第29話 夢の中の住民

 僕たちの沈黙を蝉の声が埋める。

 夏の日差しを浴びた墓石に水をかけると、加奈枝が冷たそうに目を細めて笑う姿が脳裏に浮かんだ。


「ごめんな。怒っているよな、加奈枝」

「加奈枝さんは怒ってなんていません。空也くんのせいなんかじゃないですよ」


 鏡華さんは強い意思の籠った目で僕を見た。

 まっすぐで、それでいて優しい眼差しだった。


「もし怒っていたら夢の中で言うはずです。でも加奈枝さんはいつも笑っているんでしょ?」

「それはきっと」


 僕の願望だ。

 そう言いかけて言葉を飲み込む。


「もう加奈枝はこの世にいない。夢に出てくる加奈枝は、僕の罪悪感や無念、そして臆病さが生み出した幻なんだ」


 線香に火をつけると細い煙が立ち上がる。

 風がないので煙は溶けるように空気に広がっていった。


「今日ここに来たのは加奈枝とお別れをするためなんだ」


 鏡華さんは不安げな表情になる。


「僕はいままで加奈枝が死んだことをずっと受け入れられなかった。夢で会えるからまだ加奈枝はこの世界にいると心の中で抗ってきた。でももう、それも終わりにする。弱い気持ちを捨て、加奈枝の死を認める」


 そうすればきっと加奈枝はもう僕の夢に現れない。

 そう感じていた。


 線香を挿し、手を合わせようとすると、鏡華さんに手首を掴まれた。


「ダメです。そんなこと、しないでください」

「いつかは認めなきゃいけないって思ってたんだ」

「加奈枝さんはまだ死んでません。空也くんの心の中に、そして夢の中に生きているんです」


 僕の手首を握る彼女の手が、驚くほど強くなる。

 鏡華さんの目には涙が浮かんでいた。


「夢の中の出来事だってバカにしますか? でも私と空也くんは、夢の中で繋がっていて、たくさんの思い出があります。それだってしょせんは夢だって言いますか?」


 充血した鏡華さんの瞳に見詰められ、僕は言葉が返せなかった。


「それに夢の中の加奈枝さんはちょっとリアリティーがありすぎると思いませんでしたか? 普通の夢の中の人とはちょっと違ってました」

「それは確かにそう思うけど」

「恐らく夢の中の加奈枝さんは空也くんが作り出した幻ではないんです。彷徨える魂が空也くんの夢の中にやってきたんだと思います」

「まさか……そんなこと」

「あるわけないって言いますか? 私と空也くんの夢が繋がっていることもあるわけないことなんですよ」


 そう言われるとぐうの音も出なかった。


「これからも加奈枝さんに空也くんの夢の中という場所を提供してあげてください。お願いします」


 鏡華さんは深々と頭を下げる。


「ありがとう。鏡華さん。僕が間違っていたよ」

「じゃあ」

「うん」


 柄杓で水を救い、もう一度墓石にかける。


「ごめんな、加奈枝。お別れをするなんて、酷いことを言って」


 もちろん墓石にはなんの変化もないけれど、「ホントだよ、まったく!」と加奈枝が怒る声が気がした。



 帰りの電車、早起きをした僕たちは二人とも寝てしまい、短い夢を見た。


 舞台はあの加奈枝が眠る墓地だった。


「あたしを忘れようとするなんて、絶対あり得ない! サイテー!」


 加奈枝は腕を組み、プイッとそっぽを向く。


「ごめんってぱ。もう二度とそんなことしないから」

「あたしのことを自分の作り出した妄想だって思ってたんでしょ!」

「それは、まあ……」

「そんなわけないし! 死んじゃったあと、魂でふわふわ飛んで空也のところに言ったの! そしたらのんきに寝てるもんだからその夢の中に入り込んでやったんだから!」

「じゃあやっぱり加奈枝さんは本物なんですね」


 鏡華さんは嬉しそうに身を乗り出して加奈枝に訊ねる。

 加奈枝は戸惑い気味で鏡華さんから目を逸らした。


「当たり前でしょ。あたしはあたし。本物だし。幽霊だけど」


 このやり取りだって僕の願望が見せる幻なのかもしれない。

 でもそんな考えは捨て、目の前の加奈枝は本物の加奈枝なんだと思うことにした。


 それからしばらく加奈枝は怒っていたけど、僕が平謝りしていると、やがて呆れたように許してくれた。


「とにかく次こんなことしたら絶対許さないからね!」

「分かった。もう二度と加奈枝を忘れようなんてしないから」


 加奈枝は鼻からフンッと息を吐いて口を曲げる。


「それから……鏡華も、ありがと」


 照れくさそうにボソッと告げて顔をプイッと逸らす。


「はい。こちらこそ今後ともよろしくお願いします」

「まあ彼氏の友だちとして相手にしてあげる」


 僕たちは顔を見合わせて声を出さずに笑う。


 フッと目を覚ますと鏡華さんもちょうど目覚めたところだった。


「おはよう、鏡華さん」

「加奈枝さん、怒ってましたね」

「ああ。ぶちギレだった」


 僕たちは現実でも目を合わせて微笑みあう。


 気が付けば車窓はもう僕たちの住む町のすぐそばまで戻ってきていた。



 ────────────────────



 なぜか書いたはずの下書きが消えていて、急遽思い出しながら書きました。

 でも消える前よりよくなった気がするのでよかったです!


 最大のライバルだけど助ける辺りはさすが鏡華さんですね!


 夏は更に濃く、深く、暑くなっていきます!

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