第十一話 女装弟との日常【前編】

  「もう出来てるから、すぐに用意するね」

 「分かった」


 鼻歌を歌いながら鍋に入っているカレーのルーをかき混ぜている晴翔は二階から降りてきた俺が見えるとキッチンから自分の顔が見えるように前かがみになった。


 いつものようにランジェリーショップで売っていそうなピンクのエプロンを着て楽しそうに料理をしている晴翔にはもう何も感じなくなってしまった。


 俺の分の飯を毎日作ってくれているから感謝しかないので、この格好に関しては何も文句を言う権利はないなっと勝手に俺は自制している。


  木網でできたスプーンが入っているオシャレな箸立てが中心に置いてある食卓テーブルに座り、俺は少しの間カレーが来るのを待った。


 「お待たせ。今日はカレーだよ」


 匂いですでに俺が察していたことを知らないためか晴翔はどや顔で俺の前にサフランライス、通称黄色い米に具だくさんのカレールーがかかっているカレーライスをテーブルに優しく置いた。


 「おう、ありがと」


 けど、いちいち知っていたことを告げるのも面倒くさいし、本人もどや顔で気分が良さそうなのでそのままにしておくことにした。


 「どういたしまして。さあ食べて!」


 自信があるのか時間をかけたのかはわからないが嬉々として目を大きく見開いて晴翔は俺にカレーを口に運ぶのをせかした。


 「お前が座ったら食うよ。早く座れ」


 顔を近くに寄せて若干興奮気味の晴翔に俺は俺の向かいの椅子を指した。


 特別腹が減っているわけでもないし、大食漢というわけでもない。俺にはがっついて食べる理由がない。


 それに食事を作っている以上、自分が作った飯が美味か否か気になるのは分かるが、前提として食事であり家族なので、きちんと晴翔が椅子に座わってから食事を始めたい気持ちも俺にはあった。


 「ふぁーい」


 口をあざとくブーブーっとアヒル口にしながらそんな腑抜けた返事をして、カウンターに置いてあった自分のカレーを晴翔はテーブルに置いた。


 晴翔のカレーは俺のカレー皿よりも一回り大きく、量だけ言ったら完全に俺のほうが女の子サイズであった。


 サフランライスというしゃれた一軍女子しか食べなさそうなご飯を使っているのに量の多さがしゃれた雰囲気をかき消していた。


 「じゃあ食べるか」

 「うん。いただきます」

 「いただきます」


 手を合わせて、晴翔に続いて『いただきます』と言った後に俺は箸立てからスプーンを取り出してカレーを食べようとしたが、晴翔が俺が食べるのを目の前でじっと見ながら、期待の眼差しを向けていた。


 …食べにくい。ものすごく食べにくい。


 まあけど俺が食べないとこいつも食べなさそうな雰囲気だしな。


 そう思い俺は一度カレーを掬ったが視線を感じて止めていたスプーンを口へと運んだ。


 「どう?美味しい?」


 口に入れてほぼノータイムで晴翔は尋ねてきて、顔を前に出しながら目を光らせていた。


 「うん。すげえうまい」


 当たり前だが口に入れた状態でまともに喋れないので咀嚼し、きちんと全部飲み込んだ後に俺はお世辞抜きの感想を晴翔に伝えた。


 「ほんと!?良かった」  


 すると安堵の表情を全面に浮かべた晴翔は肩の荷を降ろして、前に出していた顔を引っ込めて、お腹が空いていたのかすぐにカレーにがっつき始めて、「おいしいおいしい」っと自画自賛しながら食べていた。


 しかしながら冗談抜きでうまい。一日しっかり仕込んでいたのが見ていなくても伝わってくる。


 晴翔が料理が上手いのは知っていたが女装同様に日々進化している気がする。


 まあ恐らくは料理の精進も女装の一環なのだろうけど。


 料理に関しては飯がうまくなるだけなので全くもって問題が無いどころかメリットしかないしな。


  こいつが女装を始めて早二年。まさかここまで本格的にやるとは想定していなかった。


 今年でもう俺は高一でこいつは中二。もうそろそろお互い将来について考え始める時期だ。


 俺はラノベでこいつは女装。兄弟ともにお世辞にも将来を考えているとは思えない事に没頭している。


 悪いことでなくても同時に良いことではない。


 勉強をすることだけが人間の模範かと問われればそんな訳がない。


 けど、勉強は将来をそれなりに幸せに生きるための最善の行為だ。


 それが分かっているからこそ時々不安になる。


 だけど、今だけはそんな不安を抱えずに嘱望していたい。


 ようやく努力が実りかけてきたんだ。今は最後までやり切って問題はないだろう。


 晴翔だってきっとそうだ。もう一つ何か違う自分が見つかればきっとそっちに行くだろうし、そもそもこいつは学年一の秀才で運動神経もいい。


 ほっておいても将来に詰まることは恐らくないだろう。


 「ご馳走さまでした」


 そんなことを考えながらゆっくりとカレーを食べていると、俺よりも量が多かったはずなのに晴翔は一瞬で食べ終えてしまった。


 「はやっ」


 まだ半分も食べていない俺はあまりの速さに少し引いてしまっていた。


 同時に心も体も女子になりきっていても芯はやはり男子なんだなという安堵にも包まれていた。


 「だっておなか空いてたもん」


 しかし、頬を赤らめながら恥じらっている晴翔を見て、一瞬で安堵が嫌悪へと変わった。


 晴翔よ。お願いだから兄にあざとくするのはやめてくれ。気分が悪いから。


 弟にこんなのを見せられて喜ぶ兄はいないからね。


 「そうかいそうかい。それはよかったな」


 もはや、吐くため息すらも残っていない俺は再びカレーを食べ始める。


 「じゃあお兄ちゃん片づけて洗っておいてね。私勉強するから」

 「えっちょ。おい」


 当たり前のようにさらりと言われたので俺は不意を突かれてカレーを食べようとしていたスプーンを止めて、晴翔を呼び止めてみたが全く気にすることなくテーブルの横に置いてあった自分のカバンから教材を取り出してテーブルに広げた。


 さらに俺という雑音を遮断する為に両耳にイヤホンをして勉強を始めてしまった。


 本当にこういうちゃっかりしているところは女子らしい気がする。


 こうなっては何を言っても無駄なので俺は諦めてさっさと食べ終えて、俺と晴翔の皿と使った鍋を洗うことにした。


 

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