★雪ルート第2話 嫉妬する黒井姫子




「……」


 ゴールデンウィークであるにも関わらず、黒井姫子はベッドに身を投げたままだった。


 この1ヶ月で、彼女はあらゆる信頼を失い、完全に孤立をしていた。

故に、彼女を遊びに誘う者など1人もいない。


 孤独となった彼女の唯一の拠り所である、鬼村からも、


『連休中は仕事が忙しいんだ。相手できなくてごめんね!』


 寂しいような、だけど体を使わなくて良いからホッとしているような。


最近、関わるようになった彼の友人しきりに電話やメッセージが入ってきている。


どうやら猿どもは、黒井姫子の身体をご所望らしい。


「バーカ……お前らとしてやってるのは、鬼村さんのためだってつーの。勘違いすんな……」


鬼村抜きで男達に会うつもりは毛頭なかった。


 彼らに抱かれているのはあくまで鬼村のため。


 彼がそう望んでいるから、仕方なくしているに過ぎないからだ。


「ヤバ……お腹すいた……そーいや朝から何も食べてないや……」


 父親は連休中にも関わらず仕事に出ると言って不在だった。

母親も大事な用事があるとかで、朝から出かけてしまっている。

 このまま黙っていても、食事はありつけない。

しかし自分で作る気すら湧かないので、黒井姫子はのっそりベッドから起き上がった。


 近所のコンビニへ行くだけだから、スウェットのままで良いと思った。

メイクも面倒なので、大きなマスク顔を隠して、外へと出てゆく。


「暑っ……もう真夏じゃん……」


 黒井姫子は外の陽気に苛つきながら、サンダルを鳴らす。

しかし気持ちはいつもよりは比較的に穏やかだった。


 やはり好きでもない男達からめちゃくちゃな仕打ちを受けるのは、ストレスなのだと思った。

加えて強い副作用が発生する緊急避妊薬を毎回飲まなければならないのだから、たまったもんじゃない。



 やがて目的地であるコンビニの看板が見え始める。

そしてそこの駐車場で、黒井姫子は、見たくはない光景を目の当たりにする。


「うそっ……」


 コンビニから出て来たのは、唯一の心の拠り所の鬼村だった。

彼は派手な格好をした女性を腰から抱き寄せている。

そしてその女を、黒井姫子の特等席である、外車の助手席へ乗せた。


 鬼村の車が発車するのとほぼ同時に、黒井姫子は近くのフェンスへもたれ掛かった。


 ただただ、今目の前に見えた光景が信じられずにいる。


「鬼村さんはやっぱり……私のことなんて……!」


 ここ最近、薄々と勘づいては居た。

どんな扱いを受けようとも、今の黒井姫子にとって、鬼村は全てだった。

しかし彼にとって、彼女はどうやら都合のいい女の1人でしか無いらしい。


 すっかり食欲も失せた黒井姫子は、炎天下の中をトボトボと1人で歩き出す。


 これからどうするべきか、そんなことをひたすら考えながら……


 どれぐらいの時間、歩き続けたのだろうか。

青空は徐々に茜色に染まりつつあった。

段々と空気が冷え込んできている。

素足にサンダルではさすがに寒い。

そろそろ帰るべきかと思い始めたその時のことだった。


 歩道の少し先に見えた、すっかり逞しくなった彼の大きな背中に、黒井姫子の胸の奥が震える。


「武雄……!」


 自然と彼の名前がこぼれ出て、綺麗な思い出だけが黒井姫子の中で蘇る。


 高校時代の3年間、染谷 武雄は決して彼女のことを裏切らなかった。

辛い時は必ず甘やかしてくれた。どんな時でも必ず武雄は姫子の味方でいてくれた。


 ここ最近で、ようやく気がつくことができた。

 自分にとって、一番必要なのは"染谷 武雄"のような"彼女だけに優しくしてくれる"彼氏であると。


 一度誘惑では失敗したけど、きっと大丈夫。

お人好しの彼ならば、今のボロボロな自分を見れば、放ってはおけないはず。

そこへ付け入って、また彼との関係を……


「ーーッ!?」


 だがまたしても黒井姫子の企みは、脆くも崩れ去る。


 染谷 武雄は店から出て来た女の子と、仲が良さそうに肩を並べながら歩き始めたのだ。

確か、あの女は大学の中庭で、彼と仲良くしていたやつで間違いない。


「なんなの、あの女は……武雄のなんなの……なんなの……!」


 黒井姫子は悪態を吐きながら、近くにあったら自販機を蹴り続けた。


 どいつもこいつも、幸せそうで腹立たしかった。

自分がこんなにも不幸になっているにも関わらず……。

特に染谷 武雄の過去を知っている彼女にとって、彼が幸せになっていることが我慢ならなかった。


 少し痩せて、モテるようになったからって調子に乗って!

元陰キャの豚の癖に生意気だ!


「許さない……私がこんなに苦しんでいるのに、アイツばっかり……許さない、許さない……!」


 高校時代のように、力が有ったならば、武雄の側に居た女をなんとかすることができた。

しかし今の彼女にそんな力はない。

 今、この場で何かをするのもナンセンスだ。


 だから今は機会を伺うとき。


黒井姫子は夕闇の中で1人、不気味な笑みを浮かべた。


「ふふ……武雄……うふふ……君は私が……ふふふ……」


 黒井姫子の不気味な笑い声が、夕闇へ溶けてゆく。


「ちょっと、君そこで何をしているのかな?」


 突然、後ろから声がしたので振り返る。

 警官が黒井姫子へ訝しげな視線で見下ろしている。


「君だよね、さっきから自動販売機を蹴っていたのは?」


 よく見てみれば、自動販売機に明らかな凹みが見受けられる。

このままここに止まっては、非常にまずい。


「こ、こらは君!」


 黒井姫子はその場から急いで逃げ去った。


「なんで、私ばっかり……どうしてっ!」


 黒井姫子は悪態を吐きながら、汗だくになって雑踏の中を駆け抜ける。


 自業自得だった。



●●●


「…………」


「真白さん、どうかした?」


「あ、えっと……なんかさっき、すごく嫌な感じがしまして……」


「俺、なんかしたかな……?」


「い、いえ! そういうわけでは……なんとなく、さっき後ろの方から嫌な気配がしたような気が……」


 後ろを振り返ってみても、ただ見知らぬ人たちが歩いているだけ。

なにやら警官が騒いでいる。何かあったんだろうか? 


 俺自身も先ほど嫌な感覚というか、寒気を感じた自覚はある。


 良くはわからないけど、一応用心しておこうと思った。


「あの、染谷さん……今日の私の衣装、よかったですか?」


「うん。かなり!」


「それじゃ……ま、また違うの作ってみようかなって……今度、次何かいいか聞かせてくださいね?」


 まさかリクエストを受け付けてくれるだなんて予想外だった。

誰かが自分の好きなことにために頑張ってくれる。

とても気持ちがいい感覚だった。


「ありがとう。考えとくよ」


「はい、考えておいてください!」


 真白さんは本当に可愛い。

そして、この笑顔の中には、どんな感情が含まれているのか。

俺はなんとなく分かった気がした。



 

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