★真珠ルート第7話 過去との対峙


 俺はやや強めの力で黒井姫子を引き剥がした。

彼女はヨタヨタと後ろへ下がってゆく。


「武雄……?」


「なんのつもりだ? 前にも言ったと思うけど、今更なんなんだ、お前は! しかも真珠さんに失礼だろうが! 謝れ! 今すぐにっ!」


 俺の本気の怒りを受けて、黒井姫子はただたじろぐだけだった。

周りも何事かと好奇の視線を寄せて来ている。

しかし俺は構わず続けた。


「俺は今、真珠さんと付き合っているんだ! この人が俺の彼女で、これからもずっと支えるって決めたんだ! もうお前とはなんでもないんだ! 勝手なこというな!」


 俺は真珠さんを差し示しながら、大声をあげる。

僅かに真珠さんが胸を撫で下ろす雰囲気が伝わってくる。


 やがて、地面へ座り込んだ黒井姫子は頭を抱え出した。


「なんでお前ばっかり……少し痩せたからって調子に乗って……!」


「……」


「ねぇ、知ってる? おばさん? コイツの本当の姿を……?」


 黒井姫子はゆらりと立ち上がった。

どうやら言葉の矛先を、俺の後ろにいる真珠さんへ向けているらしい。


「コイツ、今は調子に乗ってるけど、元々は陰キャな豚なんだよ? いっつもおどおどしてて、喋る度に声が震えてて、私のいうことならなんでもハイハイ言うこと聞いて!」


「……」


「私、知ってんだから……武雄は私のことが大好き過ぎて、私をオカズにしてたってことくらい……1人で、はぁはぁするぐらいだったら、男らしく誘えっての……そんなキモいやつなんだよ? 今の武雄は所詮、メッキなんだよ? 貴方、騙されてんだよ!? いくら顔が良くなったからって、こいつは所詮ダサくてキモい陰キャなんだから!」


「……それが何か?」


 そう呟いた真珠さんの声は、氷のように冷たくて。

まるで鋭利な刃物のような鋭さを帯びていて。


 あまりの恐ろしさに、俺の背中がぶるりと震える。


「私自身、武雄君に不要な苦労を強いている自覚はあります。申し訳ないとも思っています。だから私自身は何を言われても構いません」


「何をおばさんが偉そうに!」


「彼を、武雄を、私の大事な人を愚弄するのは許しません!」


「うるさいうるさいうるさぁぁぁーい!!」


 黒井姫子は目を真っ赤にしながら、平手を掲げる。


 しかしすぐさま、ピタリと動きを止めた。

黒井姫子の顔色がみるみるうちに、真っ青に染まって行く。

膝もガクガクと震え出している。


「どうしましたか? 殴りたいなら、殴りなさい。それであなたの気持ちが晴れるのなら! ですが、いくら殴られようと、どんなに私自身が愚弄されようと、この武雄君への気持ちは変わりありません!」


「ぐっ……」


「これ以上、大事な彼に一言でも罵声を浴びせてみなさい。私はあなたを決して許しません!」


「あ、あ、あっ、あわっ……うわぁぁぁーー!!」


 黒井姫子は周りの嘲笑を浴びながら、その場から走り去って行くのだった。

 哀れな奴だと思った。


●●●


(やっぱり、もう私には鬼村さんしかいない……!)


 武雄とその彼女である真珠に、こっ酷くやられた黒井姫子は、散々鬼村との関係を嫌と言いつつ、彼の元へ走った。


 私は不幸でかわいそうな女の子。

きっと、そんな姿を見れば、鬼村は考えを改めてくれる。

必ず……。


 鬼村の住むタワーマンションのエントランスへ飛び込み、遮二無二かれの部屋番号を押、インターフォンを鳴らす。


『はい、どちら様?』


 スピーカーから聞こえて来たのは、聞き覚えの無い、壮年の男性の声だった。


「えっ……? 誰……?」


 一瞬、番号を押し間違えたのかと思った。

しかしディスプレイに表示されているのは、間違いなくこれまで乱痴気騒ぎをしていた、鬼村の部屋番号で間違いなかった。


『もしかして、英治の知り合いか?』


 英治……そういえば、鬼村の名前は"英治"だったと、黒井姫子は思い出す。

 彼女が声を震わせながらそう答えると、スピーカーからはため息が聞こえてきた。


『あいつ、また私の部屋を勝手に使って……申し訳ないが、息子はここにはいない。むしろ、ここは私が仕事の用事で使用している部屋で、アイツの持ち物ではないんだよ。あいつは未だに私の脛をかじっている情けない奴だ』


