【小咄】狐のお姫様は夜に泣く

 お菓子を食べ、どこからか精霊様がお持ちになった本を皆様に読み聞かせて、夜。

 時間の流れがゆっくりとしているのか、一日寝ていなかったような疲労を感じて、流石に着替えもないのでこのまま眠ろうとしていた頃。


「ソフィ、具合はどう? 聖域なんて初めてだから体調崩してないかしら」

「お、お母様!」


 思わず飛び起きて、ささっと身なりを整えました。子爵家のご夫人方とお茶会と称した交流会があるとおっしゃっていたのに、もしかしてまた私が勝手な行動を取ったから……?


「ご、ごめんなさいお母様、また私がお父様とお母様にご迷惑を……」

「いいのよソフィ。流石に今回のは驚いてしまったけど、まだソフィが聖域ここにいる事は我が家が把握しているし、城内でもソフィが居なくなった件についてはルーカス殿下が内々に処理してくださるそうなの」

「陛下ではなく、ルーカス殿下が?」

「ええ。ウィリアム殿下がお母様のところへ向かったのが先日。兄弟間で考えがあるのならその通りにしよう、と陛下はお考えなのね」


 そんな会話を交わしながら、お母様が寝巻きや小さな本の入った袋を渡してくださいます。本当に最低限といったところです。

 あ、良かった、ブラシ入ってます。手ぐしで髪を解かねばならないところでした。


「それにしても、本当に聖域は気持ちがいいわ。時間の流れが違うから感覚が狂ってしまいそうだけど」

「えっ、時間の流れが……?」

「ここでの一日が向こうでは二倍、そう思っていいのよ。ソフィも気付かなかったのね」


 私も初めて来た時はそうだったわ、と笑うお母様。

 お母様曰く、ここでの時間はゆるやかに感じるけど人間の体をもつ私達は体だけ外の時間分に感じるそうです。だから一日寝ていなかったくらいの疲労を感じていたのでしょう。


「では、お母様と私だけこうなるのですね」

「もし精霊の方と結婚したらもう少しソフィは精霊寄りだったのでしょうけどね、でもここへは来ないくらい平穏に、ソフィの自由に生きて欲しいと願っていたの」


 精霊様が用意してくださったベッドにふたりで座ります。さながら星の川のような白銀の髪、夏の青空のような青くて優しいお母様の瞳。こうして側に寄って母娘だけで話すのは久しぶりのような気がしました。


「ソフィ、ごめんなさい。私も旦那様も貴女の苦しみを知っていて、何も出来なかったわ。いいえ、何もしてはいけないと甘えていたのね。お母様や使用人の皆に任せてしまった」

「そんな。お父様もお母様も、領地やそこに住まう皆の為、ひいては私達家族の為にお忙しくなさってたのを知っております! それに、私はお父様とお母様と他愛もない会話をするだけでも嬉しいんです」


 だから、そんな悲しそうな顔をしないで。そう言いかけた言葉は、お母様の腕の中で消えました。


「ねぇソフィ、ウィリアム殿下と初めてお会いした日の事覚えている? あの頃のソフィはちょっと元気いっぱいで、目を離したら怪我してしまうかもと思うくらいだったのよ。それが、ウィリアム殿下にお会いしてから難しい第二王子妃としてのお勉強も貴族らしい振る舞いも学んで、どんどん淑女らしくなって。優しさは変わらず、素敵な令嬢になっていって、嬉しかったわ」

「お母様……」

「でもね。ソフィがウィリアム殿下に縛られているんじゃないかって、旦那様やお母様とずっと悔やんでいたの。ソフィ自ら愛しているとしても、ウィリアム殿下に会う前に他の世界を見せてあげても良かったんじゃないかって」

「他の世界、ですか」

「ええ、好きな事をソフィ自身の手で見つけて欲しかったの。何があってもソフィが没頭出来る事って言ったらいいかしら」


『ソフィア・クエール伯爵令嬢。君はウィリアムの事となると本当に自信を無くしてしまうね。けれど、そうなったら君の好きに生きたっていいとは思わないのか?』


 不意に、ルーカス殿下の言葉が蘇ります。


「好きに生きるって、なんでしょう」

「ソフィア……?」

「私は今の生活が好きです。ウィリアム様に恋をする期限はもう過ぎてしまったかも知れませんが、それでも、得るものはありました。私はもう今でも好き勝手に生きているのです……お母様、それでも私は不自由だと思いますか」


 ──小さな箱庭があるとして。その中に自分が十分だと思えるほど好きなものを詰め込んでいたなら、幸せだと定義してはいけないのでしょうか。

 籠の中の鳥が空を夢見ていると、そう考えるのは人間の方で。

 猫は縛られぬ自由を愛しているから人間に寄り添わないのだと、そう思うのも人間で。


「限られた中であったとしても、私は充分、幸せなんです。今自由になったとしても幸せを感じる事はあるでしょう、でもその時の私はきっと。ウィリアム様を想って涙を流すわ」


 自由になった世界で。好きな人が隣にいない事を、なんとも言い得ない苦しみと共に思い出す。

 それくらい、私はウィリアム様が好きなんです。


「ソフィア……ええ、そうね、決めつけは良くないわ。それは貴女を理解する事と違うもの……ごめんなさい、泣かせるつもりは無かったのよ」


 滲む視界を優しく拭われて、自分が泣いている事に気付きました。ああなんて不甲斐ないと思っていますと、お母様は微笑みながら狐の耳と尻尾を出して、私をもう一度抱きしめ直しました。


「ねぇソフィ、今日はお母様と寝ましょっか。たくさん貴女の世界にある宝物のお話、聞かせて。それがどんなにソフィにとって幸せなのか、お話ししてちょうだい」

「お母様……はい、眠るまで時間は少ないかもしれませんが、いっぱい話しましょう、お母様」


 優しくてあたたかくて、落ち着いて。涙はいつしか止んで、小さな笑みに変わっていました。


 ──それから私とお母様は、眠る前からお母様が帰る時までずっと、たくさんの話をしました。

 もちろん、ウィリアム様が好きってお話も。

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