狐のお姫様は訳も分からず逃げ出した

ウィリアム様はこちらを見るなり、同じく準礼服姿のキャロライン様を伴ってルーカス殿下にご挨拶……と言うには物々しい雰囲気でやって来ました。


「やぁ、ウィリアム。君も来るとは意外だった」

「……兄上が来ると聞きましたので来たまでです」


 そうかと笑うルーカス殿下とウィリアム様を見ていますと、ウィリアム様が私を見ました。


「それで、ソフィア嬢。何故兄上の隣に座っているのか説明頂こうか」


 ルビー色の瞳が射抜くように私を見つめてきました。思わず見惚れてしまいそうなのをぐっと堪えて、言葉を紡ぎます。

 伏目がちになってしまったのはどうかお許しください、と思いながら。


「殿下に、その、」

「ソフィ。大丈夫だ、僕から説明するよ」


 軽く手を重ねられて、小さく頷きました。

 そもそもルーカス殿下と手を重ねられるほど側に椅子が置かれているという事は「婚約関係」か「それに近しい関係」を指します。

 いつもこういった場に遅れていらっしゃるウィリアム様もこのくらい近い距離の椅子に座られますが、このように手を重ねられた事も話しかけられた事もありませんでした。


「兄上。俺はソフィア嬢に聞いているのです。それにその彼女への呼び名はなんですか」

「──ウィリアム。君は彼女と婚約をしていても、だろう? ならばと思い彼女と親しくさせてもらおうと思ってね。父上も喜んでいたよ」


 殿下の言葉は嘘ではありません。公務の関係でこの場には居られませんが、国王陛下もこの件を認めているそうです。


「それに、ソフィはとても聡明で可愛らしい。未来の王妃にもなれるよ」

「兄上。貴方には隣国、エミリア姫との縁談が来ているはずですが」

「おや、国内の優秀な淑女と婚姻しても構わないと父上から伝えられているものだからつい。まぁエミリアにも会わなきゃいけないけれど……それはウィリアムに関係あるのかい?」


 柔らかな微笑みを浮かべて殿下はそうおっしゃいました。言葉に含まれた冷たさは少し怖いですが。

 居心地が悪くて、とても気分が悪いです。


(これ以上は顔に出そうですし、扇で顔を隠してやり過ごし……あら、キャロライン様……?)


 そっと扇で口元を隠していますと、キャロライン様が目に入りました。

 彼女も駐屯地から直接来たご様子でしたので騎士の準礼服のお姿のようですが(騎士に所属していても特例が無い限りはドレスが相応しいとされています)、ルーカス殿下を見て顔を青くなさっていらっしゃいます。

 彼女にも話は通っていないと考えてはいましたが、私ではなくルーカス殿下に何らかのショックを受けているように見えました。

 不思議には思いますが、本当に気分が悪いので段々とキャロライン様から意識は逸れてしまいます。


(ああ。だめ。やっぱり気持ち悪い。好きな人にいわれもない事で責められるのがこんなに辛いだなんて、想定以上過ぎるわ)


 未だにウィリアム様と睨み合うルーカス殿下の手を握りました。私が殿下の手を握り返しましたら「私(の心)が限界です」という合図だと決めておりましたので、殿下も私の合図に気付いたようです。


「ソフィ、顔色が悪いね。僕が送るから帰ろうか」

「はい……お言葉に甘えさせていただきます」


 そうしてルーカス殿下にエスコートされるように立ち上がりますと、少し立ちくらみを覚えました。ルーカス殿下と手を繋いでいて本当によかった、そう思っていると肩に手を添われました。


「ウィリアム、さま……?」

「ソフィア嬢。改めて後日話を聞かせてもらうが、その──気を付けて帰るように」


 小さな声ではありましたが、最後まではっきりと聞こえました。

 しかし顔もその言葉の真偽も確かめる間もなくルーカス殿下に手を引かれて、逃げるように立ち去ります。


 今までウィリアム様から聞いた事のない声色、かけられた事のない言葉。

 思わず、王都の屋敷へ帰る馬車に乗り込んでから見送る為にその場にいた殿下に問いかけてしまいました。


「ルーカス殿下、先程のウィリアム様のお言葉は一体……」

「えっ。それ僕に聞いてしまうのかい、ソフィア嬢」

「い、一度も聞いた事もかけられた事もない言葉で、どうしたら良いのか全くもって分からないんですっ」

「それは消化不良ってやつかなぁ……まぁ、一応そのまま受け取ってみたらどうだい? 帰るまでは、ね」


 そんな殿下の言葉を受け取って、私はそのまま屋敷に向かってもらうよう御者さんにお願いしました。煌びやかな王城を眺めながら、ウィリアム様の言葉を考えます。

 気をつけて帰る、とはなんでしょう。言葉をそのまま受け取ればとっても嬉しいです。でもウィリアム様から聞くとは思ってませんでした。


「──様、お嬢様。聞いておいでですか」


 親しい声に呼びかけられて向かいの椅子を見ると、眉を下げたアンが座っています。


「アン、馬車に戻っても姿が見えないと思ったら?」

「ずっとお傍に控えておりましたとも。それより! 奥様と大奥様にもご連絡済みですし、このまま大奥様の元へ向かわれますか?」

「御者さんも疲れていらっしゃるでしょうし、私ももう少し楽な格好で向かいたいの」

「分かりました。荷物はまとめてありますので、着替え次第大奥様の元へ向かいましょうか」


 そうね、とアンの提案に頷いてからまた王城を眺めました。


(ウィリアム様が私をどう思っているのか分からずじまいで、そればかりか謎が増えてしまったわ。それに、)


 あの、労るような優しい声色から逃げてしまって良かったのかしら。

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