第十話 俺の弟は…
泥のように眠るとはまさにこのこと、疲労感とプレッシャーから解放された俺は俯せでたっぷりと眠りについた。
最近はタイマーを早朝にセットして、夜中に眠り、午前6時ごろに起きるという生活を送っていたがため、睡眠の量は質素なものだった。
そんな俺が昼間にベッドで深い眠りについてから感覚ではあっという間だったが一体どれくらい経っただろうか、突然背中に違和感というか重さと温もりを感じて目が覚める。
枕に鵜詰めていた顔を起こすと、開けていたカーテンは閉めてありつけていなかった電気が寝起きの俺の目をいじめるように光っていた。
明らかに誰かが入ったような状態に俺は背中に感じている物が人であることにすぐに気が付いた。
しかし、光で目がちかちかしている今、頭を回して後ろの腰に乗っている人物を確認してもわからない。
けど、確認する必要はない。何故なら俺は腰の上の人物に見当がついているからだ。
「あっ起きた」
枕から顔を上げた俺に後ろから聞き覚えしかない少し低めではあるが女の子らしい可愛い声が聞こえてきた。
「起きたじゃねーよ。何してんだ」
寝起き中の寝起きで全く体に力が入らず、腰の上のこいつを無理やりどかす気力さえも俺には残っていなかった。
だからため息をつきながら俺はこいつに強めの口調でそう尋ねた。
「何回起こしても起きないから、こうしたら起きるかなって」
どうやら熟睡していたがため声をかけても起きる気配がなかったから腰の上にまたがってみたらしい。
良かったな。お前の思惑通り俺は起きたぞ。
「そうか、それはどうも。じゃあ起きたからどけ」
そろそろ腰に限界を感じて、先ほどよりも強い口調で皮肉を込めて言うと、「しょうがないなー」っと言って俺の腰の上から降りてベッドからも下りる。
こいつが下りたほうに目をやると、何となく察してはいたがその容姿に思わずため息が出てしまった。
短くもなく長くもないスカートを履いてピンクと白を基調とした清楚かつ可愛いファッションをした姿。
外見だけ見たら、学校カーストトップに見た目だけで君臨できるほどの100点に近い容姿をしていた。
だからこそ俺はため息をついてしまっていたのだ。
「何そのため息?何か変?」
スカートを両手で持ちながら自分のファッションを見せびらかすかのように一周したこいつに思わず拒絶反応が発作して、顔をしかめて目線を逸らす。
「変どころか根本的な部分がアウトだ」
頭を抱えてあしらうように返答をすると何かわかっていないこいつは首はあざとくちょこんと傾ける。
そんな童貞男子が一瞬で恋に落ちてしまう魅惑な仕草を一体どこで覚えてきたのやら。
まあ、無意識にやっているのならとうとうこいつは末期かもしれない…
「根本的って?」
何秒間か考えた後、顔をしかめながら俺に質問をするがこいつは一番大事な事をひょっとして忘れてるのではないかと疑ってしまう。
可愛い口調に動く度にきらめいていく美しい髪、外見だけ見れば欠点のないラブコメから切り抜いたような『妹』だ。
けどこいつには唯一にして最大の問題点がある。
「お前、男じゃん」
そう、こいつは妹でなくて『弟』なのだ。
こいつは俺の二つ下の弟の堀越晴翔(ほりこしはると)。
見ての通り女装が趣味で、家では基本的には女装状態で過ごしている。
根っからの女であれば遠慮なく妹として愛でるなり優しくするなりするが、男である以上は愛でる気なんてさらさら起きやしない。
…だけど、こいつの女装癖が染みついてしまったのは俺に原因がある。
あれは俺が中学二年生のころ、小説のネタに困り、どうしたものか悩んでいた時のことだった。
他の作者さんの作品を見て俺は自分の作品には妹キャラと男の娘キャラが一切出てこないことに気付いた。
ラブコメでは妹は必須級、男の娘はラブコメ展開のいいスパイスとして頻繫に登場している。
だが、生憎俺は妹を持ち合わせておらず、男の娘にもあてがなかった。
そこで俺はその二つの条件を同時に満たすことができるとっておきの方法を考え付いた。
それは弟に女装をさせて、妹と男の娘の気分を同時に満たすことだった。
