【小咄】精霊の微睡み

 遠くに精霊様達の楽しそうな歌声が聞こえます。

 優しくてほのかに明るくて、緑の香りが胸いっぱいに満たすほど癒される場所。精霊様達がのびやかに自由に過ごされる、聖域。

 そこに私はいました。


「精霊長様、ここで私は何をすれば良いんでしょうか」

「何って……特に考えていなかったよ。逆に何かしたい事はあるかい?」


 したい事。そう言われて思い出したのは、あの舞踏会の夜。

 ルーカス殿下に好きに生きたらいいと言われたあの時、私は答えられませんでした。今よりものを考える余裕が無かったのかもしれませんが、まだ「ウィリアム様のお側にいる事以外で、こう生きたい」というものは見つけられていません。

 いつか、胸を張って言えるものが見つかればいいのですが。


「ソフィア、大丈夫?」

「……はい。少し考えていたのですが、これと言ってやりたい事が思いつかないんです」

「──じゃあ、お菓子を作ってくれる?」


 精霊長様はそう言って手を差し伸べてくださいました。


「実は人間の世界のお菓子をたくさん食べてみたいと思っていたんだ。ソフィアのお菓子は精霊達の間でも美味しいって評判なんだよ?」

「そういえば、たまに外でお茶している時に持って行かれる精霊様がいらっしゃいますね。なるほど、精霊様もお菓子が食べたかったのですか」

「騎士と言ったかな、彼らにソフィアが渡したお菓子を盗んでしまう子がいるほどなんだ。そこは流石にボクも怒ったけれど」


 そんな事もあるのですか、と衝撃を受けつつ、そういえばキャロライン様も少ないとおっしゃっていた事を思い出しました。精霊様がこっそり持って行ったのなら数が足りないのも頷けてしまいます。それに、一般的に精霊様は人前に姿を見せないのですからその「こっそり」も達人並みなのです。

 こればかりは騎士の皆様だって分かりませんし、精霊様がお菓子を食べたいなんて知らなかった私も悪いのですから。


「とにかく、必要な物があれば言っておくれ。火が欲しいなら扱える精霊を呼ぶし、砂糖や果物なら草木の精霊がなんとかしてくれるからね。器とかは人間から拝借して返しそびれている物があるからそれを使って」

「人間から借りて、返せていない物、ですか?」

「精霊の中でも悪戯な子は人間から物を借りては精霊に貸し出す子がいるんだ。ほら、よく物を無くす人間っているだろう? それは精霊が物を借りやすい、隙が多くて悪戯されやすい人間って事さ」

「……おこがましいと思うのですが、無くされてしまったら困ってしまう事もあると思いますし、精霊長様が注意するという事は無いのでしょうか?」

「それは自然の摂理というか、それで人間が大変な事になっても、ボクら精霊のせいではなくそういう運命だっただけだ。生命が生まれていつしか死ぬように、その事象が起こる事で動き出す事柄もあるという思想だね」


 色んな精霊様がテーブルやボウルを用意してくださる中、精霊長様のお話に耳を傾けます。


「自分で言うのも変な話だけど、精霊は世界そのものを生き物の体に例えたら、細菌や神経とか体に何かしら働きかけるきっかけだとボクは思うよ。だからなのさ」

「……では、人間と精霊の間の私達は、どこに例えられるのでしょう」


 ぽつりとそう呟いて、思案します。

 人間と精霊は分かれて暮らしていて、でもそんなふたつの存在が惹かれて、産まれたお母様と私。私に至っては精霊よりは人間の方に近い筈で、でも魔法の力は強くて、今もこうして精霊長様とお話をさせて頂ける身で。

 ぐるぐると、まるで紅茶に注いだミルクをかき混ぜるように思考を巡らせていると、精霊長様が笑いました。


「ふふ、狐のお姫様。今はそんなに難しく考えなくていいさ。この世界には辛い事も楽しい事もあるって覚えていさえすれば、いつか分かる事だから」

「そう、なのでしょうか」

「きっとね。あの王子様が頑張ってくれれば、だけど」


 あの王子様、と聞いて最後に会った時のウィリアム様が浮かびます。

 精霊長様の手を取った私を呼ぶ、少し急いだ様子のウィリアム様。きっと私をずっと探していてくださった、王子様。

 もしあの手を取っていたら私は、どうなっていたのかしら。


「やっぱり、王子様が心配かな?」

「……すみません。皆様にとって人間に良い思い出が少ないというのは、分かっているのですが」

「人間に、というよりはあの王族ってヤツなんだけれど……まぁ、その辺の誠意を込めて王子様が頑張ってくれるとボクは願ってるよ」


 ふわりと宙に浮き長椅子に横になるような姿を取った精霊長様が、まるで明日の天気が晴れたら良いなとでも言うようなのんびりとした様子でそうおっしゃると、小さな精霊様が私の周りにやって来ました。

 くいくいと服を引っ張るので何かと混乱していると、精霊長様はくすくすと笑います。


「その子達、お菓子の材料と道具を人間の台所を見るのが好きな子と協力して用意してみたから作って欲しいってさ。ボクからもお願いするよ、お昼寝して待ってるけれども」

「わ、分かりました。少し緊張しますが、美味しいお菓子を作らせていただきます」

「素直に緊張するって言っちゃうんだ、可愛らしいねお姫様は」


 そう美しく笑う精霊長様も、なんだか可愛らしいなと思ったのは、ここだけの話です。

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