第十四話 友人とはこういうものなのだろうか

  不安。一口にそう言ってもその感情が生まれた具体的な要因はそれぞれだ。


 でも、概ね原因は二つに分かれると俺は思っている。


 見通しが立てなくて不安なのか、過去と現状が重なって不安なのか。


 知らないものは怖いし、トラウマは自然に消え去るものじゃない。


 だからこそ夏穂は『怖い』と震える声で呟くように答えたのだろう。


 不安を解消させるのは非常に困難ではっきり言って、不安に感じている事が過ぎてみないと不安は解消されない。  


 事後、その不安は後悔か安堵のどちらかに変わるだけ。


 とても単純だ。


 だけど和らげることはできるかもしれない。


 大きな不安は自尊心を上げることでそれなりに小さくなる。


 それはほんの少し前の俺も同じだった。


 またラノベ作家としてやれるのか不安で毎日その不安を少しでも感じないようにとがむしゃらに書き続けた。


 でもそれだけではどうにもならなくて、時にはやめようかと思ったこともあった。


 けど、俺の担当さんである曾根さんはいつも俺を励まして鼓舞をしてくれた。


 今思えばそれがなかったら、俺はとっくに書くのをやめていたかもしれない。


 不安というのはそれだけ自分の行動を大きく抑制する厄介な理性の壁。


 そんな大きな壁を少しでも和らげる、低くして弱くすれば飛び越えたり壊すことができる。


 俺が今やるべきことは夏穂にも俺がされてもらったように不安を出来る限り小さくしてやることだ。


 「怖い?何が怖いんだよ」


 取り敢えず夏穂の胸の内を聞いてみないと始まらないので先ほどの強張った声ではなく落ち着いた真剣な声音で俺は聞いた。


 「…信頼してもいいのかなって」


 夏穂にとって人と関わるというのは自分が今まで忌み嫌ったもので、その理由は人を信頼できなかったから。


 男なら夏穂を女として、女なら女の敵として常に見られていたから誰を信用していいのか分からず、誰も信用しなかったのが夏穂だ。


 そんな信用していない人間の中でたった一人の見知らぬ人間をいきなり信用しろなんて無理な話だ。


 だけど、俺の判断で夏穂はそんな状況に追い込まれてしまった。


 無粋なことをしてしまったな。もう少しだけ夏穂の気持ちの答えを待ってあげるべきだった。


 夏穂はあの時怖かったんだ。信頼できない人間を信頼するのが。


 「…すまんな。俺が勝手に受けるから。早計だった」

 「ううん。別に責めてるわけじゃない。あの時の翔馬の答えは間違ってなかったと思う。ただ、少しだけ怖いの。いきなりは信頼できないかもって」


 言い訳するように早口になっていた言葉は段々と落ち着いたというよりも不安が勝っていき、細く緩やかな口調へと変化していた。


 「でも俺はすぐに信頼してくれたよな?俺の時とは違うのか?」


 自分で自分が信頼されているというのは自信過剰な気がして何だか恥ずかしい気もするが、少なくともクラスの中で一番信頼されているのは薄々把握している。


 「翔馬は違う。言葉では説明しづらいけど皆と違ったというか皆にとらわれていなかったというか…」


 自分でもちゃんと説明できているのか分からなくなってきたのか、夏穂は時折言葉を詰まらせていた。


 だけど何となく意味は伝わった。


 俺はみんなと仲良くしたいけどコミュ力が低すぎて会話できないボッチではなく、そもそも会話をする気がないボッチだ。


 皆、つまりはクラスに溶け込もうとしない俺の雄姿を夏穂は『他の人とは違う』と賭けてくれたのだろう。


 信頼したというよりかは信頼できるか分からなかったから一か八かで信頼してみたという言い方のほうが恐らくは正しい。


 しかし、夏穂にとって詩織はクラスのやつらと同然であり、信頼していない存在。


 きっかけなんて無ければ関わることすら無かっただろう。


 だから夏穂の不安をざっくりと纏めれば『信頼している人が信頼した自分が信頼していない相手を信頼できるか』


 これが夏穂の悩みと不安。


 本心は信頼するしかないと分かっていても、それを懐疑的な理性が妨害しているのだろう。


