プロローグ3 私の憧れたもの

 いつからだろうか、友達という何でもない響きに憧れ始めたのは…

 いつからだろうか、孤独を嫌悪し始めたのは


 昔から家柄のせいで勉学や作法、ピアノやスポーツを習い、秀逸な成績を収めてきた私は皆から一目置かれ、近づいてくれる人は存在しても寄り添ってくれる人はいなかった。

 

 私の朝は天気に関係なく雨が降り続け、帰るころには雨を吸い尽くして私の心はしおれていた。


 変わらない日常。そんな言葉が私にとってはつらい。

 いつになったら変わってくれるのか。変わらない日常が退屈なものだったらどれ程楽だったろうか。

 

 だからそんな私にとって高校の入学式というのはどうでもよかった。

 ただ背景が変わるだけで景色は何も変わらない。そんな風に思っていた。


 案の定、入学式の今日一日中、男子と女子からの目線は何も変わっていない。

 頬を赤らめたり、かっこつけながら私に話しかけてくる男子と何も話さずただ刺すような鋭い視線を向ける女子。


 いつもと変わらない。なのにどうしてだろうか、いつもよりも少しだけ痛い。

 もしかして私は少しだけ期待していたのかもしれない。


 心では期待してないと思っていても、奥底では何かが変わるんじゃないか、今までとは違うんじゃないかと期待していたのかもしれない。

 

 けどそんな儚くも脆い理想は一瞬にして崩落し、心の痛みへと変わっていた。


 「お帰りなさいませお嬢様」


 学校が終わり、今までと変わらず昔から私に何年もついてくれている私よりも何歳も年上の女性執事が私を出迎えてくれるこの瞬間も私は嫌いだ。


 どの世界でも年上が社会的な地位が上なはずなのに私は違う。  


 何もしていない。ただ大富豪の娘という地位なだけで私は年上よりも上に立つ。


 この人がどう思っているかどうかは分からない。

 けど私は昔から罪悪感を抱いている。


 年下に頭を下げることの屈辱感は私にはわからない。

 だからこそ罪悪感は止まない。


 「ありがとうございます」


 丁寧に私も頭を下げて車へと乗り込む。


 私が乗るのはいつも車にも関わらずテーブルやソファがあり一般的な部屋と大差のない快適な後部座席。


 そこに私は座り、いつも通り窓の外を見る。

 何かするでもなく黙々と私は外を見る。


 理由は何となくだ。何となく車は見たくなくて外を見たい。

 ただそれだけの事。


 私が座ると間もなく車は出発して自宅へと向かって行く。

 

 窓から見える景色もめくるめく変わっていく。

 だけどすべての景色で私の学校の生徒がいるのだけは変わらなかった。


 私は車にいるのに彼ら彼女らは歩いて下校する。


 普通がいい。人生で何度目かそう思ったが返答は即座に『否』と言う。

 

 家柄上、不用意に外を一人で出歩くなんて危険な行為。


 ただそれだけ。それだけの理由で私はお金という黒いガソリンで動くこの乗用車で自宅へと運ばれてく。


 そんな時だった。私の景色に彼が映り込んできたのは。


 「!?」


 人が倒れている。しかもうちの学校男子生徒のようだった。


 「止めてください」


 防音性の高い車のおかげで静粛としていた車内にいる誰もが聞こえるような大きな声で私はそう言うと車は道路のわきに静かに止まる。


 「どうしたのですかお嬢様」


 おそらく車内、いや私にだけ注意を向けていた使用人と執事の人達は気付いていないようだったが私にははっきりと見えた。


 「人が倒れていたんです。すぐに助けに行かないと」


 言うと即座に私は車を降りて後ろから聞こえる使用人の人達の声など気にも留めず倒れていた彼のもとへと走り出した。


 「大丈夫ですか?」


 倒れている彼のもとに座り込んで私は苦しそうにうなりを上げる彼に尋ねてみたけれど反応はない。


 救急車を呼ぼうと思う前に私はこの人に見憶えがあった。

 確か私の右隣の席の人だったような…

 名前は堀越翔馬だったはず


 あの時は何にも感じなけれどこの人はこの人だけは私を一瞥さえすることなくただ自分の世界に入り込んでいた人だ。


 でもどうしてこんなところで倒れているんだろう…

 …じゃなくて今は救急車を呼ばないと!


