第9話 居酒屋ランチの戦場と貝塚 真珠


 今日の講義は午前中まで。午後は丸々自由に使えるなんて、さすがは大学生だ。

そこで、俺はようやく重い腰を上げて、"居酒屋かいづか"へ向かってみた。

 ランチタイムを過ぎたから、今行っても迷惑にはならないだろう。


 居酒屋かいづかは、温かみのある良い店構えだと感じた。

お酒が飲める年齢になったら、是非訪れてみたいと思う。


「いらっしゃいませ……あっ! 染谷さん!」


 店へ入るなり、店主の真珠さんの表情が明るんだ。

本当に綺麗な人だよなぁ。見てるだけで、胸のドキドキが止まらない。


「ど、どうも……来ちゃいました」


「どうぞどうぞ、お座りになって! 飲み物はコーラで良いかしら?」


「あ、えっと、はい……」


 ただ店を訪れただけなのに、こんなにも喜んでくれるだなんて……嬉しいような、恥ずかしいような。


 それから俺はカウンター席で瓶コーラを頂いて、真珠さん自慢の"生姜焼き定食"の出来上がりを待ち続けている。

香ばしい醤油と、刺激的な生姜の匂いが鼻をくすぐって、腹の虫が"早く食べ物寄越せ!"と言わんばかりに唸りをあげている。


「お待ちどうさま! どうぞ遠慮なく召し上がって!」


「こ、この量って……!?」


 漫画盛りの白米に、同じぐらいの高さに盛られた豚バラロースの生姜焼き……喰いログでランチの写真を事前確認していて、それなりの多さが見て取れたので、覚悟はしていたけれども……


「多すぎたかしら? 染谷さん、若いから食べられると思って……」


 真珠さんはカウンター越しに、少し不安そうな顔をした。


「いや、大丈夫っす! 俺、めっちゃ喰うから大丈夫っす!」


 俺はずっしり重たいお盆を引き寄せ、爆盛りの生姜焼き定食へ対峙する。

 こりゃ、今夜はランニングと筋トレをきっちりしないと!


 久々の爆盛りだったけど、案外食べられ進められた。


 たぶん真珠さんが、食べている俺を見て、嬉しそうな顔をしているのもあったからだ。


「ちょっと、お店閉めてくるわね」


 真珠さんはパタパタと入り口へ向かって行った。

 なんとかアイドルタイム前に食べきらないと、迷惑になる!

俺は食べるペースを早めた。


「じゅ、15名さま!? あ、えっと……わかりました。どうぞ!」


 真珠さん優しいなぁ。閉店間際のお客さんを入れてあげるだなんーーーーてぇ!?


 店の中へゾロゾロと入ってきたのは、俺なんか足元にも及ばない程の、筋肉モリモリ・ゴリゴリな男連中。

ああ、この人たち、うちの大学のラグビー部じゃん!

たしかにこの爆盛り定食なら、彼らの胃袋は十分に満たせるだろう。


「俺生姜焼き」「天津飯!」「唐揚げ、レモンつき」「唐揚げレモンなし」「天丼」「カツ丼、グリーンピースは抜いて」「ラーメン、ニンニクマシマシ、チャーシューは脂身少ないところを」etc……おいおい、この後に及んで、15人全部違うもんを注文かよ!?


「かしこまりましたっ!」


 だけど真珠さんは嫌な顔ひとつせず、全ての注文を聞き入れて、足早にオープンキッチンへ飛び込んでゆく。

手早く料理の準備を始める。


「おかみさーん、コーラくださーい!」


「あ、はーい!」


 おいおいおいおいおい! ちょっとは空気読んでやれよ! ラグビー部さんたち!


 と、その時のことだった。

 たまたま、壁に貼り付けてあった前掛けが目に止まる。

たぶん、出入りの酒屋さんが景品としてくれたものなのだろか、"かいづか"と銘が打たれている。


 生姜焼きの最後の一切れを飲み込んで立ち上がる。

壁に掛けてあった前掛けを壁から引き剥がす。

そしてそれを腰へ巻き付け、戦闘準備完了!


「栓抜き借ります!」


「染谷さん!?」


 俺は驚く真珠さんを尻目に、栓抜きを前掛けの紐に差した。

そしてメモとペンを片手に、ラグビー部のところへ向かってゆく。


「お飲み物のご注文をお聞きしまーす!」


 ラグビー部は、これまた好き放題に、水を初め、コーラ、烏龍茶、オレンジジュース氷なしetc……好き放題注文をしてくる。

しかも、相手の聞くペースを考えずに、好き勝手なタイミングでだ。

だがこの程度問題ない!


 なぜならば、白銀社長のところ職人さんたちは、俺へもっと無理難題を押し付けていたからだ。

この程度の注文ちょろいちょろい!

 一通り、飲み物を配り終え、厨房へ駆け込む。


 なんということでしょう!

真珠さんは複数の鍋やフライパンを同時に扱って、全ての調理を並行して行なっているじゃないか!