 「そうか。なら別にお前はあいつと関わる必要はない。俺から断りでも入れておこうか?」

 「それはダメ。一度受け入れたっていうのもあるけど、それ以上に…ここで断ったらいけない気がする」


 理由はない。ただ気持ちがそう言っていると言わんばかりに言葉足らずの夏穂の言葉は強い気持ちと信念が入っていた。


 だけど俺は何となく夏穂が断ることを予見していた。


 夏穂は別に関わりたくないわけじゃない。むしろ本人は関わりたい、言い方を変えれば人を信頼したいのだろう。


 じゃなきゃ俺みたいな陰キャボッチを一か八かで信頼するなんて事、出来るはずがない。


 全員を信頼していないだけで全員を信頼したくない訳ではない。


 そういう向上心と理性が天使と悪魔のように夏穂の心の中で囁いているのだろう。


 むやみやたらに信頼していいわけではないが、頭を固く全員を信頼しないほうがいい訳じゃない。


 どちらもいい塩梅をとらなければ人間関係はうまくやっていけない。


 改めて人間の難しさに俺は少し頭痛が起きて、ため息を少しだけこぼす。


 「じゃあどうする?」


 あの時は俺は夏穂と意見を共有しようとして失敗した。なら今度は意見を完全に夏穂に委ねることに俺はした。


 「…分からない」

 

 あの時に夏穂は『任せる』と言って夏穂と俺の意見を共有し、総意させることができなかった。


 けど今は夏穂の本心がある程度把握できた。


 なら夏穂の本心に俺の気持ちを重ねるだけだ。


 「まあ多分だけど俺もお前と同じくらい詩織を信頼していない」

 「そうなの?」


 意外そうな抜けた綺麗というよりかは可愛い声音にビデオ通話でもないのに頭を俺は縦に振って首肯したが声に出さないといけないのに気が付いたのは頭を上げてからだった。


 「ああ。お前と同じでアイドルのあいつを知らない俺がいきなり信頼するほうが難しいだろ」

 「じゃあなんで迷わずに受け入れたの?」

 「別に俺はあいつを信頼したわけじゃない。俺が信頼したのは自分の心だ」

 「自分の心?」

 「詩織の目を見て何となくほっとけなくて、こんな俺でも少しでも力になれたらいいかなって思えたんだ。だから俺はそう思えた自分の心を信頼した」


 詩織のあの目は噓をついていない目。人と目を合わせることなく生きてきた俺の目は確かにそう感じ取っていた。


 詩織の目の奥はどこか遠くて、誰かに助けを求めているかのような目をしていた。


 あの目を放っておくのは何処か忍びなくて、受け入れたいというのが俺の本心。


 だから俺はあの目を信じた俺の心を信頼しただけ。それだけのことだ。


 「自分の心を信頼するか…」

 「お前がどう思っているか知らないけど自分の心くらいは疑わずに信頼してもいいんじゃないかと俺は勝手に思っている」


 俺があの時に俺の心を信頼できたのは間違いなく夏穂のおかげだ。


 夏穂が俺を信頼してくれたから、こんな俺でも信頼してくれる人がいると分かったから俺は自分の心に信じることができた。


 だからこの言葉は夏穂に少しでも自信を持ってほしいという願いと恩返しの気持ちが入っていた。


 「凄いね翔馬は。確かにその通りかも」

 「だろ?だから夏穂も自分の気持ちを信用してみればいいんじゃないか」

 「うん。そうしてみる。本当にありがとう翔馬」

 「どういたしまして。じゃおやすみ」 

 「うん、また明日。おやすみ」


 何かが軽くなったような声音の夏穂と最後に挨拶を交わして俺は電話を切った。


 電話を切って俺は改めて冷静になる。


 電話の途中はただ力になりたいという一心で心がいっぱいで思うままに言葉を連ねたが今振り返ると結構恥ずかしいというかキザなこと言ってんな、俺。


 所謂賢者タイムというやつで冷静になり、俺の頬と体温が一気に熱くなる。


 ちょっと上からだったか?ちょっと生意気だったか?


 友達ってこんな大真面目に相談にのるものなのか?


  その夜、電話の内容を振り返り、恥ずかしさで熱くなった体を反省と後悔の繰り返しで悶えていたのは言うまでもない。


 


 

 


 

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