ゆるゆると考えたあれこれ

 想像以上に負担の大きい仕事を終えて、その疲れを数日引きずっている。寝るか読書かちょっとゲームするか、くらいの日々で、少しずつ回復に向かっている。

 緩やかに回復へと向かいながら、僕は自分が弱いものだと思い知るのだった。

 余白どころか、生きるのに全力を使ってしまった数日だった。

 ただ、横になるしかないけれど、考え事だけはしている、みたいな時間がそれなりにあったので、思考を綴ってみることにする。


 僕自身、人への欲求とか執着、感情が薄い方なのかもしれないとは常々思っていた。どうやら、親しい人には自分のことを理解してほしいという意見が多数を占めるらしい。

 理解されなくても、その場を適当にやり過ごして当たり障りない付き合いができれば、それでいいと思ってしまうし、実際に僕は大半の人間関係をそうやってこなしてきた。

 僕に害がなければ、内心で何を思っていようとどうでもいい。どうせ、その瞬間だけの付き合いだ。

 インターネットをするように現実を生きているのだと指摘されたこともあったような気がする。それで何が悪いのだろう。

 何に全力を尽くすかくらい、僕が選ぶから、黙っていてくれとしか思わなかった。


 ゆるゆると眠りながら、こなさなければならない人間関係は、僕の判断基準をインストールしたAIが代替してくれたら楽なのにと思った。そんなSF、僕にとっては完璧な理想郷に見えてしまいそうだ。

 実際、ぶれない判断基準のある人はAIにそれっぽいことができてしまうし、AIが代わりにやってくれた方が効率的だとも思う。


 そういうことを考えながら、疲れを癒して、ある人と学生時代の話をした。その人は学生時代に当時の友達としたことを話し、僕は当時夢中になって読んでいた漫画や小説、観ていたアニメの話をした。

 その人が話したような、人間との記憶は、僕の記憶領域からきれいさっぱり消えていた。僕が意識的にか、無意識的にか、それを不要と判断したのだ。

 誰の顔も言葉も覚えていない。ただあの頃読んだもの、観たものを鮮明に覚えている。

 人の青春を彩るものはそれぞれ違って、おもしろい。

 当時の僕は記憶領域の節約と称して、他人のことを覚えないことで、学業に使える記憶領域を少しでも増やそうとしていた節がある。後にわかるが、そんなことしなくても、僕は学業における記憶力はかなり強く、人のことは覚えられないタイプだった。

 何となく、自分から逃れられないという事実がおもしろく思えてきた。

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