第七話 アイドル
突然、俺達の前に佇み、作られた模範解答のような可愛い笑顔で挨拶を交わすしおりんと名乗る目の前の彼女。
彼女に俺だけでなく夏穂も困惑気味に挨拶を返した。
すると彼女は俺の目の前の入学式からずっと空いていた席に座り、何やら鼻歌を歌いながら持っている鞄から教材を取り出して、朝の支度を始めた。
「翔馬の前の席の人ってこの人だったんだね…」
「みたいだな」
しおりんと名乗る俺の目の前にいる彼女に聞こえないくらい小さな声で夏穂は俺に向けてそう言った。
けど、まさかこんなチャラチャラした奴が前の席に来るとは想像していなかった。
もっと根暗でおどおどしている明らかコミュ障な奴が来ると勝手に思っていたのだが…
しかしながら周囲の反応とざわつき具合から察するにかなり著名なアイドルなのかこいつは?
俺も夏穂も全く知らないけど。
「ねえねえそこのお二人さん」
「えっ?はい」
ぼーっとクラスを眺めてそんなことを考えていると、赤坂詩織は突如振り向いて、再度俺たちに話しかけてきた。
なので俺はとっさに敬語で返事をしてしまい、夏穂も元からきれいだった背筋を更に伸ばして、肩を委縮し身構える。
「一時間目って現国だよね?」
「ああうん。現国であってる」
「ありがとう!」
言葉の端々に可愛らしいさとあどけさが介在する彼女の喋りはまさしくアイドルそのものだった。
アイドルよく知らんけど。
「いや~仕事続きで最初の三日間来れなくってさ~動画配信もあってしおりん超忙しかったの!!君たちは私のチャンネル登録してくれている?」
饒舌に私情をまくしたてる赤坂詩織に全くついていけない俺たち二人は互いに目配せして顔をしかめてどうしようか困惑していた。
「えーっと…」
「別にそんな緊張しなくていいよ!しおりんがただ目の前にいるだけなんだから」
緊張しているわけではない。言葉選びに悩んでいるだけだ。
どうやって俺たちがこいつを知らないことを伝えるべきか…
「ただやっぱりプライベートだからサインとか握手とかはNGなの!そこら辺の際限はちゃんと引いてね!」
「いやごめん。俺、君を知らない」
俺は申し訳無く思いながらも赤坂詩織にそう告げると一瞬、沈黙と気まずさが俺たちの間に流れた。
「えっ?ほんとに?」
「うん」
「あなたも?」
「うん。私も知らない」
余程珍しかったのか、赤坂詩織は先程のアイドル顔から怪訝そうな目で俺たちを見始める。
「そっか…ふーん」
ぼそっと呟くと赤坂詩織は正面を向いて現国の教科書とノートを机の上に出して元のアイドル顔に戻り、集まったギャラリーの接待を始めた。
ただ真実を告げただけなのになんだか罪悪感に俺は駆られていた。
ほとんど周囲は知っているのに知らない俺たちにひょっとして非があるではないかと自然と反省していた。
流行にかなり疎い自覚はあったがここまで遅れているとは思っていなかった。
けど、夏穂も知らなかったみたいで少しだけ安心していつものような孤独感は不思議と感じていなかった。
「もしかしなくてもすごい有名な人なのかな?」
「みたいだな。俺達は知らないけど」
「まあね。でも翔馬も知らないんだね」
「まあテレビとか動画配信とか見ないしな」
「私も家にテレビはないし流行とかからっきしで」
「うちの家にはテレビはあるけど俺も流行には滅茶苦茶疎いな」
そんな会話をしていると俺は昨日、夏穂と話したことを思い出していた。
『共通点が多い』。これは夏穂が昨日、電車の中で言ったことだ。
改めてこの言葉に俺は深く心の中で首肯した。
けど、だからといって俺と夏穂は似た者同士だとは思えない。
昨日言ったことも理由の一つではあるがそれ以上に大きな違いがある気がしてならなかった。
何かは分からないが…
「やっぱり似てるね。私達」
「まあどうだろうな」
だから夏穂の言葉に俺はそんな曖昧な返事をすることしかできなかった。
「はい皆。席についてね」
すると間もなくチャイムが鳴って先生が教室に入り、そうクラスに向けて言うと、皆が各々の席に着席し始める。
忙しなく鳴る足音と大きく響く椅子の音に隠れるように突然、前の赤坂詩織は俺達のほうに顔を向ける。
その顔は先程のアイドル顔ではなくて、何か思い耽るような真剣な趣そのものだった。
「お昼休みにあなたたち二人。悪いけど校舎裏に来て」
「「えっ」」
「分かった?」
「「うっうん」」
赤坂詩織が俺たちに向けて告げたその声音はとても低く、自然と背が整うような冷たい声音だった。
俺達はその声音に困惑しながらも首肯することしかできなかった。
「はい皆さんおはようございます。皆さん知っている通り、今日から有名アイドルの赤坂詩織さんが登校する事になりました」
「皆!改めてよろしくね」
赤坂詩織がロボットのような切り替えの速度でアイドルの顔に戻りクラスに向けて挨拶をすると、クラス中が大きな拍手で包まれた。
俺達もつられてぎこちない拍手をするが、一体俺と夏穂はお昼に校舎裏で何をされるのだろうか…?
そんな疑問と小さな恐怖心が今朝、俺と夏穂には宿っていた。
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