「な、なにそれ……」


『申し訳ないが、帰ってくれたまえ。英治にはこちらからきちんと伝えておくので』


 鬼村の"父親"らしき人物は、そう言い放って一方的に通話を終えた。


 年収1000万円越えで、タワーマンションに住んでいて、良い車に乗っていてーーその全てが父親からの借り物であり、嘘だった。

親の脛齧りで、好き放題しているだけの男。それが黒井姫子が頼りにしていた"鬼村英治"という男の真実だったらしい。


 そして僅かな失意の後に、黒井姫子の中に湧いてきたのは激しい憎悪だった。


 騙された。欺かれた。そんな自分が腹立たしくて。その怒りがすぐさま、鬼村への怒りに置き換わって。


 黒井姫子は何度も鬼村英治へ音声通話を試みる。

だが、彼は一向に出ようとはしない。


"騙したな。このクソ野郎"


"騙したな。このクソ野郎"


"騙したな。このクソ野郎"


 黒井姫子は何度も呪詛の言葉をスマートフォンへ叩きつけて行くのだった。



●●●



「ねぇ、英くん、なんかさっきからすっごくスマホ鳴ってるよ? うるさいんだけど?」


 鬼村英治はうんざりした様子でベッドから手を伸ばし、スマートフォンを手にとる。


 そして黒井姫子から送り付けられた無数の呪いの言葉に背筋を凍らせた。

そして彼の嫌な予感が的中する。

父親から電話がかかって来たからだ。


 鬼村はベッドから飛び起きて、電話を取った。


 相手は父親からで、また勝手に自分の部屋を使用したことを責められた。

良い加減車も返せ。まともに仕事をしないか、と嫌な説教が続いてゆく。


 全ての叱責が終わった時、鬼村の中に沸いたのは、黒井姫子への怒りだった。


 そしてもうこの女は潮時だと思った彼は、付き合いのある良くない仲間へ連絡を取る。


「そろそろあの女、みんなでやっちゃって良いよ。ちゃんと動画取るのも忘れないでね。宜しく」


●●●


 あの日以来、黒井姫子は大学で姿を見かけなくなった。


 あいつが今、どこで何をしているのか分からない。


 そもそも、もう興味だってない。


 だって俺の心はすっかり、真珠さんに夢中なのだから。


 そんな俺は今、アパートの前で、彼女がやってくるのを待っている。


 今日は彼女に"お墓参り"に行かないかと誘われたからだった。

でもなんで、駅前じゃなくて、アパートの前で集合なんだろう?


 やがて、道の向こうから心地よく重低音が聞こえくる。


 ま、まさか!?


「おはよう、武雄君! お待たせ!」


 白が主体のスカジャンに、真っ黒なレザーパンツ、そしてカッコイイデザインのフルフェイスメットを被った真珠さんだった。

しかもこの車体側面にある特徴的なエアダクトって……騎士王さんが乗り回した、あのバイクに間違いない!V ーMAX!!


「お、おはようございます。バイク、持ってたんですね……?」


「昔取った杵柄というやつよ。運転は何年かぶりだけど、安全運転で行くから安心して! さっ、早く!」


 俺は真珠さんからヘルメットを受けった。

そしておそるおそる人生初めて、バイクに跨る。

とは言っても、後ろのタンデムシートだけれども……


「しっかり掴まっててね。ちょっと長いから、疲れたら私のお腹の辺りを摩ってね。ちゃんと休憩にするから」


「は、はい!」


「じゃあ、行くわよ!」


 真珠さんの細腕がアクセルを捻った。

バイクは心地よい重低音を響かせながら発進する。

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