狐のお姫様、緊張する

 ──ルーカス殿下と取引をして、数日。


「待っていたよソフィア嬢……いいや、ソフィ」


 そう愛称で呼ぶのは、ルーカス殿下。

 今日は王城でふた月に一度開かれる舞踏会です。殿下やウィリアム様との交友を目的とした貴重な機会なのですが、ウィリアム様はいつも遅れてやって来るためいつもひとりで入城するのですが。


「殿下。疑う訳ではないのですが、その、本当にウィリアム様が私をどう思っているのか……殿下と親しくしている姿を見せれば分かるのでしょうか」

「きっとね。まぁ、事前に参加者にはこの計画について説明してあるし国内の人しか参加してないから、君達の婚約は大丈夫」

「そこも心配はしていますが、もしかしたらウィリアム様が婚約を貴方に譲るかもしれません。私の事が好きでなければ、の話ですが」


 私は、鮮明に覚えているのです。

 あの時の冷たい視線、あの時の言葉を。


『──ウィリアム・イーリス・アレキサンダーだ。俺はあなたを好きにならない。よろしく』


 あれからたくさん勉強をしました。ウィリアム様の隣にいても恥のない令嬢になれるように、少しでも好ましく思われるように。

 家庭教師やお婆様に何度怒られても、泣いても、また立ち上がる事が出来ました。好きな人に好かれたいから。

 当然、淑女として今日も露出の控えめなドレスやお洋服を選びました。好きな人以外に肌を晒したくないから。

 けれど、夢見心地でお慕いするのも期限があります。それは数年くらい前から分かっていましたが、見ないフリをしていました。ウィリアム様が好きだから認めたくなかった、とも言えるでしょう。


「もし私が本当に殿下の婚約者となった時は……公妾こうしょうを、」

「ソフィア・クエール伯爵令嬢。君はウィリアムの事となると本当に自信を無くしてしまうね。けれど、そうなったら君の好きに生きたっていいとは思わないのか?」

「好きに生きると言われましても」


 今ですら好きに生活している自覚がありますから、これ以上好きに生きろと言われても思いつきません。それこそ、新しい本を買って読み漁るくらいでしょうか。

 けれど、ルーカス殿下はそんな答えをお望みではないはずですから、うんと長く考え込んでしまって。ついにはくすりと笑われてしまいました。


「なら、好きな事を教えてくれ。どんなものが好き? ウィリアム以外にも好きな事はあるだろう。例えば僕なら、乗馬が好き、とかね」

「それなら……本を。もっとわがままを言うのなら領地の、お婆様の暮らすお屋敷で読書をしたいです」


 お婆様は数年前に領地の森に小さなお屋敷を建ててそちらで暮らしています。お爺様の入ったお墓が近いのでたまに私も伺いますが、美しい自然はもちろん、のどかで穏やかな土地で、私が大好きな場所です。


「なら、今日が終わったら君はそちらでしばらく暮らしたらどうだろう。少しは息抜きが必要さ」


 それは、とても素敵だと思います。婚約破棄をされたとして、あそこなら心もいえそうですから。


「そうですね、そうさせていただきます。あ、婚約破棄等の際に必要な事があればもちろん王城に赴きますが」

「まぁ、その辺りはそうなった時に考えれば良いよ──さぁ、会場に入ろう。ソフィ」


 そっと手を差し出されたので、おそるおそる手を重ねます。ゆっくりと会場に入ると視線を集めました。こそこそと話し声が聞こえますが、本当に裏でお話が通っているのかしら。

 いつも通りの舞踏会の雰囲気。けれど安らいだと思っていても心は落ち着かなくて、ちゃんと笑えているか心配です。

 王城の舞踏会はとても煌びやかで華々しく、それでいて飾られている花の香りのおかげか空気も澱みが少なく思われます。あまり良くない噂を持つ貴族が主催だともっと「人間の匂い」が強いので、長居出来ませんが。

 王族と関係者が鎮座する椅子にルーカス殿下に案内され恐る恐る腰掛けますと、当の殿下は隣に立つお方に声をかけました。


「まだウィリアムは来ていないようだが、何か報告があったか?」

「は。第二王子殿下は駐屯地より出立以降の報告がありませんのでそろそろかと」

「そうか──ああ、ソフィ。紹介がまだだったね。彼は僕の近衛騎士隊隊長のデュランだ。デュラン、彼女が」

「よく存じております。クエール伯爵家のお姫様をこの国の騎士団に所属する者で知らぬ者はないでしょう」


 純白の準礼服(紫の勲章はルーカス殿下の近衛騎士の証です)を身に纏うデュラン様のその言葉に驚きました。

 何かしら有名になるような事を騎士団の皆様におこなった覚えはないのですが。


「様子から察するに、ソフィア様には心当たりが無いご様子ですが。男女問わずイーリス王国騎士団の者は貴女の味方になります故、このデュランにもなんなりとお申し付けください」

「そ、そうですか」

「デュラン、ソフィア嬢が困っているじゃないか。それに僕以外にも忠誠を誓うだなんて、ちょっと妬けてしまうよ?」

「それに値するほどソフィア様は騎士達に慕われているのですよ」


 デュラン様の言葉がなんだか異国の言葉を聞いているのではないかと思うほど入ってきません。キャロライン様にも似たような内容のお手紙はありましたがお世辞だと思っていましたし。いえ、今回もお世辞だとは思いますが。

 そんな話を続けていますと、会場に高らかな声が響きました。


「ウィリアム・イーリス・アレキサンダー、イーリス王国騎士団第二師団長並びに第二王子殿下の御成りです」


 殿下と私が入ってきた時のように皆が注目する中会場にやってきたウィリアム様は、それはそれは素敵でした。

 純白の準礼服に飾られる煌びやかな勲章すら劣るような艶やかな黒髪、遠くからでも分かる鮮やかな緋色の瞳はこちらを見て、その目を大きく開いています。


(本当に、大丈夫でしょうか)


 ……不安と緊張で、胸が押しつぶされそうです。

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