狐のお姫様は隠せませんでした
数日ぶりの王都のお屋敷。社交界のシーズンに私が一度帰ってしまったのもあってか少し疲れていらっしゃる様子のお母様とお父様に再会して、申し訳なさ半分喜び半分の穏やかな家族の時間を過ごした次の日の朝でした。
予定通り王城に向かうために淡い緑のシフォンがあしらわれたドレスに身を包んでさぁ向かいましょう、というところでアンが声をかけてきました。
「お嬢様、王城から遣いが来ました」
「その予定だったかしら……何にせよ今向かうわね」
鏡で狐の耳と尻尾が隠れているかしっかり確認してから玄関に向かい──驚きました。
「う、ウィリアム様……どうしていらっしゃるのでしょうか?」
頑丈な鎧のついた騎士の黒い服装に第二師団を表す紅色の勲章が眩しいウィリアム様が私を迎えたのです。装いから察するに騎士としていらしたのでしょうか。
そんな私の小さな戸惑いが読めたのでしょうか、ウィリアム様は少し眉を下げました。
「貴女を護衛騎士として迎えに来た。先日の約束を果たせそうだと考え、無理を言って代わってもらったのだが……嫌だったか」
「いいえ、ウィリアム様のお仕事は忙しいと存じておりましたので驚いてしまって。それに王族であるウィリアム様からお迎えに来てくださるなんて、前例も無かったものですから……」
「確かにそうだったな……しかし、今回ばかりは貴女が来るのを悠長に待っていられる事態では無くなってしまい、俺が来た」
周りを警戒するように声を細めてウィリアム様はおっしゃいます。その様子に何か胸騒ぎがしましたので、とにかく馬車の中へウィリアム様にエスコートされながら乗り込む事にしました。
馬車は私がいつも使用するクエール家の家紋があしらわれた、貴族が持つ分には少し質素でで小さな見た目ですが中はとても快適な物です。揺れや室温などは私が自分で魔法をかけています。
まさかウィリアム様を乗せるとは思いもしませんでしたし、隣に座られるとも思いませんでしたが。
「それで、私が王城に到着する時を待てない事態とは……?」
「では本題から話そう。今回、貴女はクエール伯爵家を通じてエミリア様と兄上に呼ばれたのだろう」
「はい、ですので王都に戻って参りました」
「しかしこのタイミングで、王都の森の中に魔物が入り込んだ」
魔物。そう言われて隠しているはずの尻尾が毛立った気がしました。
精霊を喰い、周りに瘴気をもたらし、自然も生物も殺す、例え小さくとも恐ろしい正に自然の災害に等しい存在。私達クエール伯爵家の狐は精霊に在り方が近い(だからこそこの異国の地の精霊様達とお話が出来る)ため、魔物に見つかれば確実に狙われると教わりました。
でも魔物は年に1回はあるような程度の発生です。そのため今までその脅威に遭った事はありませんでした。
そして王都をぐるりと囲む森に魔物が入り込むのは、何年振りかと思われます。
「王都内は魔物が入れないよう結界が為されているが、万が一でもクエール伯爵家……ソフィアが襲われたとなれば国の一大事だ」
「いいえ、私よりエミリア様が襲われた方が国の一大事かと思われます。エミリア様はどちらに?」
はっきり言えば、怖くて仕方ありません。自分の命の危険があるのですから当然だとは思います。けれど、私より優先すべき人や物事は多い。国や民のこれからを考えればそれは明確です。
本当は自分の尻尾を撫でたり抱きしめてしまいたい。でもそんな事をする暇があるのなら、優先すべき事柄に目を向けるべき。
ですからそういった問いをかけたのですが。
「──ソフィア、落ち着け」
そっと、ウィリアム様の手が重ねられました。装備の鉄の冷たさと共にウィリアム様の気遣いを感じて、少し息が出来たような気がします。
「怖がらせてしまった、な。兄上とエミリア様は副団長、キャロラインが王城内で護衛しているから心配はない……しかし、隠し事は貴女を悲しませるだろうと考え正直に言ったが、逆効果だったようだ」
「ウィリアム、様」
「だが俺は少しでも貴女に信頼して欲しかった。却って怖い思いをさせて、本当にすまない」
少しだけルーカス殿下に似た柔らかな笑みを向けられました。けれどその笑みには申し訳なさが混ざっていて、その優しさにほろりと涙がこぼれてしまいます。
私は、ウィリアム様とふたりきりの今だけ、怖い気持ちを隠せなくとも良いのでしょうか。
「ソ、フィア……」
「ウィリアム様、令嬢としてはしたない姿をお見せして申し訳ありません。ウィリアム様のお心遣いや優しさに感謝しておりますのに、魔物が怖い気持ちを抑えられないなんて、第二王子の婚約者らしくないと、分かっているのに」
大切な人が襲われたら。見つかってしまったら。そして、食べられてしまったら。
子供がおとぎ話の人喰い狼に恐れるような事だと思いたいのに、弱い私を見られるのはいけないのだと理解しているのに、
「今だけ、許していただけますか?」
少しだけ吐き出せばすぐに落ち着くと思います、と付け足して。
「──許すも何も、ここは公式の場じゃない。俺と貴女だけだ、誰も咎めたりなんかしない。もしいるのなら俺が矢面に立ち貴女を守る。でなければ何の為に、」
むっと口をつぐみ、ウィリアム様は少し考えるように目を閉じてから、いや今の話に関係ないなとおっしゃいました。そんな姿を見たのは初めてで、弱っていた私の心に少しだけ優しい光が差し込んだような気がします。
「とにかく。この馬車には俺達しかいない……だから、大声で泣いたって大口を開けて笑ったって、誰も咎められない。隠さなくていい」
そう言葉にされて更に心が、まるで安堵して椅子に座るように、落ち着きます。いつもよりゆったりとした低いウィリアム様の声に安心して、重ねられたままの手をそっと握りました。
ありがとう、の気持ちを込めて。
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