★兎ルート第3話 関係変化のきっかけ
「なんだ、キャッシュの影響だったんだ……」
「キャッシュ?」
「一度閲覧したサイトって、妙に早く表示されるでしょ? これって実はサイトの表示情報をパソコンが取り込んでいるからなんだよ」
「うーん?」
稲葉さんはよくわからないといった具合に首を傾げた。
まぁ、彼女が本格的にパソコンを使い始めたの、ここ2ヶ月の話だからなぁ
「これで問題は解決したから安心だよ。このアプリ、今回みたいな現象が結構報告されてるから気をつけてね。また同じことが起こったら、俺がしたような操作をすれば大丈夫だから!」
「ありがとうございました。お騒がせしました……」
どうやら問題は解決したらしい。
そろそろ兎葉 レッキスとしての稲葉さんの活動開始時間も迫ってきている。
それにいつまでも、女の子の部屋にいちゃいけない。
「それじゃ、今夜はこれで……」
パソコンの前から立ち、玄関へ向けて歩き出す。
すると、にゅーんと、服の裾が伸びた。
「あ、あの! 染谷さん……」
「どしたの……?」
服の裾を引っ張っていたのは当然、稲葉さんだった。
彼女は不安げな視線で、俺を見上げてくる。
「またパソコンに変なことが起きたら困るって言いますか……だ、だから、今夜は配信が終わるまで見守ってくださいませんか……?」
「えっ? 良いの?」
「はいっ! 是非っ! お願いしますっ!」
ここまで言われちゃ、断るわけには行かなかった。
当然、今夜もモデレーターとしての役割を果たさなきゃならない。
「分かったよ」
「あ、ありがとうございます!」
こうして俺は、稲葉さんの家で、スマホを使ってモデレーターをすることとなった。
あらためて、部屋を見渡してみると、俺のアパートよりも数段立派な作りだった。
間取りも2LDKで、セキュリティー対策も完備。
稲葉さん自身は1人って言っていたけど、明らかに家族のものと思しきものも散見される。
すごく気にはなかった。
だけど稲葉さんは配信に向けた準備で忙しそうだから、聞けそうもない。
それにお互い顔を晒して、まだ数時間しか経っていないんだから、興味本位で聞くのはどうかと思う。
そんなこんなで時間は過ぎてゆき、夜の22時を迎える。
「ドーモ、こんばんはー! 兎葉 レッキス、はーじまーるよぉー!」
バーチャアイドルの裏側が生で見られてちょっと興奮した。
おおっと、いけない。俺はちゃんとモデレーターの仕事をしないと!
……
……
……
「たはー! 終わったー! お疲れ様でしたぁ!」
「お疲れさん。今日も無事に終わってよかったね」
今夜の配信は異様に盛り上がってしまっていた。
時計の針はそろそろ今日が終わりそうなところまで、差し掛かっている。
さてさて、今度こそ、帰るとしますかね……
「あ、あのっ!」
急に切羽詰まったような、稲葉さんの声が聞こえてくる。
このパターンて、もしかして……?
「良かったら……泊まってゆきません?」
「はっ……? それ、マジで言ってる?」
ちょっと予想していたとはいえ、まさか本当にこんなことを言われるだなんて!?
「遅いですし、染谷さんに何かあったら、その……」
「別に大丈夫だって。俺男だし。変なやつに襲われそうになっても大丈夫だって」
「でも、えっと……ごめんなさい、正直にお話しします。私が、1人でいるのが嫌なんです……」
急に稲葉さんは視線を落とし始めた。
さすがにこれを振り切って帰るわけには行かない。
「1人が怖いの?」
稲葉さんはコクンと首肯をしてみせた。
「この家、変ですよね。私1人なのに、家族のコップとかがあって……」
「まぁ、確かに」
「実は……去年の冬までは、両親居たんです」
稲葉さんが歩き出したので、ついて行く。
部屋の一つへ、続いて入ってゆく。
部屋には穏やかな線香の香りが漂っていた。
そこには花と蝋燭に挟まれた、骨壷が二つぽつんと置かれている。
「去年の冬、事故で亡くなっちゃったんです……それ以来、ずっと1人で……」
「そうなんだ。でも、俺で良いの?」
「ご迷惑じゃなければ……」
ここまで言われて、ああだこうだという方がおかしいと思った。
とんでもない状況なのは分かっている。
だけど、稲葉さんが頼りにしてくれているのなら……
「分かったよ。それじゃお言葉に甘えて」
「ありがとうございます! それじゃお泊まりセット用意してきますね! ダディーのお古ですけど!」
そう言って稲葉さんは嬉しそうに、部屋を飛び出していった。
ダディーって……もしかして稲葉さんには本当に外国人の血が流れているのかな?
そういや、骨壷の近くに十字架があったような。
●●●
時計の音がチクタクチクタク。
広い家だから、そんな音が反響し続けている。
確かにここで1人で寝るのは心細いことだろう。
そんなことを考えつつ、リビングのソファーに寝転んで、はや1時間が経とうとしていた。
しかし未だ、俺は眠れずにいた。
枕が慣れない程度で眠れないだなんて……俺ってそんなに繊細だったか?
まぁ、目を瞑っていれば、いつか睡魔が擦り寄ってきてくれるだろう。
明日も連休の最中だし、多少昼夜が逆転したって問題ない。
…………暫くすると、扉の開く音がした。
薄目を開けてみる。
可愛いパジャマ姿の稲葉さんだった。
たぶん、トイレか何かだろう。
あまり見ちゃいかんいかん……俺は絶対に目を開けないよう、瞼を固く閉じた。
……今度は良い匂いがふんわりと香ってきて、鼻をくすぐった。
明らかに人の気配を感じる。
まさか、幽霊とか? いやいや、そんな筈ないじゃないか。
だったとしたら……
「なにしてんの?」
「ひゃやぁ!!」
目を開けて、そう声を掛ければ、目の前でパジャマ姿の稲葉さんが、素っ頓狂な声をあげてドタン!と尻餅をつく。
「だ、大丈夫!?」
「お、起きてるならすぐに反応してくださいよ! そういうの心臓に良くないですって!」
「それはごめん。でも、寝顔をジッと見ているのも、どうかと思うけど?」
「あ、あ、そ、それはっ! ご、ごめんなさい!」
暗がりの中でもわかるほど、稲葉さんは頬を真っ赤に染めているらしい。
「で、何してたわけ? まさか、俺の寝込みを襲ってキスしようとしてたとか?」
「わ、分かってたなら起きないで、大人しくしててくださいよぉ!!」
おっと、冗談で言ったつもりが、まさかそうだったとは!?
惜しいことをしたと思う反面、こちらも恥ずかしくて耳が熱を持ってゆく。
「マジで? なんで……?」
「なんとなく……」
「なんとなくですることじゃないような……?」
「ああもう正直に言いますっ! 染谷さん、私のめっちゃタイプの顔だし、優しいの知ってるから、急にすごくしたくなっちゃんです! ああ、でも! ファーストですから! こんな気持ちになったの初めてですから! 私、全然ビッチじゃないですから!!」
なんか稲葉さん、無茶苦茶恥ずかしいことを叫びまくってる。
参ったな、この状況どうしよう。
「夜分遅く、すみませんでした……失礼します……」
「あのさ、だったら、その……してみる?」
俺は自分の緊張を感じさせないよう、なるべく穏やかな声音でそう告げた。
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