 鞄に入れてある自分のスマホを取り出して救急車へと電話をかけようと思った時、私の手は止まった。


 この人は他の人は違う。この事実が私の脳裏によぎる。


 もし本当にこの人が他の人と違うなら、私はこの人と…


 「!?本当に人が倒れている!今すぐ救急車を!」

 「待ってください」

 

 慌てて携帯を取り出して救急車を呼ぼうとする使用人の人を私は止めると使用人さんはきょとんとして首をかしげる。


 「この人は私の家で介抱します」

 「えっ?どうしてですか?」

 「大ごとにはしたくないですので…お手数ですがこの人を車に乗せてもらっていいですか?」

 「はい。承知しました」


 適当な理由を付けて私は使用人の人達に彼を車に乗せてもらい自宅へと向かった。


 少し強引なやり方になってしまうけれど仕方ない。

 とりあえずすぐに確かめないと。


   

  彼を自宅に連れてきて介抱し始めてから数時間が経った。

 一向に彼は目覚める気配はなく、もうすぐ父が帰ってくるので

私は焦りを感じていた。


 この状況を父に見られると凄くまずい。

 何を言われるかされるか皆目見当がつかない。


 父は私に対して厳格で父に将来の結婚相手は父が決めるからお前は結婚相手を決めるなと固く言われているので男を連れ込んでいるこの状況を見られるのは良くない。


 私は注意で済むだろうけど多分彼は無事で済まない。

 多分最低でも強制引っ越し。最大で…想像ができない。


 とにもかくにも彼のためにも今すぐ起こさなければ。

 

 「おーい。起きて」


少し恥ずかしさを覚えながらも私は彼の顔近くで彼を呼びかけて起こす。


するとやがて彼が目を覚まして大きな声と共に後退した。


いきなりの大声に私は驚いたけど目が覚めたらいきなり知らない人の顔が目の前にあるのだから驚くのも無理はない。


 「えっ!?誰!?」


 驚く彼に私は心を落ち着かせて状況といきさつを説明した。


 やがて落ち着いた彼に私は『私って可愛いか』と聞いてみた。


 もし首を縦に振ればそれは他の人と同じことをさし、横に振れば彼は他の人とは違うということになる。


 彼は私を…『可愛い』と言った。

 そっか。私可愛いのか…


 落胆する気持ちを抑えて表情に出ないようにする。


 けど彼になぜこんなことを聞いたのかの説明をしているうちに私は少しだけ気持ちが表情と言葉に表れてしまった。


 「俺は普通の人じゃないよ」


 すると彼は突然にそう私に言った。

 今までとは違う冷静な真剣な声音で。


 最初は何故否定したのか分からなかった。

 けど彼と会話をしているうちに私は気づいた。彼が私の気持ちを汲み取ったのを。


 私の気持ちに気付いた彼は気を使ってくれたんだ。多分。


 だとしたら彼は彼の言う通り変人…変わった人だ。


 「友達になろうよ」


 笑い合った後に人生で初めて言ったその言葉は想像とは違う瞬間に出た。

 本当だったらもっと緊張するはずだろうけど不思議と緊張はしなかった。


 「あっうん」


 ぎこちなく彼は首を縦に振ってくれて私は安堵した。


 まさか最初が男の人とは思わなかったけど私がずっと憧れていた…憧れだけだった『友達』ができた。


 ようやく…


 友達が出来た。この事実だけで明日からの私の景色は変わるのだろうか?


 …きっと変わる。変わってくれる。


 心の中でそう信じた私は表情が弛緩してしまった。

 そして携帯のメッセージアプリを確認するとそこには『堀越翔馬』の文字。


 その文字を見た瞬間さらに表情が弛緩して私は携帯を胸にぎゅっと優しく抱きしめてしまった。

 




 


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