第十二話 女装弟との日常【後編】

  キッチンから見える食卓テーブルで勉強に集中をしている晴翔。


 食器を洗うため、勢い良く噴き出させている水道の水の音の垣間に微かにシャーペンのこすれる音が聞こえて来る。


 しかし、晴翔の事は気にせずに俺は鍋や皿についている頑固なカレー汚れに洗剤とスポンジで格闘している。


  15分ほど経ってようやく全ての片付けが終わったところで俺は大きく息を吐きながら腰をたたいた。


 まだ成長期なので成長期による腰痛と絶妙に低いキッチンが故、前かがみで食器洗いをしていたのが相まって、腰痛の酷さが増していた。


 腰痛を和らげるために、さっさとお風呂に入りたいところだ。


 「終わった?ご苦労様」


 すると、俺の様子に気付いた晴翔が肘をついて両手で頭を支えながら微笑を浮かべていた。


 ニヤついていたという表現のほうがもしかしたら正しいのかもしれない。


 なんだこいつは?『自分の苦労が分かったか!』とでも言いたいのか。


 普段から料理とともに皿洗いだけでなく家事全般を任せているので、もしかしたら自分の苦労を少しでも味わってほしいという意図があったのかもしれない。


 「ああ、ちょうど今な」


 湿っている手を軽くキッチンに掛けてあるタオルで拭いて、風呂に入ろうとも思ったが一度一息つくために冷蔵庫から飲み物を取り出すために開ける。


 「私もなんか頂戴」

 「ん」


 一人称に関して、もはやツッコむのも面倒くさくなってきたので俺は口を開けずに喉だけで返事をして、二つのコップに冷蔵庫に入っていた市販の野菜ジュースを注ぎ、それらを食卓テーブルへと持っていった。


 「わーありがとー」

 「どうも」


 腰痛で休憩を欲している腰を椅子に乗らせて先にジュースを飲んでいた晴翔に続いて俺は乾いていた喉にジュースを浴びせた。


 晴翔も喉が渇いていたのかジュースを一気に飲み干して、お互い同時に「あー」っと自然に言ってしまった。


 ジュースを飲み干したコップをテーブルに置いて、椅子の背もたれに俺は全体重を捧げる。


 ぎぎーっとまるで危険信号化のような木材の音が鳴っていたが、折れてもまだ椅子はあるのでとくには問題ない。


 あるとすれば折れた衝動で俺がぎっくり腰になり、腰がご臨終するくらいのものだろう。


 いや、そう考えると結構重大な問題なのでは?


 「ねえねえ。高校ってどんな感じ?」


 背もたれからはみ出した頭でどうでもいいことを考えていると、一度勉強から手を止めて、晴翔は雑談モードになっていた。


 最近というかここ数カ月、飯などの必要事項以外は殆ど自室から顔を出さず、飯も素早く食べてすぐに自室へと戻って小説を書くという生活を俺は送っていたがため、兄弟で喋る時間が中々無かったような気がする。


 なので晴翔はたまには俺と喋りたいという思いがあるのだろう。


 一応今はこいつと二人暮らし状態であり、兄弟で意識するのもどうかと思うが仲は良くしておくべきだと思うし、ここ最近は怒涛のイベントラッシュだったため、俺も少しだけこいつに報告しておきたい思いもあった。


