★兎ルート第7話 狂う黒井姫子。なぜ、兎がバーチャアイドルをしているのか?


「……」


 黒井姫子はメイクも落とさずベッドに身を投げたままだった。


 この1ヶ月で、彼女はあらゆる信頼を失い、完全に孤立をしていた。

故に、彼女のスマホが友人によって鳴らされることはなかった。


 孤独となった彼女の唯一の拠り所である、鬼村からも、


『今、仕事が忙しいんだ。相手できなくてごめんね!』


 寂しいような、だけど体を使わなくて良いからホッとしているような。


最近、関わるようになった彼の友人からは、"やりたい"や"やらせろ"といったメッセージがしきりに入ってきている。

しかし鬼村抜きで会うつもりは毛頭なかった。


 彼らに抱かれているのはあくまで鬼村のため。


 彼がそう望んでいるから、仕方なくしているに過ぎないからだ。


「ヤバ……お腹すいた……」


 寝転んでいるだけでも、腹は減る。


 父親は出張という名の不倫旅行で不在だし、母親はこれは機会とどこかへ出かけてしまっている。

両親の能天気さに辟易しつつ、黒井姫子はのっそりベッドから起き上がる。


 近所のコンビニへ行くだけだから、スウェットのままで良いと思った。

メイクはボロボロだが、直すのが面倒だった。髪もボサボサだが、整えるの億劫。

だから大きなマスク顔を隠して、帽子を被り外へと出てゆく。


「クソ暑っ……」


 黒井姫子は外の陽気に苛つきながら、サンダルを鳴らす。

しかし気持ちはいつもよりは比較的に穏やかだった。


 やはり好きでもない男達からめちゃくちゃな仕打ちを受けるのは、ストレスなのだと思った。

加えて強い副作用が発生する緊急避妊薬を毎回飲まなければならないのだから、たまったもんじゃない。



 やがて目的地であるコンビニの看板が見え始める。

そしてそこの駐車場で、黒井姫子は、見たくはない光景を目の当たりにする。


「うそっ……」


 コンビニから出て来たのは、唯一の心の拠り所の鬼村だった。

彼は大学で見かけたことのある女を腰から抱き寄せている。

そしてその女を、黒井姫子の特等席である、外車の助手席へ乗せた。


 鬼村の車が発車するのとほぼ同時に、黒井姫子は近くのフェンスへもたれ掛かった。


 ただただ、今目の前に見えた光景が信じられずにいる。


「鬼村さんはやっぱり……私のことなんて……!」


 ここ最近、薄々と勘づいては居た。

どんな扱いを受けようとも、今の黒井姫子にとって、鬼村は全てだった。

しかし彼にとって、彼女はどうやら都合のいい女の1人でしか無いらしい。


 すっかり食欲も失せた黒井姫子は、炎天下の中をトボトボと1人で歩き出す。


 これからどうするべきか、そんなことをひたすら考えながら……


 どれぐらいの時間、歩き続けたのだろうか。

青空は徐々に茜色に染まりつつあった。

段々と空気が冷え込んできている。

素足にサンダルではさすがに寒い。

そろそろ帰るべきかと思い始めたその時のことだった。


 歩道の少し先に見えた、すっかり逞しくなった彼の大きな背中に、黒井姫子の胸の奥が震える。


「武雄……」


 自然と彼の名前がこぼれ出て、綺麗な思い出だけが黒井姫子の中で蘇る。


 高校時代の3年間、染谷 武雄は決して彼女のことを裏切らなかった。

辛い時は必ず甘やかしてくれた。どんな時でも必ず武雄は姫子の味方でいてくれた。


 ここ最近で、ようやく気がつくことができた。

 自分にとって、一番必要なのは"染谷 武雄"のような"彼女だけに優しくしてくれる"彼氏であると。


 一度誘惑では失敗したけど、きっと大丈夫。

お人好しの彼ならば、今のボロボロな自分を見れば、放ってはおけないはず。

そこへ付け入って、また彼との関係を……


「ーーっ!?」


 だがまたしても黒井姫子の企みは、脆くも崩れ去る。


 彼から少し離れていたところにいた、制服姿の女が彼へ駆け寄った。

そして2人は手間に見えたファストフード店へ仲良く入ってゆく。


「なんなの、あの女は……武雄のなんなの……なんなの……!」


 黒井姫子は悪態を吐きながら、近くにあったら自販機を蹴り続けた。


 どいつもこいつも、幸せそうで腹立たしかった。

自分がこんなにも不幸になっているにも関わらず……。

特に染谷 武雄の過去を知っている彼女にとって、彼が幸せになっていることが我慢ならなかった。


 少し痩せて、モテるようになったからって調子に乗って!

元陰キャの豚の癖に生意気だ!


