人間の王子様、覚悟を決める

 夜が明けて。短い睡眠特有の気分の悪さを抑えつつ、朝食に呼ばれたので向かう。

 輝く朝日に照らされるチトセ夫人は先に着いて、柔らかな香りの飲み物を口にしていた。


「どうぞ、王子様。昨夜はあれから幾らか起きていたようだけど、気分は大丈夫かね」

「……何とか。紙とペン、ご用意頂きありがとうございました」

「おや。ケンったら用意してあげたのかい? アンタもまぁるくなったねぇ」

「ソフィアお嬢様の為であれば、相手が誰であろうとお応えするのが仕事ですからな。それに、頭を整理する時間は必要かと」


 まぁそれもそうさね、と夫人が呟いてから静かな朝食が始まる。

 ライスに芳しいスープ、それと焼いた白身の魚。夫人も同じものを口にしており、なんとも質素だなと考えながら吟味し……騎士団の遠征のメニューに入れたいので後で料理人を紹介してもらおうと思った。野営の料理担当にレシピを渡したい。


「その様子は……お口に合ったようだね?」

「失礼、我が団の士気向上に良さそうだと思いまして」

「ケン……幽庵ゆうあん焼きって醤油を使っているはずだね?」

「みりんも使っておりますからな、調味料を輸入しなければならないでしょう」

「輸入というと、夫人の祖国ですか」

「東のね。正規の手続きを踏んでいるから安心しとくれ。まぁそれでザッと見ても手頃な価格ではないのはお察しというところかね」


 雑に計算しても騎士団の予算が圧迫するのはよく分かる。が、もしソフィアが俺と結婚した時、これを出してあげられるのなら──、


「……夫人。俺は、ソフィアに幸せになって欲しい」


 思わず、想いのまま、打ち明けていた。


「なんだいやぶから棒に……幸せになって欲しいという願いは分かる。それをどう叶えるおつもりだい?」

「俺は婚約破棄をして、彼女を自由にしてやりたかった。けれど、一方的に告げればソフィアは何かを思っていたとしても、俺の意志に沿うと言うでしょう。だから距離を置いていました」

「ソフィアは傷付いていたけどね。だから、アンタの兄さんの案に乗ったんだ。そのまま婚約破棄してやればソフィアも良かったのに、アンタが構い倒すから悩んでいたとあの子の侍女が言っていたよ」


 それについては? と見つめられる。喉に言葉が張り付くような、圧を感じる瞳で。


「それは、俺の踏ん切りが付かなかったからです。俺はあの子を、ソフィアを愛しています。惜しいなどではなく、ただ、手を伸ばしてしまった。ソフィアの気持ちを振り回したのではないかという自覚はあります」

「……なら、どうする? 精霊達はアンタを許さないだろう、ソフィアを奪われると思うだろう。それでもあの子を、うちのお姫様を、迎えに行く?」


 お祖父様のようになるな、あの精霊姫のように悲しい終わりをソフィアに与えるな。

 悲劇は繰り返してはならない、精霊長の抱える怨嗟えんさを受け止められるのか。

 朝の眩しい光を浴びて輝く金の瞳は、俺にそう問いかけている。


「──何があってもソフィアに会います。会って話し合い、納得のいく答えを出したい。俺は全てを受け止めた上で行くつもりです、それで死ぬような思いをしてでも」

「そう、考えは変わらないのかい」

「変わりません。俺は彼女に謝らなければならない。加害者からの謝罪は自己満足だと分かっていますが、ソフィアが望むように、彼女を自由にする為に、謝ります」


 例え、それでソフィアと永遠に別れる事になっても。

 そう付け足して、俺は口を閉ざした。きっと、罪を犯した者がその罪を認めた上で刑の執行を待つのはこんな心境なのだろうかと思うほどには、心が凪いでいる。


「ひぃ様。もう、良いでしょう。その先は我々の領分じゃあない。当事者達で決める事をここで聞かなくても大丈夫。そうでしょう」

「ケン、アンタこの王子様に絆されたのかい」

「この方が苦しんで一番心を痛めるのはソフィアお嬢様です。愛する人が傷付けば泣いてしまう、旦那様と一緒にいた頃のひぃ様と同じ。心優しいお嬢様なのですから」

「──やっぱり、いつの間にか甘やかされてるようちの孫は」


 そう笑うチトセ夫人は、どこか遠くを見るように優しく、寂しさを感じさせた。この方もソフィアが大切なのだ、と噛み締めるように胸に刻む。


「王子様。ソフィアの事は頼むよ。今の精霊長様はあの頃を思い出しておいででね、アタシには止められやしない。精霊達の愛するお姫様が、またこの国の王子に悲しい思いをさせられているだけで敏感になっている。精霊長様は特に先代の精霊姫を双子のように思っていたしね。それに、感情を爆発させて力の制御が不安定になったソフィアを魔物にも襲われないよう保護したんだ」

「魔物、ですか」


 ソフィアと馬車に乗り込みその話をしたのが数日前だというのに、遠い日に感じられる。魔物に恐れている彼女を思い出し、少しあの時は申し訳なかったなと胸が痛む。


「ソフィアは精霊姫がどんな最後を迎えたかは知らないけれど、魔物が現れれば真っ先に襲われる事を知っている。あの子に宿る力は妖狐由来のものと精霊からの加護が合わさって出来たものだから、魔物にとってはただの人間の精霊姫よりは美味いのさ」

「……これからは人間を襲う魔物を瞬殺出来そうです」

「おや、そんな怖い顔をするならソフィアの居場所は教えてやらないよ」


 そう微笑むチトセ夫人に、俺は目が離せなかった。


 ──まずは、ひとつ。ソフィアに会うための門は、まだ幾つもあるのだろう。

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