第9話 日沖さん、油絵のモデルになる
選択科目で僕は美術を選んでいた。
楽そうだからという理由で選んだのだけど、今はそんな自分の選択に感謝している。
なぜなら日沖さんも美術を選んでいるからだ。
「じゃあ今日から油絵を始めていくんで二人一組になって」
その号令とみんなが動き出す。当然日沖さんを狙ってる人は我先にと声をかけようとしていた。
しかしそれよりも早く日沖さんが僕のもとに駆け寄ってきた。
「鰐淵くん、パートナーお願いしてもいいでしょうか?」
「え? ぼ、僕?」
「はい。駄目でしょうか?」
「駄目じゃないけど」
周囲の視線が痛い。
みんなはなぜ突然なんの接点もなさそうな僕に、日沖さんの方から声をかけたのだろうかと訝しそうにしていた。
「僕なんかでよければ、ぜひ」
「やった。じゃあお願いします」
日沖さんはいそいそと僕の前に椅子を移動させる。
どうも彼女は自分がどれほど回りに影響を与える存在なのか理解していない節があった。
一応僕は絵が上手いとみんなから評価されているので、日沖さんは綺麗に描いてもらおうと僕を選んだのだろうと解釈してくれたようだ。
「まずは相手の顔をよく見て観察してください。最初は見ることが基本で、描くのはついでくらいでいいです」
先生の指導を聞き、日沖さんはジィーッと僕の顔を凝視してくる。
くるりと長い睫でぱっちりと大きな瞳に見詰められるとなんだか居心地が悪くなる気さえした。
圧倒的な美の暴力。
ルッキズムの格差社会。
月を見上げるすっぽんの心境。
照れを通り越して恥ずかしささえ覚えてしまう。
仕方なく僕はあまり日沖さんを見ずに木炭で下書きを始めた。
「あ、駄目ですよ、鰐淵くん。まずは相手をしっかり見なくてはいけないそうです」
「そ、そうだね」
周りの人は確実にこちらを意識している。
特に男子は羨ましそうな視線を送ってきていた。
「片方がポーズを取り、もう片方が描くといいでしょう。五分交代くらいで行ってみてください」という先生の指導も追い討ちをかけた。
「鰐淵くん、少し斜めを向いて視線だけ私を見てください」
「こ、こう?」
「もっと私の瞳を見る感じでお願いします」
「うーん。やっぱり頬杖ついた感じがいいです。そう、そんな感じです」
なんだか自己愛が強すぎる男子がSNSに投稿してる写真みたいなポーズだ。
「そんな怒ったみたいな顔は駄目ですよ。笑ってください。鰐淵くんは笑顔が素敵なんですから」
こうなればやけだ。
こういうのは恥ずかしがるのが一番恥ずかしい。
僕はモデルになったつもりで言われた通りのポーズに徹した。
五分が経過し、モデルの交換となる。
「どんなポーズを取ればいいですか?」
「横顔で」
「了解です」と言って彼女は座り直して僕な横顔を見せてくれる。
「このポーズだと鰐淵くんを見るのが難しいですね」
「僕のことは見なくていいんだって。まっすぐ前を向いて」
「えー? それじゃなんかつまらなくないですか?」
不服そうだけど横顔が描きたいからと説得し、なんとか納得してもらう。
見詰めあって描いていたらさらに男子から妬まれそうだし、なにより僕が緊張して描けない。
これから毎週美術の度にこんなに緊張するかと思うと、ちょっと気が重くなる。
──
────
今夜の夢の舞台は学校からも電車で行ける繁華街だった。
デートみたいで緊張してしまうが、なぜだか日沖さんは機嫌が悪そうだった。
いつもにこやかな彼女だからちょっと不安になる。
「ごめん、日沖さん。なんか怒らせちゃった?」
「美術の授業中、なんであんなによそよそしかったんですか?」
不満全開の顔でじとっと睨まれる。
自然に距離を保ったつもりだったがばれてしまってたようだ。
「そ、そうかな? 授業中だしあれが普通だよ」
「そうでしょうか? なんか避けてるかのように冷たくて素っ気なかったですけど」
怒りはなかなかのものらしく、ツンっとそっぽを向いて早歩きになってしまう。
適当なごまかしは通用しないらしい。
「ごめん。日沖さんはみんなの注目を集める存在だから、日頃絡みのない僕が親しげにすると不審がられるかなと思って」
「なんですか、その理由。私からペアをお願いしてるんですし、誰も不審になんて思わないですよ。だいたい私はそんなにみんなの注目なんて集めてません」
どうやら日沖さんは怒ると早口になるらしい。
「ほら、この前もバスケ部のエースに告白されたんでしょ? 日沖さんが自分で思うよりもみんな意識してるんだよ」
「それってあの誰なのかよく分からない人のことですよね? なんであの方に告白されたら私が鰐淵くんから素っ気なくされるんですか? そんなの私ばっかり損じゃないですか」
「それは、その」
「もういいです。鰐淵くんは夢で私と遭遇するから夢の中だけで仲良くしてくださるんですよね。失礼しました」
日沖さんとのはじめてのケンカだったけど、これは想像以上にご立腹の様子だ。
ちゃんと謝らないと尾を引きそうな気配だった。
「ごめん、日沖さん。確かに日沖さんの言う通り──」
「あっ……!?」
僕たちの前に白と茶色の猫が現れる。
額に『!!』マークの模様があるのが特徴的だ。
日沖さんは驚いたように目を見開いてその猫を見ている。
「なんで『迷い猫』さんが」
「迷い猫?」
「はい。ヘッド博士のペットです。迷っている人たちの負のオーラを吸収し、巨大化していくんです。今は可愛い子猫みたいですけど、大きくなったらそこら中を破壊し回って火の海の焼け野原にしてしまう恐ろしい存在なんです」
前足で顔の毛繕いをしており、とてもそんな化け物には見えない愛らしさだった。
「大変なことになる前に捕まえましょう!」
「よし、分かった!」
ケンカは一時中断で『迷い猫』捕獲作戦が開始される。
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日沖さんにとっては普通に友だちと接することでも注目を集めてしまうから大変ですね。
そしてはじめてのちょっとしたケンカ。
どうなるのでしょう?
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