狐のお姫様は手を取る
というのも今の私は転移の魔法が使えません、そこまで大掛かりなものは準備をして心を落ち着けないと制御が出来ないからです。狐の耳も尻尾も出してしまうほど感情が昂ってしまった今では制御は効かず、無理に転位できたとしてもどんな場所に辿り着くか把握出来ません。
それに何故逃げたのかのだって、ウィリアム様にこんな狐の耳や尻尾を見せてしまった令嬢としてマナー違反をしてしまった恥ずかしさと、ウィリアム様を、
「──ソフィア・クエール、東方の狐の血を引いたお姫様。こちらへおいで」
そんな声にハッとなり意識を向けると、そこは紫水晶宮の庭園。その中に鎮座するガゼボにまるで芸術品の様に微笑む、人がいました。
中性的な美しさのある顔立ち、黒と紫色の髪色はどこか妖しさも神聖さもあり、その立ち振る舞いからも高い教養──いいえ、知性を感じます。
そもそも初対面で、こんな狐の耳と尻尾のついた私の名を呼んでいるのは、知られているのは少し怖い。
「初めまして、ですよね」
「君とボクはね。いつも君の家族やきみがボクの友達に優しくしてくれるから、つい一方的に親しみを持ってしまうのは精霊の悪いところだろうね」
そう言ってその人は、ふわりと私の前に飛んで来ました。少し浮いて。
そのお姿にひとつだけ伝え聞いていたものではありますが思い当たりがありました。
「もしや、貴方様が」
「改めて名乗ろう、お姫様。ボクはクエールの森の精霊の
美しくもどこか無垢な笑顔で、精霊長様はおっしゃいました。私と同じか年下くらいの人間のようにしか見えませんが、精霊様の大きさや姿形は個人の能力に比例するのだと小さい頃に教わりました。長ともなればやはり体が大きいのでしょう。
ならば、と精霊長様に導かれながら庭園へと身を隠そうと歩みます。
「この屋敷、というのかな。この庭園の精霊が君の状況と場所を教えてくれてね、さらに魔物が近くをウロついていると聞いたものだから居ても立っても居られないと思ったんだ」
「離宮の庭園にも、精霊様が?」
「恥ずかしがり屋の草木の精霊がね。たまに花の精霊もいるけれど、人間に見つからないように皆隠れているから」
精霊長様が生垣に出ておいでよと声をかけますと、あちらこちらから精霊様がたくさん顔を出してくださいました。
領地の森の精霊様よりは控えめな方々のようですが、優しいのは変わらないご様子です。
「皆様、ご心配くださってありがとうございます」
「クエールのお姫様。彼らと積もる話はあるだろうけど、そろそろ森に向かおうか。転移の魔法ならボクが使うから、君は安心してボクに身を委ねれば大丈夫」
転移の魔法。それを聞いて精霊長様を見つめました。身を隠すのでは無かったのですね、と。
すると精霊長様は眉を下げて笑いました。
「言ったろう? 君を助けに来たと。厳密にはここから森の聖域に身を隠させるのだけど」
「──それは、お婆様の願いですか?」
お婆様が忙しい両親に代わって私を心配してくださるのはよく分かります。でも、それに頼りきるのはいけない気持ちが無いと言えば嘘になります。
そんな迷いを察されたのか、精霊長様は言葉を紡ぎました。
「クエールの代表からは許可をもらっただけさ。君は狐のお姫様でもあり、ボクらの友人の大切な孫だ。魔物が活発になっているのに感情で力が不安定な今の君が望むのなら、安全なところに連れて行くとお互いに話し合って決めたんだよ」
「そう、なのですね」
「大丈夫、落ち着いたらクエールのお屋敷まで帰してあげる……だから、この手を取っておくれ」
そうして差し伸べられた手は小さいけれど、安心感がありました。けれど、もう少し大きな手の方が安心出来るのに。そう思って、胸が痛くなります。
(私、まるでウィリアム様の手を望んでいるみたい……精霊長様に失礼なのに)
ウィリアム様からしたら私は浮気者だとエミリア様に指摘される前から分かっていたのに。自分の夢見がちな気持ちでまた見ないフリをしてしまっていたのに。
それでも好きな人を求めるだなんて。
なんて、
「──ソフィア!」
遠雷のような、微かでいてそれでも耳に届く声。
求めていた、人の声。
「人間に見つかってしまうよ、さぁ早くボクの手を取って」
「でも、ウィリアム様が私を、私を探して、」
「狐のお姫様。君はもう十分彼に振り回されたよ。だから、今は少し離れた方がお互いにとっていいと思わないかい?」
お互いに、ウィリアム様にとって、良い事。もし、ウィリアム様が幸せになれるのなら私も嬉しい。
好きな人に、好かれていないのだとしても。
「ああ……大丈夫、君はボクら精霊がついている。気に入ってもらえるよう誠意を尽くそう、だから、手を取ってくれてありがとう」
精霊長様のスミレ色の目が笑います。私が添えた手をそっと握り返して、精霊長様が転移の魔法の呪文を唱えました。
美しい声と光に包まれながらウィリアム様の幸せを願うと、
「ソフィアっ」
輝かしい光の中では表情までは分かりませんが、ウィリアム様がいらっしゃいました。
色んな思いがあふれそうで言葉が出ない私に代わるように、精霊長様は悠々と言葉を紡ぎます。
「人間の王の子。ボクは、ボクら精霊は君から大切なものを返してもらう。取り返したいのなら、最も愚かな人間の血を継いだ君に、このお姫様と釣り合うだけの価値があるとボクらに証明したまえ」
出来るのならね。そう精霊長様が言った瞬間、私達は転移しました。
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