孤独のしんどさが僕にはわからない

 他人を煩わしいものとして、距離を取って生きてきたのだから、孤独のしんどさなんて、わかるはずもない。

 友人が「孤独はしんどい」と言うのを、宇宙人でも眺める気分で見つめていた。

 だって、僕は知っている。人間は本質的にひとりだってことを。

 一人暮らしでも誰かとの同居でもそれは同じことだ。

 だが、友人は、一人であること、孤独であることはしんどいと言うのだ。僕と長い付き合いをしているだけあって、相当に人付き合いが不得手なのに、それでも誰かを求めている。

 いきなり、太陽は明日から西の空より昇ると言われるくらい、理解できなかった。

 そもそもにして、苦手なものを克服しようとするその姿勢が僕には奇妙に映るのだが、これは僕も相当に奇怪なスタンスである自覚はあるので、置いておく。


 友人の言う孤独のしんどさとは、地震をはじめとした災害や自身の怪我や病気といった不測の事態において、傍に誰もいないことによる不便さと、それによる不安であるらしい。

 僕には微塵もわからなかった。

 僕だって、災害や怪我や病気は経験している。どころか、現在進行形で治療中のものもある。体調を崩しがちなのは、そのせいだ。

 体調を崩しているときは数多くあれど、「ここに誰かがいたら楽だったかな」と思ったことはない。多少便利であるかもしれないことは事実なのだけど、そのために普段から同居するなどして、関係性を維持しておく方が僕にとってはストレスだ。

 そもそも、友人の言う、不測の事態の際に一人であることの不便さは、傍に誰かいれば、誰かと同居していれば、完全に解決するというものでもない。いつ起こるかわからない事態に備えて、片時も離れないなどというのは非現実的だ。

 それに、一人であることの不便さは、一人であるから生じるのではない。皆が”一人ではない”前提に立って社会がデザインされているからだ。

 これは実情にそぐわない社会デザインだ。

 そのことに気づき始めた人々が、制度の拡充を求めたり、単身者向けのサービスを始めたりしている。

 不測の事態に備えて、食料をストックしておくとか、公共もしくは民間のサービスを知っておいて、困ったときに利用するとか、その方が現実的ではないか。

 僕は心からそう思ったし、それを口にした。


 曰く。そういうことではない。

 それでも、誰かがいてほしいのだと、友人は言った。

 完全な解決策ではないし、友人自身も人付き合いがうまくはない。それでも、”誰か”が欲しいのだという。

 僕は、本格的に混乱の渦に叩き落とされた。

 だって、それは、利益よりも、不利益の方が上回るじゃないか。

 ”誰か”が怪我や病気をする可能性もあるわけだから、単純計算で、一人のときの倍のリスクになる。

 関係を、良好に維持しなければならない。

 維持する努力を、しなくてはいけない。

 そういうことが不得手なのに。

 お金で”誰か”の機能を買う方が効率的なのではないか。そう言いかけて、気づく。

 友人が欲しいのは、現実的な便利さではなく、寄り添いあえる存在なのだ。それが根本的な解決にはならないと知っていても。


 ここまで書いてきて、僕はただひたすらに混乱している。

 煩わしいだけの他人をそこまで近くに置きたいと求めるその思考が、腑に落ちない。

 ただそういう思考があるのだなとぼんやり思う。

 孤独がしんどいって、どういうことなんだろうな。

 僕はわからない。

 僕にとって、孤独は人といようがいまいが、そこにあって、他人よりも親しみの持てる存在だから。

 こういうところが僕の強さたる所以ってやつなのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る