★兎ルート第8話 過去との対峙


 様子が明らかにおかしかった。

 目の前にいる黒井姫子はやや猫背気味で、陰鬱な気配を放っている。


 黒井姫子はおぼつかいない足取りで、俺へ近づいてくる。


「ーーッ!?」


「助けて、武雄……お願いっ……!」


 突然、俺の胸へ飛び込んできた黒井姫子は、まるで子供のようにワンワンと泣きじゃくり始めた。


 訳がわからず、俺の頭が混乱をきたす。


「助けてって、どういうことだよ……」


「もう、辛いの! 嫌なの! なにもかも……!」


「……」


「また昔みたいに優しくしてっ! 今までのことは謝るから! もう武雄に我慢をさせたりしないから! だからっ! うう……」


 こうした態度をとる黒井姫子に覚えはあった。

きっとまた、家のことなどで嫌なことがあったんだろう。

それに最近は、あまり良くない連中と付き合っているという噂も聞く。

全く心配をしてないかといえば嘘になる。

だけどーー


「これ以上近づくな!」


「ーー?」


「良いから、近づかないでくれ」


 俺はそう叫び、黒井姫子を怯ませる。

彼女はヨタヨタと後ろへ下がってゆく。


「武雄……?」


「なんのつもりだ? 前にも言ったと思うけど、今更なんなんだ、お前は! それに俺は今、兎と付き合っているんだ! この子が俺の彼女なんだ! もうお前とはなんでもないんだ! 勝手なこというな!」


 俺は兎を強く抱き寄せつつ大声をあげる。

僅かに兎が胸を撫で下ろす雰囲気が伝わってくる。


 やがて、地面へ座り込んだ黒井姫子は頭を抱え出した。


「なんでお前ばっかり……少し痩せたからって調子に乗って……!」


「……」


「ねぇ、知ってる? 武雄の彼女さん? コイツの本当の姿を……?」


 黒井姫子はゆらりと立ち上がった。

どうやら言葉の矛先を、俺の隣いる兎へ向けているらしい。


「コイツ、今は調子に乗ってるけど、元々は陰キャな豚なんだよ? いっつもおどおどしてて、喋る度に声が震えてて、私のいうことならなんでもハイハイ言うこと聞いて!」


「……」


「私、知ってんだから……武雄は私のことが大好き過ぎて、私をオカズにしてたってことくらい……1人で、はぁはぁするぐらいだったら、男らしく誘えっての……そんなキモいやつなんだよ? 今の武雄は所詮、メッキなんだよ? 貴方、騙されてんだよ!? いくら顔が良くなったからって、こいつは所詮ダサくてキモい陰キャなんだから!」


「……で?」


 兎は冷ややか声を放った。

そして疼くまる黒井姫子を見下ろす。


「それがなんなの? てか、そんなこととっくの昔に知ってるよ。だってたけぴ、私にはちゃんと教えてくれたもん。その上で、私の道を切り開いてくれたんだもん!」


「こ、このガキ……!」


「良いから帰って! 私とたけぴの邪魔をしないで! 貴方はもうたけぴにとっては過去の人! 今の彼女は私で、私はこれからもたけぴをずっとずっと好きなんだから! 大事するんだから! 都合よく、たけぴを扱っていた貴方とは違うんだから!」


「くぅ……!」


「帰れっ! 今直ぐ! この場からいなくなれ!」


●●●



(やっぱり、もう私には鬼村さんしかいない……!)


 武雄とその彼女である兎に、こっ酷くやられた黒井姫子は、散々鬼村との関係を嫌と言いつつ、彼の元へ走った。


 私は不幸でかわいそうな女の子。

きっと、そんな姿を見れば、鬼村は考えを改めてくれる。

必ず……。


 鬼村の住むタワーマンションのエントランスへ飛び込み、遮二無二彼の部屋番号を押し、インターフォンを鳴らす。


『はーい、もしもーし』


 スピーカーから聞こえて来たのは、聞き覚えの無い、女の声だった。


「えっ……? 誰……?」


 一瞬、番号を押し間違えたのかと思った。

しかしディスプレイに表示されているのは、間違いなくこれまで乱痴気騒ぎをしていた、鬼村の部屋番号で間違いなかった。


『せんせー、なんかー、若い女の子だよー』


 スピーカーから、そんな呑気な女の声が聞こえてくる。


 やっぱり鬼村は、別の女と……黒井姫子の中へ、ドス黒い憎悪が沸き起こる。


『もしかして、英治の知り合いか?』


 しかし次いで聞こえてきたのは、鬼村の声ではなく、全く知らない壮年の男性の声だった。


 英治……そういえば、鬼村の名前は"英治"だったと、黒井姫子は思い出す。


「そ、そうですけど。そこは鬼村さんのご自宅じゃ……?」


『はぁ……あのバカめ。また私の部屋を勝手に使って……申し訳ないが、息子はここにはいない』


「えっ……?」


『ここは私が仕事の用事で使用している部屋で、アイツの持ち物ではないんだよ。あいつは未だに私の脛をかじっている情けない奴だ』


「な、なにそれ……」


『申し訳ないが、帰ってくれたまえ。英治にはこちらからきちんと伝えておくので。あともう二度と、ここには近づかないでくれ』


 鬼村の"父親"らしき人物は、そう言い放って一方的に通話を終えた。


 年収1000万円越えで、タワーマンションに住んでいて、良い車に乗っていてーーその全てが父親からの借り物であり、嘘だった。

親の脛齧りで、好き放題しているだけの男。それが黒井姫子が頼りにしていた"鬼村英治"という男の真実だったらしい。


 そして僅かな失意の後に、黒井姫子の中に湧いてきたのは激しい憎悪だった。


 騙された。欺かれた。そんな自分が腹立たしくて。その怒りがすぐさま、鬼村への怒りに置き換わって。


……そして男という奴は、どいつもこいつも、女を食い物にする最悪な生き物だと思った。

染谷 武雄以外の男はみんな……


 黒井姫子は何度も鬼村英治へ音声通話を試みる。

だが、彼は一向に出ようとはしない。


"騙したな。このクソ野郎"


"騙したな。このクソ野郎"


"騙したな。このクソ野郎"


 黒井姫子は何度も呪詛の言葉をスマートフォンへ叩きつけて行くのだった。



●●●



「ねぇ、英くん、なんかさっきからすっごくスマホ鳴ってるよ? そういうの萎えるんだけど……」


 鬼村に跨っていた若い女が不満そうに唇を尖らせる。


 鬼村自身も、あとちょっとだったのに、とうんざりしつつスマートフォンへ手を伸ばした。

そして画面に表示された、無数の呪いの言葉に背筋を凍らせる。

 更に追い討ちをかけるように、父親から電話がかかってきた。


 鬼村はセックスフレンドを、自分の上から払い除けた。

ぎゃあぎゃあ叫ぶ彼女を無視して、電話に出る。

すぐさま父親からの怒号が鼓膜を揺さぶった。


 また勝手に自分の部屋を使用したことを責められた。

良い加減車も返せ。まともに仕事をしないか、と嫌な説教が続いてゆく。


 全ての叱責が終わった時、鬼村の中に沸いたのは、黒井姫子への怒りだった。


「ねぇ、英くん、もうしないのぉ?」


「煩い、黙れ! 今はそれどこじゃないんだよ!」


「うわっ、キレた。うざっ……」


 黒井姫子との関係は、ここで断ち切らねばと思った。

そこで鬼村は、付き合いのある悪い仲間への連絡を試みる。


「そろそろあの女、みんなでやっちゃって良いよ。ちゃんと動画取るのも忘れないでね。宜しくね」

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