【小咄】或る狐は親友を懐かしむ
過去を思い出しながら話したからだろうか。
ひどく寂しく、優しい夢を見た。
「アイリーン。アタシは、人間じゃないんだよ」
祖国では人間社会で地位を与えられた妖狐の一族の分家の末娘。妖力が高いが故に本家に嫁がせて幸せにしたいと願う親と、そんなアタシを疎む兄弟。それから逃げるように異文化交流としてこちらに来て。
旦那様に惚れて、人間ではない自分が嫌になってアイリーンに吐露した。
でもアイリーンは、なんて事のないようにアタシに笑って。
「お兄様はチトセ様が人間の平民でも、狐のお嬢様でも、きっと愛しちゃうと思います」
「そんなの分からないじゃないか! 狐でもアタシは、絶対に周りを巻き込んでしまう。あの人をもしかしたら不幸にしてしまうかも、」
「運が悪くなっても笑顔で受け入れるわ、お兄様ったらお人好しなんだもの。チトセ様が良いならずっと傍にいるような人だって、知ってるでしょう?」
驚いて耳と九つの尾を出してしまった時も、尾のひとつを取って美しいねと笑った顔を思い出して、胸が熱くなる。
あんなに優しく撫でてくれる他人なんて、いなかった。アタシの毛並みなんかより綺麗で柔らかなあの人の笑顔の方が、何倍も美しかった。
「ねぇチトセ様。分かってるのでしょう? お兄様は精霊だとか人間だとか何も無く、平等に対等にあるのが普通だと思ってる方なの。狐だから結ばれないなんて、絶対に無いはずよ」
「でも、アタシは」
「もうっチトセ様! いつもは堂々としてらっしゃるのに、お兄様が絡む時はうじうじなんですからっ」
両手を包むように握られて、淡い紫の瞳を真っ直ぐ向けられた。月明かりに照らされた黒と紫の混ざった髪は夜空のように美しくて、眉を八の字にした可愛らしい笑顔がよく映える。
「チトセ様はお兄様が好き、それでいいじゃないですか。お兄様に好きになって欲しい、それだっていいじゃないですか。ここにはチトセ様を邪魔する人なんていません。いたら私、怒ります!」
「……アイリーンは?」
「お兄様は異性ではなくお兄様ですから。それにお人好し過ぎるお兄様のような人よりは、心から頼れる殿方に嫁ぐのが夢です。市井の方だって良いってお父様達もおっしゃってますしね」
「そこで王子様とか言わないのは、アイリーンらしいね」
「まだお会いしてませんから。私は精霊姫だそうですからいつか会うのでしょうけど、地位とか関係なく幸せになりたい。愛し愛される関係でありたい。だから、チトセ様が義理の姉になるのは賛成ですよ? チトセ様はお兄様や私達の事も森の皆さんにこの土地に住む人達も大好きって分かってますから」
にっこりと。まるで、明日は晴れるから大丈夫だとでも言うように。
「アタシは、好きな人がいる土地だから、好きな人が守りたい人達だから、好きなだけで」
「十分じゃないですか。それでも嫌いって事もあると思いますし、相手も大切に出来る好きを持った方だからチトセ様がお義姉様になったらとっても嬉しいんです」
ああ、本当にすごい子だ。周りに悪く思われたとしても、なんでも良い方に考えられる事が自身の心を守る事において良いという事を良く知り、それを上手く使いこなしては嘆く他人の夜道を照らす月明かりにする事が出来る。
ただ気を回すのではなく、相手を叱るだけでもなく、相手を輝かすだけではない柔らかで優しい光で照らし、前を向かせる余地を与える優しい子。
それが、アイリーンの美点だった。
「ありがとう、アイリーン。少し話したら落ち着いてきたよ」
「あっチトセ様。お兄様と結ばれたら即、既成事実なさってくださいね? 昨今は婚約破棄が流行っているようですしお兄様に限って浮気なんてしないと思いますけど、私が許可しますので!」
「何を言うんだいアイリーン! 淑女がそんな事言うもんじゃないよ!」
そんな突拍子もない子だったけど。
すごく、いい子だったのに。
「アイリーン!」
──やっと会えた時の彼女は酷く弱っていて、平らな腹に物騒な物がひとつ、突き刺さっていた。
「チトセ様、どうして」
「精霊長様も一緒さね。ああ、なんで、どうしてこんな」
「お兄様、は? 顔が見たいわ、」
「向こうで馬鹿王子を取り押さえてるよ、すぐ会える。だからアイリーン、ナイフから手を退けて。その腹を塞がなきゃ、」
「お元気なら、いいの。チトセ様。私、魔物に食べられそうだったけど、私自身を、みんなを、守れたの。永遠の繁栄、なんて、嘘っぱちだって、知ってたもの」
弱々しくも穏やかにアイリーンが微笑む。隣で精霊長様が怒りと憎しみに満ちた目で王子がいた方を睨むが、すぐにアイリーンに目を向ける。アイリーンの方が大事で、彼女の死を予感していたからだと気付いたのはしばらく後の事だった。
「ごめん、ごめんよ、ボクらのお姫様。助けてあげられなかった……」
「いいんですよ。ただ、精霊のみんなが、私を心配してくれていたのは知ってたし、助け出そうにも、出来ないって、泣いてた子、いたもん」
「魔物の巣の近くで精霊が集まったり、精霊が大きな力を使えば、即座にアイリーンに危険が及ぶ……あの男、悪知恵だけは回ってたからね」
「チトセ様、あの人は、愛と執着が分からない人だった。だから、私を逃したくなくて、生ける屍にしなくちゃ、いけないのに、私がどこかに行ってしまう。それは、いけないから。魔物の巣の近くに移ったって、言ってたの」
アタシは、そう、としか返せなかった。アイリーンは、瞳を
必死に、アタシ達が遅れたんじゃないって、自分を助けてくれようとしてくれてありがとうって、伝える為に。
「ねぇチトセ様、お兄様と、お幸せにね? 私、ふたりの子供、見たいなって、思ってたんだから」
にこりとそう笑って、アイリーンは二度と覚める事のない眠りについた。
呆然と、ただ妹のような親友が亡くなった事に泣いて。胸に熱くて痛いものが刺さったような心地の中。
「アイリーン。精霊のお姫様。夜の闇の色の、ボクと同じ色をした人間の女の子。ボクらは君を忘れないよ」
精霊長がそう告げたのを、覚えている。
それからアイリーンは伯爵家の領地で葬式を挙げ、クエール伯爵領の森の湖の傍に眠っている。あそこなら墓は荒らされないし、アタシ達家族は会いに行けるから。
アイリーンの死は歪められたけど、アタシは静かに彼女が眠れるように祈るしかない──。
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