 とはいえ、メイン料理を作るのがやっとな感じだ。


「ご飯は全部使っても良いんですよね!?」


「い、良いわよ、そこまで! 飲み物を配ってくれただけで十分よ!」


「大丈夫じゃないから飛び込んできたんです。遠慮しないで、コキ使ってください!」


 真珠さんは鍋を振りつつ、少し黙り込んだ。

やっぱり迷惑だったんだろうか……


「お櫃のご飯は全部使っちゃってください! それとお味噌汁、そろそろ温まりますから! お漬物は冷蔵庫に!」


「了解ですっ!」


 俺はサクッと飯を盛り、味噌汁は後回しにして、冷蔵庫へ漬物を取りにゆく。


 その間に真珠さんは次々と上げた料理を皿へ盛り付け、手早い動作でお盆へ移している。

良かった、味噌汁を後回しにしていて! もしもお盆へ先に味噌汁が乗っていたら邪魔になるところだった。


「こっちはオッケーよ!」


「了解っす!」


 真珠さんと入れ替わって、漬物を配置すれば、あっという間に15食もの爆盛り定食が完成する。


「配ります! 面倒なんで、どんどんカウンターへ置いてください!」


端から重たいお盆を持って、客席へ向かってゆく。


「はい、お待ちどうさま! こっちが生姜焼き定食で、こちらは天津飯! ええっと、お客さんは唐揚げ定食レモンなしでしたっけ!」


 なんとなくラグビー部さんたちの注文を覚えていた俺は、次々定食を配膳してゆく。

真珠さんも俺の頼み通りに、カウンターへどんどん定食を置いてくれる。


 とても良い連携!……と、我ながらそう思う俺なのだった。



●●●



「ごめんなさいね、すっかり甘えてしまって……」


「いえいえ、気にしないでください。乗りかかった船ですから、最後までお付き合いしますって」


 ラグビー部の強襲を見事に退け、俺は真珠さんと一緒に洗い物を片付けていた。

 綺麗な真珠さんの役に立てたことが嬉しかった。


そんな中、レジの近くに置いてあった真珠さんのスマホがアラームを響かせる。


「なんかの時間ですか?」


「蒼太の幼稚園バスのお迎え時間なのよ。どうしよう……」


 現在俺と真珠さんはラグビー部が平らげた、物凄い量の洗い物の処理中だった。

これの片付けに加えて、夜の仕込みもあるんだろう。

手放せない状況だというのは、何となく察しがつく。


「良いっすよ、俺が洗い物やっとくんで。迎えに行ってあげてください」


「ここまでしてもらって、そこまで頼むわけには行かないわ……」


 まぁ、確かにほとんど面識のない俺を、店に1人で残すのは色々不安なんだろう。

だったら、俺が迎えに行ったほうがいいのかな? それもやり過ぎだろうか、ふーむ……


 そんなことを考えている最中、店の扉がガラガラと開く。


「ただいまー!」


「よぉ、真珠! 蒼太のお迎えやっといたぞ!」


 今日も元気な蒼太くんを連れてきたのは、


「しゃ、社長!?」


「おー! 武雄じゃないか! こんなところでどうしたい!」


 先月まで、とてもお世話になっていた白銀社長だった。


「源さん!」


 なんか、凄く真珠さんの声が弾んでいるのような……?

しかも源さんって……


「さっき現場帰りに店の前を通ったら、ぞろぞろでっかいのが出てくのを見かけてた。蒼太の迎えがキツイんじゃないかと思って」


「いつもすみません……」


「良いってことよ。俺とお前の仲じゃないか、がははは!」


 ああ、なるほど……そういうことか。

社長は男前だし、お金持ちだもんな……奥さん以外の女の人が1人、2人いてもおかしくはないと思う。

 なんとなく悔しいような、寂しいような気分になってしまった俺だった。


「あーっ! マスクライダーのお兄ちゃん!」


 俺が落ち込んでいるとはつゆ知らず、蒼太くんは元気よく声を掛けてくる。


「やっ、蒼太くん。元気そうだね」


「元気だよ! ねぇ、なんでお兄ちゃんお母さんと一緒に洗い物してるの?」


「ちょっと色々とあってね。それじゃあ俺はそろそろ帰りますね」


 ちょうど、洗い物が終わったので、退散するには絶好のタイミングだった。

せっかくの社長と真珠さんの逢瀬だ。邪魔しちゃいけないよね。


 俺はトボトボと入り口を目指して歩きだす。


 そんな俺の肩を白銀社長がガッチリ掴んできた。


「な、何すか!?」


「どうよ、真珠は? べっぴんさんだろ?」


「そっすね……奥さんには黙っておきますんで、安心してください」


「んあ? おめぇ、何言ってんだ? 真珠は俺の娘だぜ?」


「え……えええーーっ!?」


 衝撃の事実に俺は思わず叫んでしまう。


 娘って……社長にも、奥さんにも全然似てないじゃん!

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