「許さない……私がこんなに苦しんでいるのに、アイツばっかり……許さない、許さない……!」


 黒井姫子は、そっと物陰に隠れた。

今すぐにでも、店へ飛び込みたい気持ちだった。

だけど店内では、店員に止められてしまう。

だからこそ、"その機会"を伺うために、そこで待つことにした。


「ふふ……武雄……うふふ……君は私が……ふふふ……」



●●●



「ごめんね、急で驚かせちゃったよね」


「うん。てか、兎、オーディションなんて受けてたんだ?」


 株式会社カーブを後にし、2人でファストフード店を訪れていた。

とにかく、兎に聞きたいことが山とあったからだ。


「前にイヤーさんとウーアーさん……飯山さんご夫妻が衣装を用意してくれるって話の時、四期生のオーディションのお話をいただいてね。まぁ、人生経験にってことで受けたら、まさかの合格で……」


「でもすぐに了承しなかったのは、グランマさんとの?」


「うん。グランマ、私のことすごく心配してたし。グランマ自身も、一人きりだから側にいてあげたいなぁて。でも、これはチャンスだし、どうしようって……それに私、実は最初はそこまでバーチャアイドルってのに、そこまで執着してなかっただんよね」


 そう苦笑いを交えつつ語った兎は、突然鞄を開いた。

鏡を取り出し、目の当たりへ指を近づけてゆく。


 鏡が取り払われると、兎の左目が真っ青に染まっていた。


「もしかしてカラコン?」


「うん。逆の意味で、だけど。実はこの髪もね、本当は金色に近いんだ。私、お母さんがフィンランド出身でね。日本人顔なのに目は青いし、髪は金髪なの。それが本当の私の姿……だからね、昔はよくそのことで揶揄われたんだ」


「そうなんだ」


「今じゃ都会の方だと、そういう人への偏見も少ないかもしれないけどさ、やっぱり地方の田舎は今でも私のようなの珍しいんだよ。だから、青い目はカラコンで黒に、金の髪は真っ黒に染めたんだ。それでもさ、ぶっちゃけ違和感バリバリじゃん?」


「まぁ、確かに……」


「だからお父さんとお母さんは、私のことを気遣って、結構都会なこの街に引っ越してくれたんだ。最初、グランマがガチギレしたけどね。お店はどうするんだぁ、って! まっ、今じゃ昔のことだからそんなわだかまりはないし、第一お父さんとお母さん死んじゃってるから……」


 本当の兎は金髪青眼……そこで真っ先に思い起こしたのが……


「でもね、自分を偽るのって結構ストレスだったんだ。だから私バーチャアイドルを始めたの! あの世界だったら、どんな瞳をしていても、どんな髪色をしていたって、誰も変だって言わない。むしろ金髪で青眼なんてありがち! みたいな感じだからさ。すごく楽だったんだぁー。私が私のままでいられるような気がして。自由に歌って、好きなことして、今はとっても楽しい活動だって思ってる。たけぴにも出会えたしね」


 兎の言う通り、もしも彼女がバーチャアイドルをしていなかったら、俺はこの子と出会うことはなかっただろう。


「私にとってバーチャアイドル活動って自由が一番だったんだ。逆に企業に属している人たちは、色々大変そうだなぁって、だったら私はそこそこ見てもらえる、そこそこの個人でずうっといいなぁてこの間まで思ってた。だけど……!」


 兎の青と黒の瞳が、じっと俺を見据えてくる。


「せっかくここまでやってきたからバーチャアイドルとしてもっと高みを目指したいって思ったの! いくらリモートで色々できる時代にはなったけど、やっぱり地方とこっちに居るとでははっきりとした差がある! ここに残ることには大きな意味があるの! それにこれは……つ、ついでだけど……これからも毎日たけぴと会えるし……!」


 実はそのついで、とやらが一番な理由じゃないか、と突っ込もうと思ったが止めにしておいた。

正直、兎と遠距離恋愛にならなくて、良かったとホッとしている節がある。


「たけぴ……これが私がここに残るって決めた理由。私の選択だよ。認めてくれる……?」


「認めるも何もないよ。兎が自分の人生をそう決めたなら、それで良いと思うし、俺はそんな兎をこれからも全力で応援してゆく」


「ありがとう! 私、頑張るよ! だからこれからもよろしくね、たけぴ!」


 きっと、バーチャアイドルのような活動は、兎が想像している以上に大変なのだろう。

だからこそ、これからも俺は、一番近くで兎のことを支えたいと強く思った。

そしてそのためには、俺自身も新たな選択をする必要があることも……


 話を終えた俺と兎はファストフード店を出てゆく。


「ね、ねぇ、たけぴ……」


「なに?」


 突然、兎が肩に寄り添ってくる。

これはわざとなのか、二の腕に辺りに兎の柔らかい胸の感覚がある。


「今日ってさ、記念日だよね? 私が決断できた……」


「そ、そうだな」


「だ、だからさ、あの……今日の決意を忘れないためっていうか、あの……えっと……」


 なんとなく兎が言わんとしていることがわかった気がした。

これ以上、兎の口から言わせるのは男としてどうかと思った。

だから俺は、兎を自分から抱き寄せる。


「兎がそれで良いなら、喜んで!」


「ありがとう、ありがとね! やっぱりたけぴは最高の彼氏だよ! 大好きだよっ!」


「俺も大好きだよ!」


 良かったよ、ここ最近、いつそうなっても良いようにと衛生具を持ち歩いていて。

ああ、そっか……俺、今夜いよいよ兎と繋がって、脱童貞を果たすんだ……頑張ろう、マジで! 色々な意味で!


 俺と兎は密着しあったまま、住宅街を進んでゆく。


 すると、手間の電柱の裏から、黒い影が現れる。


「こんばんは、武雄……」


「黒井姫子なのか……!?」


 突然、幽霊のように現れた、黒井姫子に俺と兎は驚愕する。

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