第7話 黒井 姫子を突き放せ!



 なんで今更……俺は突然、舞い込んできた黒井姫子からのメッセージに驚きを隠せないでいた。


『ひさぶり! 大学生活は楽しんでる?』


『ちょっと久々にお話ししたいと思って!』


『今日の16時に図書館の時計の下で待ってるね!』


『大事なお話があるの! だから絶対に来てね!』


 久々にアイツから来たメッセージは、すごく明るくて、まるで付き合っていた時を思い出させるものだった。


 今更なんだんだよ、コイツ……


「どうかしたか?」


「あ、いや! 最近ダイレクトメッセージが多いなぁって!」


 俺は慌ててスマホをポケットへしまう。

 こんなメッセージを見られた日にゃ、友情に熱い金太が何をしでかすか分かったもんじゃない。


 俺はしばらくの間、黒井姫子からのメッセージを既読スルーし続けた。

そして金太の目を盗んで、こっそり黒井姫子へメッセージを返す。


『用事がある。行けない。ごめん』


 あんまりしつこいようじゃ、ブロックも否めないかもしれない。



●●●



 実のところ、俺と金太は同じ大学であっても、学部が違う。

だから履修の説明は、後半になると別れて聞きに行かなかればならなかった。


「俺のことを忘れんなよぉ、武雄ぉー!」


「き、気色悪い声出すなよ……」


 こういうリアクションって冗談だよな?

 まさか金太は本気で俺を……なんてことあってたまるか!


 そんなくだらないことを考えつつ、粛々と履修説明をこなして、いるとあっという間に夕方を迎えた。

 時計はそろそろ黒井姫子から示された16時になろうとしている。


 多少気になるのは、やっぱりどんな形であっても3年間という時を一緒に過ごしたからだろう。

だけど、アイツと俺はもう赤の他人だ。アイツへ俺の貴重なリソースを割く必要はない。


 俺は講義室を出て、足速に校門を目指してゆく。

 図書館の前を通らないよう、人気の少ない回廊を使って行く。


 すると不意に、甘い香りが鼻を掠めた。

誰かが俺の肩を叩いてくる。


 驚いて振り向くと、ソイツの細い指先が、俺の頬を突いた。


「やっぱり逃げようとしてた。酷いよ、くん」


「……黒井、さん……」


 久々に再開した黒井姫子は、随分と大人っぽい印象になっていた。

特にニーハイソックスと、異様に丈の短いスカートが俺の視線を捉えて離さない。


「エッチ。今、私の太もも見てたでしょ?」


「あ、えっと……ごめん」


「良いよー。だって武雄くんも男の子だもんねー」


 黒井は急に距離を縮め、背伸びをして俺の頭を撫でてこようとする。

俺はすかさず、一歩後ろへ下がって、それを回避した。


「随分痩せたねー。胸板とか……きゃっ! めっちゃ硬い! かっちかち!」


「お、おい!」


 突然のボディタッチに怯み、壁際へ追いやられた。

 付き合ってた時でさえ、ここまで黒井姫子が積極的に迫ってきたことはなかった。


「ねぇ、なんで逃げようとしてたの?」


「……」


「そだよね。私が悪いもんね。一方的に私が武雄くんをフったんだから、今まで通りには行かないよね……」


 黒井姫子から香る、甘い香水の香りに頭がクラクラしていた。

 うっすら透けて見える、ブラのラインに思わず息を呑んでしまう。


「こっち、来て!」


 黒井姫子が俺の手首を掴んだ。

 誰もいない講義室へ連れ込まれる。扉の鍵を閉める。

そしていきなり、俺の胸の中へ飛び込んできた。


「く、黒井さん!?」


「ごめんね、武雄くん……本当にごめんねっ! 今更だけど……私、やっぱり武雄くんが大事って想ったの!」


「……」


 黒井姫子は俺の太ももへ跨ってきた。

柔らかい絶対領域が俺の太ももを挟んで離さない。

更に上着をずらして、白い肌と流線型の華奢な肩のラインを見せつけてくる。


「覚えてる? 高校の時、私が言ったこと?」


「……」


「18歳を超えたから、もう良いんだよ? いっぱい我慢させてごめんね。辛い思いをさせてごめんね」


 黒井姫子は再び俺の手を取った。掌から黒井の鼓動が伝わってくる。


「……」


「触って良いんだよ?」


「……」


「もしかしてこういうところじゃ嫌? だったらホテルに行く? 武雄の好きなところで良いよ。我慢させてた分、今夜はいっぱい私で楽しんでね……大好きだよ、武雄くん……」


