姫子は、両親の離婚が成立し、大学を辞めて母親の実家へと帰っていった。
救出した俺と兎へ、お礼を言った上で。
ようやく、全ての憂いが無くなった俺は、全力で兎を支え始めると決めるのだった。
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