 ようやく少しだけ肩の荷が下りて、気持ち眉が緩くなった今なら、快くこいつと話せる気がする。


 「まあ色々あったな」


 背もたれを支点にして重い上半身を起こして、背もたれの代わりに腕をテーブルに乗せて上半身を支え、俺も雑談モードへと移行した。


 「例えば?」

 「まあ友達ができた」

 「えっ!本当に?」


 なんだか昼間に既視感のあるリアクションをされてしまったが正直俺が二人いたのなら俺ももう一人の俺に曾根さんや晴翔みたいなリアクションをとっていたと思う。


 驚きのあまり手に持っていたシャーペンを落とした晴翔は半信半疑の目をしている。


 「証明は出来ないが本当だ。噓はついていない」

 「凄いじゃん!やったね」

 「ふっだろ?」


 手をたたいて受験にでも合格したかのように祝福をしてくれた晴翔におだてられて

俺は調子に乗ってしまい、ついどや顔を浮かべてしまった。


 「まあ友達ができたくらいで褒めらた挙句、どや顔までしてるのはどうかと思うけどね」

 「んっ!心が…」


 ごもっとも過ぎる正論に俺は現実に戻されて、急に痛み始めた心臓を右手で強く抑えた。


 でも友達ができたことさえ今まで無かったのだから少しくらい舞い上がるのは許してほしい。


 「っでどんな人なの?」


 しかし晴翔は鋭い発言をしておきながら一応は興味があるらしく、続けて口角をあげながら俺に尋ねてきた。


 だけどこの質問は正直に答えあぐねる。


 女子だといえば絶対茶化される。そして得意げにアドバイスまでされる未来が俺には見える。


 兄としての威厳は俺にはなく、女の経験値で言えば俺の完敗。


 だけど一応はプライドがあるため、弟に女との付き合いを説かれるのが俺はどうも癪だった。


 「まあお金持ちの優しいやつだよ」

 「御曹司か~何かおごってもらったら?」


 性別は伝えず端的に情報をまとめると晴翔は勝手に友達が男であると思ってくれているらしい。


 まあ流石に女だとは思わないよな。陽キャでもあるまいし。


 というかやっぱりこいつはちゃっかりしているな。何がおごってもらえばだ。


 「おごられるわけねーだろ。金目的の付き合いみたいになるじゃねーか」

 「冗談だよ。そんなムキにならなくてもいいじゃん」

 

 若干怒りで眉を細めて顰蹙する俺に宥めるように弁解をする晴翔は手持ち無沙汰になったのか再び落としたシャーペンを持ち直した。


 初めての友達を金扱いのような言い方をされれば誰だってそりゃあイラっとくるし、強い口調になるのは当然だ。


 「それで他には無いの?」


 そっぽを向く俺に少しだけ悪くなった雰囲気を切り替えるように晴翔は三度質問を投げかけた。


 他にはと聞かれれば沢山話したいことはある。


 けど、一つ一つ話していたらさすがに長い上に面倒くさい。


 なので俺は一番伝えておきたい事を話すことにした。


 「今日、担当さんに呼ばれたんだが、久しぶりに自分の本が出版されることになった」


 口に出すことによって心情が漏れ出してしまったみたいで俺は思わず微笑を浮かべてしまった。


 晴翔を含めた家族全員が俺がラノベ作家である事を認知しており、両親は『そういう好きなことに没頭できるのは若いうちだけ』と言っており、ある程度は前向きに捉えてくれている。


 晴翔は知っているだけで特に反応はなく、どう思っているかはまるで分からない。


 ラノベについて話したことはなく、推測でしかないが『オタクの兄のきもい趣味』位にしか捉えていないのかもしれない。


 だからどんなリアクションをとるか皆目見当がついておらず、言うのが恥ずかしかったけど、あまりの嬉しさだったので誰かと俺は共有したかった。


 「ふーん、そうなんだ」


 しかし、晴翔の態度はあまりに素っ気ないつまらなさそうな反応だった。


 先ほどとは人が変わってしまったかのようなつまらない反応。


 流石にオーバーなリアクションまでは求めていないけど、もう少し面白い反応をしてくれてもよくないですかね?


 あまりに晴翔にとってつまらない報告だったのか持っていたシャーペンを軽やかに回し始めた。


 「まあ一応な。まだ細かい事は決まってないけど。…ていうかペン回しうまいな」

 「やってみる?」


 期待値を大きく下回った反応に拍子抜けしすぎて、俺も晴翔が回しているペンに目が行ってしまった。


 晴翔は人差し指で回っているシャーペンを止めて、俺に渡してきたので俺もペン回しをしてみることにした。


 しかしながらペン回しなんて人生でやったことが無いので俺のペンは回ってから早々に落馬した。


 「あっ」


 ペンが落ちるのが分かった瞬間、腑抜けたあほみたいな声が漏れると、晴翔は馬鹿にするようにプッと笑った。


 「へたくそだね」

 「うるせえ」


 晴翔の見様見真似でやってみたが、全くうまくいかなかった。


 というか見様見真似で一瞬で会得できるほど器用だったら人生もうちょっと楽してるわ。


 「まあよかったじゃん。出版出来て。おめでとう」

 「ありがとう」


 社交辞令のような気持ちのこもっていない賞賛に俺も礼の言葉だけを気持ちを入れずに並べた。


 「じゃあ俺、風呂入ってくるね」

 「おっおう」


 晴翔は話に飽きたのか、立ち上がって足早にリビングを後にして、お風呂場へと向かって行った。


 リビングの扉を閉める音が部屋中に響き、いずれ音が止むと俺は気が付いた。


 晴翔の一人称が俺になっていることを。


 なぜ戻ったのかは分からないし、どことなく逃げていったような気もしていた。


 晴翔の様子を怪訝に思って少し考えてはみたが、いまいちピンとは来なかった。


 腑に落ちないがまあいっかと切り替えて俺はテーブルに体を向きなおす。


 すると、俺の視界に入ってきたのはテーブルの上に置いてあった先程ペン回しに失敗したシャーペンだった。


 暇で時間を持て余していた俺はシャーペンを手に取って晴翔が出てくるまで再びペン回しにチャレンジしてしまった。


 風呂から出てきた晴翔に見られて、再び馬鹿にされたのは言うまでもない。


 ペン回しって案外難しいですね。


 


 


 


 


 

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