勿論、最初にそれを弟に提示した時は滅茶苦茶拒まれた。
当時、根っからの男子で通っていた小学校では女の子のうわさがそれはもう絶えなかった晴翔。
そんな晴翔はかなりの美男子であり、素材として文句がなかった。
「兄ちゃんがやればいいじゃん!」とも言われたが「俺の顔をみろ。似合うと思うか?」と言い返すと「ごめん」っと小さく言っていきなりおとなしくなった。
そんな晴翔に俺はネット通販で購入した今が流行りと売り文句が記載してあった服とズボンを渡して着させ、同時に安く買った黒の髪のカツラを被せた。
まだ小学六年生ということも相まって、幼さが残る容姿と旬の服がマッチし、カツラも全く違和感がなく、それはもう完璧な女装だった。
最後にカツラをかぶせた瞬間、思わず感嘆の声が漏れた俺に晴翔は不安げな声をあげながら俺に「どう?」と尋ねた。
洗面所から持ってきていた手鏡を晴翔に渡して「見ろ」とだけ言うと晴翔は自分の見違えた姿に口を小さく開けて、目を輝かせていた。
その容姿を見て、ある程度男の娘と妹の気分が味わえた俺は「ありがとな」と言って晴翔のカツラを取ろうとすると晴翔はカツラを手鏡を持っていない左手でがっちりと抑えて「しばらくこのままでいさせて」と言い、結局その日の夜中まで女装した姿で過ごしたのだ。
晴翔の女装を見た母さんと父さんからは驚愕とともに否定的な言葉を投げられたが気にすることなく今もなお女装をやめていない。
それどころか、日々レベルが進化している気がする。
だからこいつの女装癖は俺のほんの出来心が起因してこべりついてしまったもの。
なのでやめろと強くも言えないし、弟として恥ずかしいのでやめてほしいのが本音だ。
「だよ。でも日本の法律に女装しちゃダメなんてないからね~」
「なんだその中学生が言いそうな言い訳」
「中学生だよ。私」
「私っていうな」
こんな風に身も心も完全に女に染まりきっているこいつは24時間女でいるわけじゃない。むしろ男でいる時間のほうが多い。
こいつが女装をしているのはよくある新しい自分がいるような気がするかららしい。
確か、前聞いたときは『努力せずに容姿が褒められるは嬉しくないけど、女装という努力をして容姿が褒められるのはとても嬉しくて快感なんだ』と言っていた。
イケメンが故、抱える悩み。それは俺にはわからない。
それも相まって本当に強くやめろと言えないのが喉が詰まったような感覚に陥り頗る苦しい。
「そういえば、なんで俺を起こしに来たんだよ。なんか用か?」
「そうだ!もう夜ご飯の時間だよ!早く来て!」
ぱちんと手を大きくたたいて、火でもつけっぱなしにしているのか狼狽し始めた晴翔はそんな捨て台詞を置いて俺の部屋を後にしていった。
基本的にうちは両親が去年から赴任で約5年もの間、他県に行ってしまうことになったので、その間晴翔がご飯を作ってくれることになった。
そして父さんが赴任に行く直前に「間違っても間違いは起こすなよ!弟だからな!」っと大真面目な顔で言われたのは今でも忘れない。
それなりに尊敬している親だったが初めて本気で殴りたくなった。
心配する方向性がぶっ飛びすぎてるだろ。
携帯で時刻を確認すると、時間はすでに午後7時半。うちでは少し遅めの夜ご飯になりそうな時刻だった。
大分と疲れが取れて軽くなった身体を足で起こして、グーっと10秒ほど右に左と体を動かしながら背伸びをする。
だらけていた体が一気にほぐれて、肩や首が何度もぽきぽきと音を鳴らした。
晴翔が開けっ放しにしていたドアのほうからおいしそうな香りが漂ってくる。
どうやら今夜はカレーらしい。
基本的に両親にしつけられたおかげで好き嫌いのない俺だが、カレーは結構好きな部類ではある。
というかカレーが嫌いな奴なんているのか?なんてよく言うが多分いると思う。
そんなどうでもいいことを考えていると完全に舌がカレーになったので俺は二階の自分の部屋を出て一階のリビングへと食事をとるために向かった。
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