★真珠ルート第6話 暴走する黒井姫子


「……」


 夕暮の自室で黒井姫子はベッドに身を投げたままだった。


 この1ヶ月で、彼女はあらゆる信頼を失い、完全に孤立をしていた。

故に、彼女を遊びに誘う者など1人もいない。


 孤独となった彼女の唯一の拠り所である、鬼村からも、


『今は仕事が忙しいんだ。相手できなくてごめんね!』


 寂しいような、だけど体を使わなくて良いからホッとしているような。


最近、関わるようになった彼の友人からはメッセージが入っている。

しかし鬼村抜きで会うつもりは毛頭なかった。


 彼らに抱かれているのはあくまで鬼村のため。


 彼がそう望んでいるから、仕方なくしているに過ぎないからだ。


「ヤバ……お腹すいた……」


 寝転んでいるだけでも、腹は減る。


 父親は相変わらず仕事だと言って帰ってはこない。

きっと不倫相手との逢瀬を楽しんでいるはずだ。

母親も近所のママ友のボスに呼び出され不在である。

誰も今の黒井姫子に餌を与えてはくれない。

仕方なしに彼女はのっそりベッドから起き上がる。


 近所のコンビニへ行くだけだから、スウェットのままで良いと思った。

メイクも面倒なので、大きなマスク顔を隠して、外へと出てゆく。


「暑っ……もう真夏じゃん……」


 黒井姫子は夕暮れになっても暑い気候に苛つきながら、サンダルを鳴らす。

しかし気持ちはいつもよりは比較的に穏やかだった。


 やはり好きでもない男達からめちゃくちゃな仕打ちを受けるのは、ストレスなのだと思った。

加えて強い副作用が発生する緊急避妊薬を毎回飲まなければならないのだから、たまったもんじゃない。



 やがて目的地であるコンビニの看板が見え始める。

そしてそこの駐車場で、黒井姫子は、見たくはない光景を目の当たりにする。


「うそっ……」


 コンビニから出て来たのは、唯一の心の拠り所の鬼村だった。

彼は自分とたいして年齢が変わらないだろう、女性を腰から抱き寄せている。

そしてその女を、黒井姫子の特等席である、外車の助手席へ乗せた。


 鬼村の車が発車するのとほぼ同時に、黒井姫子は近くのフェンスへもたれ掛かった。


 ただただ、今目の前に見えた光景が信じられずにいる。


「鬼村さんはやっぱり……私のことなんて……!」


 ここ最近、薄々と勘づいては居た。

どんな扱いを受けようとも、今の黒井姫子にとって、鬼村は全てだった。

しかし彼にとって、彼女はどうやら都合のいい女の1人でしか無いらしい。


 すっかり食欲も失せた黒井姫子は、夕闇の中をトボトボと1人で歩き出す。


 これからどうするべきか、そんなことをひたすら考えながら……


 どれぐらいの時間、歩き続けたのだろうか。

青空は徐々に茜色に染まりつつあった。

段々と空気が冷え込んできている。

素足にサンダルではさすがに寒い。

そろそろ帰るべきかと思い始めたその時のことだった。


 歩道の少し先に見えた、すっかり逞しくなった彼の大きな背中に、黒井姫子の胸の奥が震える。


「武雄……」


 自然と彼の名前がこぼれ出て、綺麗な思い出だけが黒井姫子の中で蘇る。


 高校時代の3年間、染谷 武雄は決して彼女のことを裏切らなかった。

辛い時は必ず甘やかしてくれた。どんな時でも必ず武雄は姫子の味方でいてくれた。


 ここ最近で、ようやく気がつくことができた。

 自分にとって、一番必要なのは"染谷 武雄"のような"彼女だけに優しくしてくれる"彼氏であると。


 一度誘惑では失敗したけど、きっと大丈夫。

お人好しの彼ならば、今のボロボロな自分を見れば、放ってはおけないはず。

そこへ付け入って、また彼との関係を……


「ーーッ!?」


 だがまたしても黒井姫子の企みは、脆くも崩れ去る。


 染谷 武雄は店から出て来た歳上の女性と仲が良さそうに肩を並べながら歩き始めたのだ。

しかも間には5歳くらいの子供までいる。


「なんなの、あの女は……武雄のなんなの……なんなの……!」


 黒井姫子は悪態を吐きながら、近くにあったら自販機を蹴り続けた。


 どいつもこいつも、幸せそうで腹立たしかった。

自分がこんなにも不幸になっているにも関わらず……。

特に染谷 武雄の過去を知っている彼女にとって、彼が幸せになっていることが我慢ならなかった。


 少し痩せて、モテるようになったからって調子に乗って!

元陰キャの豚の癖に生意気だ!


「許さない……私がこんなに苦しんでいるのに、アイツばっかり……許さない、許さない……!」


 高校時代のように、力が有ったならば、武雄の側に居た女をなんとかすることができた。

しかし今の彼女にそんな力はない。


 それでもやりようは幾らでもある。

黒井姫子は夕闇の中で1人、不気味な笑みを浮かべた。


「それに……なぁに? おばさんじゃん……しかもコブつきじゃん……なんであんなのと、武雄は……」


 黒井姫子はサンダルを鳴らし、最初の一歩を踏み出した。


 段々と歩調が強まり、目の前の歩く武雄の背中との距離が縮まってゆく。


「武雄っ!」


 人目など憚らず、黒井姫子は声を上げた。


「黒井姫子……?」


 彼は驚いた様子でこちらを振り返ってくる。



●●●



「そのひと、だぁれ? まさか武雄のカノジョ?」


 突然、現れた黒井姫子の様子は明らかにおかしかった。

 髪はボサボサで、不気味な大きなマスクをつけて、やや猫背気味で、陰鬱な気配を放っている。


 黒井姫子はおぼつかいない足取りで、俺へ近づいてくる。

 

 俺は真珠さんと蒼太君を守るように、2人の前へ立ち塞がった。


「ガチ? はは! 冗談でしょ!?」


「なにがだ?」


「だってその人、おばさんだよ!? しかもコブ付きって……あはははは! 何考えてんの? 何いきなり人生ハードモードにしちゃってるわけ?」


「お前……!」


 黒井姫子の酷い物言いに、流石に腹が立った。

早くどうにかしてコイツを追い払わないと!


「そんなおばさんのことなんかより、私を助けて、武雄……お願いっ……!」


 突然、俺の胸へ飛び込んできた黒井姫子は、まるで子供のようにワンワンと泣きじゃくり始めた。


「助けてって、どういうことだよ……」


「もう、辛いの! 嫌なの! なにもかも……!」


「……」


「また昔みたいに優しくしてっ! 今までのことは謝るから! もう武雄に我慢をさせたりしないから! だからっ! うう……」


 こうした態度をとる黒井姫子に覚えはあった。

きっとまた、家のことなどで嫌なことがあったんだろう。

それに最近は、あまり良くない連中と付き合っているという噂も聞く。

全く心配をしてないかといえば嘘になる。


「離れろ」


「ーー?」


「良いから、離れてくれ!」

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