第六話 緊張と照れ
朝、昨日の出来事がまだ現実であったこと、自分の身が体験したことだという確証が持てずに心と体がいつもよりも少し浮いているような気がする、そんな朝。
昨日と同じ時刻に学校に着き、教室に入ると俺よりも先に夏穂が席に座っていた。
昨日あれほど表情が豊かだった夏穂は完全に存在感を消してただひたすらに机に向かって勉学に励んでいた。
昨日がいつも通りならきっと今日もいつも通りだったはず。
だけど俺は教室に入るのに躊躇してしまった。
具体的な理由は分からないけれど、恥ずかしさと動揺と戸惑いが入り交ざったような感覚でいる。
ともあれ、入らないわけにはいかないので俺は教室に入り自分の席へと向かう。
俺の席は一番奥なため、一度隣である夏穂の席の後ろを通らなければならない。
俺は夏穂の席の後ろを通る瞬間、できる限り音をたてないように静かに通って椅子を引いて席に座った。
別に夏穂の勉学の邪魔をしたくないからとかじゃない。
だけど何となく俺がいるのに気が付かれるのが好ましくないと感じてしまった。
夏穂は俺に気付いた様子はなくて、変わらず勉強を続けていた。
その様子を確認して、俺は少しだけ安堵して鞄からラノベを取り出して読み始めるとすぐに右隣から控え目ながら周りに程よく聞こえるような咳払いが聞こえてきた。
そちらを向くと、横目でこちらをチラチラと見て、何かを言いたげな表情を浮かべている夏穂が居た。
彼女のその様子が分かると、普段は聞こえない心臓の鼓動が耳まで響き始める。
夏穂のほうを向いた以上、目を逸らすわけにもいかず、ただ彼女から何か言葉が出るのを待ち続けた。
「おっおはよう。翔馬」
「おっおはよう」
お互い昨日よりも緊張と恥ずかしさでワントーンどころかツートーンぐらい高くなった声音で朝のあいさつを交わした。
誰もが交わす普通の挨拶の言葉。
今まで家族以外にほとんど使用してこなかったけど、こんなにもぎこちないのは昨日以来昨日以上だ。
だけど、その言葉を交わしただけで俺の心臓の律動は自然と落ち着き、いつしか鼓動は聞こえなくなっていた。
そしてお互い、ペンとラノベを机の上において体を向き合わせていた。
けれど、不思議と頬と耳が少しだけ熱を帯び始めたのが分かった。
「昨日はありがとう。色々付き合わせて、教えてくれて」
「いや別に。俺も結構楽しかったし」
「なら良かった。私もすごく楽しかった」
先程までの何かに耽るような鋭く冷めているような表情はどこへやら、夏穂は昨日と同じ柔らかくも暖かい表情へと変わっている。
その表情を見て俺もいまだ熱を帯びている頬が弛緩して笑みがこぼれる。
「けどさ、夏穂のところの使用人の人達は俺と一緒にいるところを見ているわけだけど、何か言われたりしないのか?」
「別に特別何か言われたりしないよ。ただの友達だから心配しないでって伝えてあるし。親の耳に入ることもないから安心して」
「そか」
昨日の夜、なんだか眠れずベッドの上でふと疑問に思ったことを尋ねてみたが、そういうことなら安心だ。
金持ちの家の親に彼氏とでも間違った情報が入ったら面倒ごとに繋がりかねないからな。
ソースはアニメとラノベと漫画。
そういう回がある作品を俺は何度も見てきた。
怒鳴られたり、茶化されたり、結婚に向けた準備をされたり、and so on…。
まあとにかく、うまく通してくれているなら問題はない。
「おい!しおりん遂に学校来たらしいぞ!」
「まじ!?」
「廊下見てみろよ」
「うわ!マジいるじゃん!!」
そんな中、なんだか教室の中が騒がしい。
まだ日は浅いはずなのに謎の団結力がクラス、いや校内に生まれていた。
「皆さんおはようございまーす!!みんなのアイドル!赤坂詩織(あかさかしおり)こと!しおりんです!」
すると、朝から陽キャやパリピの度を超えた自らアイドルと名乗る俺から痛々しい決めポーズをしている少女が教室に入ってきた。
俺と夏穂は白けた目でそれを見ていたが、クラス中の生徒が大騒ぎしていた。主に男子。
「誰?あの人」
「知らない。知るわけがない」
皆の反応と言葉から察するに著名なアイドルなのだろうか?
夏穂もクラスの様子を訝しむ目で見ながら俺にそう尋ねてきた。
すると騒がしい取り巻きをかわすような軽快な足取りでその赤坂詩織、別称しおりんと名乗る謎の女はこちらのほうへと向かってきて俺達の前で立ち止まった。
「おはようございます!そこのお二人さん!よろしくね♪」
「「よっよろしく…」」
甲高い、俗に言うアイドル声と屈託のない笑顔で俺たち二人に挨拶を交わした彼女に対して、彼女を知らない俺達は戸惑いながらもぎこちない挨拶をした。
マジで何なんだ?こいつは…
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