狐のお姫様、悩む

 ──その日の夜。


「わ、私、ウィリアム様にソフィアって呼ばれてふたりきりで大好きな池のほとりを歩いたけれど、ほ、本当に夢では無いのよね……?」

「落ち着いてください、アレは現実です。私もおふたりで歩く姿をこの目で見ましたから」

「本当に、本当なの? い、いつものフォーマルなお姿ではなくって、リラックスしたこう、素敵なお姿なのよ……?」


 あの後森を出て屋敷に帰ったのをふんわりとしか覚えてないくらい嬉しくて仕方なくて、あっでも、帰り際にこそりと耳元で、


「また、会いに来る。って、囁かれたのも現実……? アン、私今晩ちゃんと眠れるのかしら?」


 落ち着いてくださいお嬢様、とアンが優しく髪と狐の耳と尻尾にブラシを通してくれますが、やっぱり落ち着けません。私、今までこんなにウィリアム様に気にかけていただいた日が無かったんですから。

 いつか、おおやけではないところでも私と手を繋いだりして下さるのでしょうか。手の甲に本当にキスしてくださる日が来──あっでも、婚約者としての義務と思っている可能性も否定出来ないのでは。


「わ、私、ウィリアム様にどう思われているのかしら……? この耳と尻尾を嫌悪されたらどうしましょう、いっそ今のうちに焼く……?」


 おもむろに指先をピンと立ててから魔法で炎をつけて見つめます。痛い辛い苦しいと思いますがウィリアム様の為なら大丈夫、耐えてみせます。


「お嬢様本当に落ち着いてくださいませ。今落ち着けるハーブティーお持ちしますから」


 なだめるようにそう言われて、私は息で炎を消した。

 だって、私は狐で。彼に好かれているのかすら分からなくて。恋が実らないのならそっと心に押し込めてしまおうと思っていたのに。


「ですが本当に、悪い男だと思います。今までお嬢様をぞんざいにしておきながら、失いそうになって初めて大切にしようとするだなんて。虫のいい話にも程が、」

「待って、アン。私はぞんざいな扱いをされたと思ってはいないし、会う機会が少ないのも忙しいから仕方ない、それだけなの」

「……お嬢様は寛大過ぎます。本来、こういう時はもっと怒って良いのです」


 もっと怒ると言われても、怒ってもウィリアム様の心に届くとは思いません。

 それこそ有事で無ければ、私の言葉に耳を傾けてくださらないのかも。


「ああ、そう……そうね、私との婚約が危うくなればこの国が危ないとお考えになったのかしら。それなら使命感で私に優しくしてくださったのかもしれないわ」

「お嬢様?」

「私も、もう少し大人にならなくてはいけないわ」


 さっきまでのあたたかな気持ちが冷めて、やっと落ち着いた気がします。やっぱりこの恋は叶わず、むしろ愛のない結婚を覚悟しなくてはならないのかもしれません。そちらも考えなくてはいけないのに頭に無かったのは、まだ恋に生きたいという私の未熟さから来たのでしょう。

 このまま第二王子妃になるとして、もしウィリアム様に何かあった時に冷静かつ適切な判断が取れなくなってしまうかもしれませんし、やはり早く恋心を忘れなくては。


「──お嬢様、やはり今日はお疲れなのですね。ハーブティーを飲んだらすぐにでも寝ましょう、夜に悩むのはいけない事ですから」

「夜に悩むのは、いけない事?」


 どうして? とアンに問いかけると、ふと目を細めてアンが笑いました。


「夜はどうしても心を悲しくさせやすいのです。或る者は月に想い人を重ねては涙を流し、或る者は夜の静けさに孤独を感じる。それが心地いいと思う時もあればどんどん辛くなる事もありますでしょう? 不思議な事に、そんな魔法をかけられてしまうのです」

「心を悲しくさせる、魔法」

「月も太陽も、不思議とそこにあるだけで心を動かすのです。だから、ちゃんと考えるのは日中に致しましょう」


 アンがそう言いながら目の前にハーブティーを置いてくれました。柔らかで華やかな香りが鼻をくすぐって、自然と涙があふれて。

 湯気のあたたかさが、ウィリアム様と歩いたあの時の気持ちを少しだけ思い出させてくれます。

 優しくてあたたかくて、胸が熱くて、切なくて。


「やっぱり私、ウィリアム様が好き」


 それだけは変わらなくって。


「ありがとう、アン。少し落ち着いた気がするわ」

「それはなによりです。飲み終わりましたら寝まし、」

「久しぶりに一緒に寝ましょう、昔みたいに姉妹のように」

おそれながらお嬢様、私は──」

「仕事が終わるまで待つわ、だからお願い。


 だって、このままひとりで眠ったら、またウィリアム様を想って泣いてしまいそうで。だから眠る間だけ、アンに傍にいて欲しい。

 でもわがままかしら、と思い直してやっぱり断っていいと口にしようとした途端、アンが優しい笑顔で眉をちょっと下げました。


「もう……分かったわ、今夜だけね。ソフィア」

「ありがとう、アン姉さん」


 ウィリアム様と会う前、私達がまだ主従すらも分からなかった頃の砕けた口調のアン。それが嬉しくて、また涙が出そうになります。




 そんな寂しくて優しい夜が明けて、いつものようにお婆様と朝食を取っていた時でした。


「王城に、ですか?」

「なんでも隣国のお姫様が突然来国するらしい、そのお姫様がソフィにも話を聞きたいそうだよ。なんて名前だっけね」

「もしかして、エミリア、様?」

「そういえばそんな名前だったか。確か第一王子の婚約者だと聞いているが、行動力のある姫のようだよ」


 おめかししてお行き、と笑ったお婆様は少しだけ、ほんの少しだけ、炎のように揺らめく尻尾がたくさん見えたように思えました……怖かったです。

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