 淡くルージュを引いた、肉付きの良い黒井の唇が俺へ近づいてくる。


「ーーんんっ!?」


 俺はすかさず、手をかかがげて、黒井の唇を塞ぎ止めた。


「黒井さん……悪いけど、すっごい萎えたわ」


「ーー!?」


「俺は……ビッチが大嫌いなんだ!」


 俺は少し強めに黒井姫子を突き飛ばした。

呆気に取られた黒井姫子はあられも無い姿のまま、ペタリと床へ座り込む。


「武雄くん……?」


「なんか、随分と慣れてるのな? やっぱりお前が俺と付き合いつつ、他の男と交際してたのって本当だったんだな?」


「ーーっ!!」


「確かに高校時代の俺は君にベタ惚れだった。君のためだった、君色に染まろうって考えてた。だけど別れて、自分を取り戻して思ったんだ! 一方的に染められるのって、すごく不快で、すごく嫌なことだって! 俺はもう君のことなんて好きじゃない! もう君の思い通りになんてならない!」


 俺は呆然としている黒井姫子へ屈み込む。

そして上着を肩へ掛け直し、捲れたスカートをそっと元の位置へ戻してやった。


「もっと自分の体を大切に扱ってほしい。君は俺にとって過去の人だけど……これは3年間一緒に過ごした者としてのよしみだ」


「ま、待って、武雄……!」


「じゃあな。お互い別々に楽しい大学生活を送ろうぜ!」


 俺は一方的にそう告げて、講義室を飛び出して行く。


 もうアイツに未練はない。逆に噂で聞いた真実を目の当たりにして、幻滅している節はある。

だからこそ、これを機に、彼女も心を入れ替えて変わってほしい。

 もう終わった恋だったとしても、一度は本気で好きになった人なのだから。



●●●



「ヤバいよ、これ……ガチでヤバいよ……」


 1人講義室に取り残された黒井姫子は頭を抱えた。

 武雄を籠絡して、返り咲こうという計画は見事に失敗した。


 今更ながらやり過ぎたと思った。

 あの雰囲気なら、ランチ会へ誘うぐらいは容易だったのではないか。


 しかし結果は出てしまった。

やり直したいと思って後悔をしても、できるはずもない。



『染谷くんとのランチはどうなりそうですか?』



 タイミング悪く、件の女子グループの一員から確認のメッセージが送られてくる。

もはやどうにもならない。どうしたら良いのかも分からない。


(このままだと、また小学生の時みたいに……嫌よ! もう二度とあんなのは嫌っ!!)


 そんな中、スマホが別のアプリからの通知を受信する。


"ONIさんとのマッチングが成立しました!"


 焦った黒井姫子は、先日、有名なマッチングアプリへ登録をしていた。

 少しセクシーな写真を多く載せたところ、初日から、うざったいほどの"いいね!"が送られてくる。

しかし大半が低年収で、見た目も悪く、歳も二回り以上離れたオヤジ達ばかり。

だから、通知はマッチングが成立した時のみ、来るように設定している。


 今回マッチングが成立した"ONI"という人物は、ようやく巡り会えた超優良物件だった。


 年収は1000万を超え、見た目もまだまだお子様な武雄に比べて全然かっこいい。

年齢も20代後半。今回マッチングできた"ONI"という人物は、全て黒井姫子の望む条件を満たしている。


(もうこの人しかいない……! 私を助けてくれる人は、もうこの人しか……! 染谷のようなお子様になんて、もう興味はない!)


 しかしこれが黒井姫子にとっての災厄の始まりだったとは、この時の彼女は知る由もなかったのだった。


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