第39話 シャボン玉の夢を見ていた

 結局その後もプールは雫さん姉妹と四人で楽しんだ。

 姉妹とはプールで別れて二人の帰り道。


「プールの中ではあんなに涼しかったのにもう汗だくですね」

「八月下旬でも夏だよねー。どこかで涼んで休めるところがあればいいのに」


 ふと視線を高く上げると『休憩二時間2980円』の看板が見えた。

 ……発言とタイミングが悪すぎである。

 でも世間知らずな鏡華さんのことだ。

「なんのお店でしょうか?」などと首を傾げる可能性だってある。

 恐る恐る隣を見ると、鏡華さんは赤い顔で冷たい視線を僕に向けていた。


「えっち」

「い、いや、たまたまだって! あそこで休もうって意味じゃないから!」

「男子は隙あらば『ご休憩』を誘ってくるって雫ちゃんが言ってました」

「雫さんはいったいどんな恋愛をしてきたんだよ!?」


 変なことばかり入れ知恵するのはやめて欲しい。


「あそこでご休憩するのはダメですけどこっちならいいですよ」


 鏡華さんが指差したのはネットカフェの看板だった。

 三時間980円。

 高校生ならこっちだろう。



「わっ……中はこんなに暗かったんですね」

「もしかして初めて来たの?」

「前から気にはなっていたんですが、なかなか入る勇気が出なくて」


 ネカフェ初体験の鏡華さんにルールを説明する。

 二人用ブースは長ソファーでまずまずスペースがあった。


「あれ? 鏡華さんは漫画一冊だけ?」

「はい。読み終わったらまた取りに行きます」

「一気に持ってきたらいいのに」

「そんな欲張りなことをするとバチが当たりそうで」


 相変わらず鏡華さんらしい。

 隣り合わせで黙々と漫画を読んでいると、プール後の倦怠感に襲われてだんだん眠くなってきた。

 思わずあくびをしてしまい慌てて噛み殺したが、鏡華さんにはバレてしまった。


「ごめん。失礼だよね、あくびなんて」

「ううん。泳いで疲れましたもんね。私もちょっと眠いです」


 鏡華さんははにかみながら読んでいた漫画をテーブルに置く。


「ね、ねえ空也くん」

「なに?」

「寝ちゃいましょうか? 寝たら二人で冒険できますし」

「あー、なるほど」


 言われてみれば二人で昼寝すれば夢で会える。

 二人きりで個室にいるのに会話もせずに寝るなんて普通じゃあり得ない。

 けれど僕らは夢で会える。

 一緒に寝るというのはゲームをしたり映画を観るよりも刺激的なことだ。


「じゃあまた夢で」

「はい」

「なんとなくプールの夢を見そうだよね」

「きっとそうだと思います」


 目を閉じると蕩けるように意識が薄れていく。



 予想通り僕はプールサイドにいた。

 たくさんのパラソルやチェアが並んでおり、グラスにフルーツが刺さったカクテルを飲んでいる。


 辺りを見回したがまだ鏡華さんは来ていない。

 すぐには寝られなかったのだろう。


「ん?」


 石鹸の爽やかな匂いがして、それに伴いプールから巨大なシャボン玉が次から次に浮かんでくる。


「きれいだな」


 手を伸ばすとシャボン玉はふわりふわっと逃げていく。

 なんとか触ろうとして手を伸ばすと、一つの大きなシャボン玉が顔に近づいてきた。

 石鹸の香りが強くなる。

 シャボン玉はそのまま僕の唇に当たった。


 ぷにゅっ……


 ぱちんと割れるのかと思いきや、シャボン玉は柔らかな弾力だった。

 そして割れることなくゆっくりと離れていく。


 ん?

 なんだ、これ?


 やけにリアルな感触だった。

 夢の中ではあまり感触なんて感じることはないんだけど……



 ゆっくりと目を開けると、目の前に鏡華さんの顔があった。

 目があった瞬間、慌てた様子で鏡華さんが離れていく。

 これは夢?

 ぼんやりと辺りを見渡すとネカフェのブース内だと分かる。

 ということはこれは現実か。


「すすすすすす、すいません……なかなか寝付けなくて」

「眠れなかったんだ。いいよ、別に」


 鏡華さんは顔を真っ赤にし、首を竦めて硬直していた。

 昼寝できなかったくらいでそんなに恐縮しなくていいのに。


「僕もちょっと寝てスッキリしたよ」

「夢、見ました?」

「うん。プールにいてね。なんかシャボン玉がいっぱい浮かんでいた」


 ふと気付くとこのブースにも石鹸の香りがする。

 どうやら鏡華さんから放たれているようだ。


「そ、それからどんな夢だったんですか?」

「シャボン玉の一つが顔に近づいて来て顔にぶつかったんだ」

「割れたんですか?」

「いや、それが不思議でさ。割れないでぷにゅって柔らかかったんだよね」


 なぜか鏡華さんは顔を真っ赤にし、唇を指で押さえながらうつ向いている。


「そ、そろそろ帰りましょうか」

「あ、もうこんな時間なんだね」


 少し早いけど片付けをしていたらちょうどいいだろう。

 ネカフェを出ると、入る前よりも日が傾いており、冷房で冷えた身体には心地よかった。


「今日は楽しかったね」

「は、はい……」

「?」


 どうも昼寝を起きた辺りから鏡華さんの様子がおかしい。


「来週からまた学校だね」

「はい。夏休みはあっという間でした」

「だよねー。なんで夏休みってこんなにすぐ終わっちゃうんだろう」

「今年はいつもよりさらに早かった気がします」

「やっぱり? 僕もだよ」


 傾いた日差しがビルの窓に反射して眩しい。

 気まぐれに吹いてきた風は秋の匂いがした。


「でもきっと、秋は秋で楽しいと思います」

「そうだね。体育祭もあるし、修学旅行もあるし」

「そう思うと早く学校が始まらないかなって思えてきます」


 ニッコリと微笑む鏡華さんを見て胸の奥がキュッとなる。

 すごく幸せな時間なのに、なぜか少し切なくも感じる。

 恋をしているときだけに感じる胸の痛みなんだろう。

 世界中のみんながこんな痛みを感じているなんて、にわかには信じられなかった。




 ────────────────────



 謎のシャボン玉!

 柔らかな感触はいったい……


 夏はまだ終わらない。

 二人の気持ちは高まっていき、そして……






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